ゆるゆるらいふ

とりあえず、今日も一日機嫌よく・・・

3月に思うこと

2018年03月20日 | 事件
日本中を震撼させた、23年前の事件のあの日のことを忘れることはできない。

あの日、私は風邪で熱を出していた。
幼い長男も同じく熱を出し、病院に行かなければならなかったのだが、この時私のお腹には次男がいて、長男は小児科、私は産婦人科に行かねばならなかった。
やむなく、夫は午前中だけ休みをとって、私を産婦人科に送り、長男を小児科に連れていってくれた。

長男の診察が終わり、私を迎えに来てくれた夫は、病院から会社に電話をする。

「これから行きます」

会社の人に「テレビ見てないの?来られる状態じゃないよ」と言われた夫は、待合室のテレビに向かう。

そう言えばテレビの前はいつになくスゴい人だかり。
この時すでに10時を回っていたが、私たちは何も知らずにいたのだ。

状況を飲み込んで、背筋が凍った。

当時夫は、被害にあった地下鉄日比谷線を通勤に使っていたからだ。

もしも、私たちが風邪など引かずにいたら、そして、普通通りに通勤していたら・・・

あの日、被害にあった方々とそうでなかった人たちの運命を分けたのは、積み重なった偶然だったと思う。
誰が被害にあってもおかしくなかった。

人の命を軽んじた人達の手によって引き起こされたこの恐ろしい災難で失われた命を思うと、今も苦しくなる。

また、3月には、人間の力では到底あらがうことのできない、未曽有の自然災害もあった。

東日本大震災の年は長男、次男ともにそれぞれ高校、中学を卒業し、そろって入学式を迎える節目の年だった。

23年前、幼かった長男は社会人に、あの年に生まれた次男は大学生として、毎日を生きている。

寒い冬が終わり、暖かな春と、新しい生活が始まろうとする3月。

我が家にとっては、命の大切さを改めてかみしめる月でもある。




コメント (2)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 【観劇メモ】江戸は燃えてい... | トップ | 【観劇メモ】さらば! あぶな... »

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (欣秋)
2018-03-22 14:52:07
前年に外資系証券会社に転職してから被害にあった路線を利用していました。私はオフィスに入るのが7時半と朝早かったので事件を証券会社の情報端末で知りましたが、同僚の中には具合が悪い・吸い込んだんじゃないかとPTSDのような症状を起こした方もいました。両親からは、テレビで流れたニュースの中に私らしい人が映ってたと阪神淡路大震災を機に契約した携帯電話にかかってきました。1995年はいろんな思いの重なる年です。
返信する
Re:Unknown (karm52919)
2018-03-22 19:22:18
あの日の病院の待合室での光景は今も鮮明に焼き付いています。
自然に抗うことはできないけれど、人の手によるあんなに恐ろしく悲しいことは2度とおこらないことを祈るのみです。
返信する

コメントを投稿