今日が一番素敵

丁寧な暮らしを心がけながら、日々、折々のの心模様を素直に語ります。
今が一番素敵との思いを込めて。

私の家計簿

2020-05-04 07:02:56 | 暮らし

この記事は、三月の家計簿の締めをした後の、四月初旬に下書きしたものです。

こんなご時世ですから、個人的な家計の話をするのが何だかためらわれ、後回しにしていました。

書く話題がいよいよ事切れてきましたので、今日は記事にさせていただきます。

 

私は家計簿の記帳をするときほど、自分の頭の悪さを痛感することはありません。

このことについては、記事の後半で触れさせていただきますね。

まず、私が家計簿をつけるようになった動機からお話しします。

 

家計簿をつけ始めたのは、夫の赴任先ロスアンゼルスから帰国後のことです。

5年間の滞在を終え帰国した時、我が家の貯金があまりに少ないのに、びっくり。

その理由は、夫のせいにしては申し訳ないのだけれど、渡米後は、我が家の家計はすべて夫任せにしたことが原因でした。

それまでは、貯金はそれなりに出来ていました。

渡航の準備でかなり減ったとは思いますが、それでも何がしか残っていたはずです。

 

けれど、米国に住むようになってからは、家計の管理は夫任せ。

何故なら私は、ドルの換算はとても苦手でしたから。

高い安いの正常な判断ができなくなってしまって。

それで、旦那さまに任せることに。

ところが夫は、金融業に勤務の身ながら、金銭にはとてもおおらかな人。

のびのびと支出してしまったようです。

ほとんど家族のためでしたが。

 

ロスアンゼルス在住時の想い出写真

 

そのお陰で、アメリカに滞在中は、年に何度も旅行。

東海岸、グランドキャニオン、イエローストン、サンフランシスコ、デスバレー、その他至る所に出かけました。

デイズ二ーランドは、我が家から一時間ほどで行けましたので。

こちらにも飽きることなく、季節ごとに訪問。

食料品も、日本食品を多く扱うスーパーがあり、割高ながらそこでほとんど購入。

日本と全く変わらない食生活で、お節も作りました。

 

 

こんな贅沢な暮らしでは、預金がなくなるのは当然。

私が家計を管理していれば、今の暮らし程ではなくても、もう少し計画的な出費を心がけたでしょうが。

帰国が迫った数か月前、日本人学校から、とんでもない恥ずかしい電話がありました。

「授業料が引き落とせない」と。

 

私はそれを聞き、赤面するほど恥ずかしくなり、その時ばかりは夫を厳しく責めたものです。

そして、夫に家計を任せたのは大失敗だった、と思いました。

帰国し、我が家の預金が底をついているのに、改めてまたびっくり。

その時からです。

家計簿を付けるようになったのは。

 

数年は大学ノートに我流の記帳をしていました。

私が帰国して数年後、妹家族も赴任先のドイツから戻ってきました。

その妹に家計簿の話をしたところ、妹も同様に付けるように。

ところが、研究熱心な妹のことです。

大学ノートでは物足りなかったのでしょう。

羽仁もと子の予算家計簿に目を付け、それを使用し始めたのです。

 

私もそれを見習い、大学ノートから、その予算家計簿に移行。

それ以来、40年以上、ずっと同じ家計簿と当座帳を使用し続けて今日に至ります。

妹は、更に進化して、今は羽仁もと子のネット家計簿を使用しています。

 

 

私は相変わらず、書籍売り場で求めた予算家計簿を愛用。

その後、予算生活を堅実に送っていたのに、悪夢にとりつかれたように一時期、株式投資にのめり込み、ひと財産を失う羽目に。

でもその予算家計簿のお陰で、何とか家計を立て直し、今日に至ります。

家計簿を日々記帳していなかったら、今の安定した暮らしはなかったかもしれません。

家計簿さまさまの私です。

 

家計簿の記帳は、認知症予防にも大変効果がありそう。

月末や年末の収支計算では、時々頭が大混乱しますけれどね。

時には、半日かけて計算を繰り返すことも。

そうすると、帳尻が合うことがほとんどです。

このような苦労は、頭の体操にもなりますが。

ほとんどが計算間違い、勘違い、記入漏れによるもの。

つくづく自分の頭の悪さと、注意の散漫さを痛感して情けなくなります。

 

次回では、三月の収支決算でどの様な間違いをしたか、もう少し詳しく書かせていただきます

 

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