【Home,I’m Darling 愛しのマイホーム】2021.11.6
作 ローラ・ウェイド
演出 白井晃
シアター・クリエ
このところずっと忙しかった友人と、久しぶりにお出かけ。
日比谷シアタークリエで観劇だ。
この劇場に行くのはかなり久しぶり。
席は前から5番目のど真ん中
めちゃめちゃよく見える
舞台は現代のロンドン。
セットは1950年代のインテリア。
レトロな家具と、鮮やかな色・柄の壁紙。
かわいい
朝ドラで主人公のお母さんだった鈴木京香さんが、
ポップな1950年代の衣装の主婦ジュディとなり、
舞台を軽やかにくるくると動き回る。
お顔がホントに小さくて、
テレビで観るよりずっと華奢で、年齢を感じさせないキュートさ。
ウエストをキュッと絞って、ふわっとしたスカートの洋服がとてもよく似合っている。
仕事から帰ってきた彼女の夫ジョニーは高橋克実さん。
帽子をかぶって、少しダボッとしたスーツ。これも1950年代らしい。
帽子をとったら・・・え?カツラ?
彼のカツラは、以前に観た「女の一生」のときにも驚いた。
そこに目が行っちゃいますね~、
と思っていたけれど、最後のほうにはなんだか気にならなくなった。
キャリアを捨て、専業主婦のなったジュディは、
1950年代の生活を死守しようと必死。
同じく1950年代が好きな友人のフラン(青木さやか)とマーカス(袴田吉彦)夫妻も彼女ほどのこだわりはちょっと・・・って感じ。
ジョディの母シルビア(銀粉蝶)はあからさまに彼女の生き方を非難する。
だって、その生活を維持するためには出費がかさみ、
家のローンの支払いが滞っていて、夫には内緒にしている。
夫が昇進すれば給料が増えるので大丈夫、と楽観視している。
夫の昇進のために、上司アレックス(江口のりこ)を家に招くが、バリバリの彼女とは全く話がかみ合わない。
結局昇進は見送られ、夫婦は窮地に陥って、お互いの抑えていた思いが噴出し・・・
明るく楽しく見える舞台だけれど、今も続くいろんな問題がちらちら見え隠れする。
家事が苦手なフランをジョディと比較して、彼女のようになて欲しいようなことを言うマーカス。
共働きなのに、家事は女性がするもの、と決めつけている。
今でもよく見る光景だ。
マーカスはセクハラで自宅謹慎中だが、本人には全くセクハラの自覚がない。
小さなこと(?)を騒ぎ立てる相手の女性が悪いと思っている。
これもよく見かけますね。
すべて手作りの食事、ホコリ一つない家の中。
これを維持する労力が仕事として評価されない。
夫婦関係が悪化した時、収入源のない主婦はどうするのか。
女性の社会進出が進んだ今でも、根本的なところは変わっていない。
作者のローラ・ウェイドは現代のイプセンと言われているらしい。
イプセンの「人形の家」では女であるがために一人の人間として扱われないノラが家を出ていく。
ジョディは社会に居場所を無くし、家に閉じこもる。
1950年代の世界に逃げ込んで外の世界を遮断しているかのようだ。
ノラとは逆のパターン。
でも根っこにあるものは結局同じのようだ。
そんなジョディを実際にその時代に生きた母はバッサリと切り捨てる。
銀粉蝶さんの纏うゆったりとした衣装と凛とした雰囲気が成熟した大人を感じさせて素敵。
結局ジョディは働きに出る。1950年代の服装で。
ジョニーと家事を分担しそうな雰囲気をかもしだしつつ・・・。
DNAに刻まれているかのような性別役割分担意識は、
いつの時代もどこの国でも同じなのかしら。
かくいう我が家は・・・
自宅で仕事をしている私が基本の家事をするのは当然、と言う感じで長年やってきたけれど、
胃潰瘍で入院して以降、夫が少しずついろいろとやるようになってきた。
その上、私がここ数年股関節を痛めてしまい、何かと不自由になったところに
コロナ禍で、昨年3月からテレワークとなり、ほとんど自宅にいるようになってからは、やれることが劇増
洗濯する、干す、たたむ
お風呂掃除
ゴミ出し
ときどき食器洗い
かつては食べ終わった食器もそのままにしてごろごろしていたのに、
いざやってみると私よりずっと丁寧。
家の中のゴミ箱からゴミを収集袋に集めるところからゴミ出しが始まるってことも
体感したようだ。
やればできる子でした。
老後にむけて、少しずつできることを増やしていかないと、ね
誰かだけが我慢することで成り立っている家族関係では、いつかおかしなことになっちゃうから。
社会の中でも、家の中でも「バランス」に気をつけて生きて行かなきゃ、と思った舞台でした。
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