野田秀樹さんの舞台はいつも私にはちょっと難しくて、
観終ったあとに???ってことが多く、ここしばらくの間離れていたけれど、
今回は友人と「そろそろ行ってみる?」ってことになった。
劇場の入り口前にはこんな模型が。
あとでわかるのだけれど、紐で引っ張られてるのが瑛太クン、引っ張ってるのが松たか子さん。
人魚の世界に引っ張り込まれるシーンだ。
オープン間近の水族館の空っぽの水槽の前から物語は始まる。
言葉遊びや時事ネタ、モノマネで観客がドッと笑ったり、くすくすしたり・・・。
あれ?今回はドタバタコメディ?なんて思いながら観ているうちに、
いつのまにか重苦しい空気に徐々に変化していく。
電報を配達に来た、瑛太クンが演じる「モガリ サマヨウ」なる人物が
NINGYOの松たか子さんに人魚の世界に連れていかれたり、
水族館で潜水夫(劇中では潜水鵜と呼ばれてる)にさせられたり・・・。
このときに配達するはずだった電報は「バシャハカエリミチ」
この電報が届かないまま話が進んで・・・後の悲劇へとつながっていく。
人魚の長老は銀粉蝶さん。
人魚は子供の方が先に死ぬ・・というセリフがこの後の出来事の伏線になっていることはもちろんわからない。
阿部サダヲさんが演じる「サキモリ オモウ」と言う人物は、
なんとなく人々の中間にいて、自分の意思を貫けず、上からの圧力に屈し、
あくまでも自分の意志で次にすることを決定しているかのように誘導されていく。
水族館の館長 鵜飼綱元の池田成志さん、その娘で人魚の研究をしているという鵜飼ザコを演じる井上真央さん、
ザコの先生である柿本魚麻呂(かきのもとのさかなまろ)の野田秀樹さんら3人が後に人々を操っていく。
だけど柿本魚麻呂はお飾りで、首謀者はザコ?なんて思いながら観て行くと、やがて人魚は人間魚雷へと姿を変えて行く。
その昔、「花より男子」で真っ直ぐな女の子だった真央ちゃんが、冷たく不敵な笑みを浮かべている。
ああ、こんなに大人になったのね
ザコの言うことを、子供のようなキラキラとした瞳でなんでも聞いてしまう「イルカくん」に満島真之介さん。
サカナクンのような帽子をかぶり、イルカの調教をするはずだった彼は、疑うことなく人間魚雷に・・・。
舞台の上にずらっと並んだ、魚雷は太平洋戦争末期の人間魚雷「回天」を想像させて、
ついさっきまで笑っていたのに、背中がうすら寒くなってくる。
標的となっている沖の船は、すでに積み荷(爆弾)をおろし、帰路についているから、撃沈しても無駄、
と言うことは上層部は承知しているが、作戦はやめられない。
それをうすうすわかりつつ、葛藤しつつ粛々と発射命令を出し続けるサキモリ。
粗末な人間魚雷からは爆音も聞こえず、ただただ海の藻屑となっていく。
迷い、自問自答しながら、悲壮感を漂わせて発射命令を下す阿部さんを見てると、
「お願いだからもうやめて!」と心が痛くなる。
人間魚雷一基を、それぞれ一人の人魚が押して消えて行くのだけれど、
少し前まできらきらと美しかった人魚達が、目の周りを黒く塗った悪魔のような形相に変わっていて、
一段と恐ろしさと絶望感を誘う。
人魚は人間魚雷そのものだったのか。
最後の一人の瑛太クンの乗った人間魚雷が発射され、一人残った阿部さんの頭上から玉音放送が流れてくる。
海の底に知らせが来るのに時間がかかり、戦争は3日前にすでに終わっていたのだ・・・。
瑛太クンの魚雷が発射される時に一緒に海に飛び出す、人魚の松たか子さんが最後に叫ぶ絞り出すような声が耳について離れない。
あんなに笑っていたのに、最後は涙をこらえ、終わった後も何とも言えない虚脱感に襲われる。
ほんの数日前、朝日新聞の1面のすみっこにこんな言葉が載っていた。
劇中「自分で考えて、自分で決めたのだろう?」というような念押しが何度も繰り返されていたときに、
この言葉を思い出していた。
恐ろしい・・・。
今、この国の偉い人たちの動きがなにやら胡散臭い。
いろいろな「リアル」知らない人たちの議論ってホントに違和感があって、気持ちが悪い。
こういう人たちにこそ観てほしい、と心から思った。
久々の野田秀樹さんの舞台は、やっぱり難しかったけれど、行ってよかった。
一緒に行った友達は、今まで頻繁に観劇に付き合ってくれていたのだけれど、
昨年後半から、遠距離介護がはじまり、11月に「ブロッケンの妖怪」に一緒に行って以来、久しぶり。
一時期は毎週末 山形まで帰っていた彼女は、かなり疲れていて、ずっと風邪をひいている。
フルタイムで普通の人よりかなり忙しく働いている彼女だが、介護の現実の前にはなすすべもない。
一億総活躍できる社会ってなんだろう。
戦争中に遥か上から命令を下していた人たちも、今この時も上のほうでよくわからない理想を議論している人たちも、
もう少し下界に降りてきて、「リアル」を感じていただきたいものだ。
と憤りを感じつつ、久々のゆっくりとした観劇を楽しんだ私たちは、地元に帰り、日付が変わる直前まで、
飲んで食べてしゃべり倒したのでした。
観終ったあとに???ってことが多く、ここしばらくの間離れていたけれど、
今回は友人と「そろそろ行ってみる?」ってことになった。
劇場の入り口前にはこんな模型が。
あとでわかるのだけれど、紐で引っ張られてるのが瑛太クン、引っ張ってるのが松たか子さん。
人魚の世界に引っ張り込まれるシーンだ。
オープン間近の水族館の空っぽの水槽の前から物語は始まる。
言葉遊びや時事ネタ、モノマネで観客がドッと笑ったり、くすくすしたり・・・。
あれ?今回はドタバタコメディ?なんて思いながら観ているうちに、
いつのまにか重苦しい空気に徐々に変化していく。
電報を配達に来た、瑛太クンが演じる「モガリ サマヨウ」なる人物が
NINGYOの松たか子さんに人魚の世界に連れていかれたり、
水族館で潜水夫(劇中では潜水鵜と呼ばれてる)にさせられたり・・・。
このときに配達するはずだった電報は「バシャハカエリミチ」
この電報が届かないまま話が進んで・・・後の悲劇へとつながっていく。
人魚の長老は銀粉蝶さん。
人魚は子供の方が先に死ぬ・・というセリフがこの後の出来事の伏線になっていることはもちろんわからない。
阿部サダヲさんが演じる「サキモリ オモウ」と言う人物は、
なんとなく人々の中間にいて、自分の意思を貫けず、上からの圧力に屈し、
あくまでも自分の意志で次にすることを決定しているかのように誘導されていく。
水族館の館長 鵜飼綱元の池田成志さん、その娘で人魚の研究をしているという鵜飼ザコを演じる井上真央さん、
ザコの先生である柿本魚麻呂(かきのもとのさかなまろ)の野田秀樹さんら3人が後に人々を操っていく。
だけど柿本魚麻呂はお飾りで、首謀者はザコ?なんて思いながら観て行くと、やがて人魚は人間魚雷へと姿を変えて行く。
その昔、「花より男子」で真っ直ぐな女の子だった真央ちゃんが、冷たく不敵な笑みを浮かべている。
ああ、こんなに大人になったのね
ザコの言うことを、子供のようなキラキラとした瞳でなんでも聞いてしまう「イルカくん」に満島真之介さん。
サカナクンのような帽子をかぶり、イルカの調教をするはずだった彼は、疑うことなく人間魚雷に・・・。
舞台の上にずらっと並んだ、魚雷は太平洋戦争末期の人間魚雷「回天」を想像させて、
ついさっきまで笑っていたのに、背中がうすら寒くなってくる。
標的となっている沖の船は、すでに積み荷(爆弾)をおろし、帰路についているから、撃沈しても無駄、
と言うことは上層部は承知しているが、作戦はやめられない。
それをうすうすわかりつつ、葛藤しつつ粛々と発射命令を出し続けるサキモリ。
粗末な人間魚雷からは爆音も聞こえず、ただただ海の藻屑となっていく。
迷い、自問自答しながら、悲壮感を漂わせて発射命令を下す阿部さんを見てると、
「お願いだからもうやめて!」と心が痛くなる。
人間魚雷一基を、それぞれ一人の人魚が押して消えて行くのだけれど、
少し前まできらきらと美しかった人魚達が、目の周りを黒く塗った悪魔のような形相に変わっていて、
一段と恐ろしさと絶望感を誘う。
人魚は人間魚雷そのものだったのか。
最後の一人の瑛太クンの乗った人間魚雷が発射され、一人残った阿部さんの頭上から玉音放送が流れてくる。
海の底に知らせが来るのに時間がかかり、戦争は3日前にすでに終わっていたのだ・・・。
瑛太クンの魚雷が発射される時に一緒に海に飛び出す、人魚の松たか子さんが最後に叫ぶ絞り出すような声が耳について離れない。
あんなに笑っていたのに、最後は涙をこらえ、終わった後も何とも言えない虚脱感に襲われる。
ほんの数日前、朝日新聞の1面のすみっこにこんな言葉が載っていた。
劇中「自分で考えて、自分で決めたのだろう?」というような念押しが何度も繰り返されていたときに、
この言葉を思い出していた。
恐ろしい・・・。
今、この国の偉い人たちの動きがなにやら胡散臭い。
いろいろな「リアル」知らない人たちの議論ってホントに違和感があって、気持ちが悪い。
こういう人たちにこそ観てほしい、と心から思った。
久々の野田秀樹さんの舞台は、やっぱり難しかったけれど、行ってよかった。
一緒に行った友達は、今まで頻繁に観劇に付き合ってくれていたのだけれど、
昨年後半から、遠距離介護がはじまり、11月に「ブロッケンの妖怪」に一緒に行って以来、久しぶり。
一時期は毎週末 山形まで帰っていた彼女は、かなり疲れていて、ずっと風邪をひいている。
フルタイムで普通の人よりかなり忙しく働いている彼女だが、介護の現実の前にはなすすべもない。
一億総活躍できる社会ってなんだろう。
戦争中に遥か上から命令を下していた人たちも、今この時も上のほうでよくわからない理想を議論している人たちも、
もう少し下界に降りてきて、「リアル」を感じていただきたいものだ。
と憤りを感じつつ、久々のゆっくりとした観劇を楽しんだ私たちは、地元に帰り、日付が変わる直前まで、
飲んで食べてしゃべり倒したのでした。