人生ブンダバー

読書と音楽を中心に綴っていきます。
現在は、暇に飽かして、日々更新。

10/4 関西紀行(3) 大阪キタ散歩

2016-10-12 05:00:00 | 旅行

10月4日(火)、午後は、久しくご無沙汰している、大津の「本家」を訪
問予定だ。
私の父(次男)やその兄(長男)は、富山県高岡市の出身という話を
父母から聞いた記憶がある。しかし、断片的な話であり、うちには記
録も残っていないし、今は高岡にはお墓もない。

「本家」(私の父の兄の長男)を訪問すれば、何か少しは分かるかも、
というわけである。

午前中の空いた時間、梅田界隈、太融寺(たいゆうじ)、露(つゆ)天
神社(いわゆるお初天神)を散歩する。8,000歩は歩いたかしらん。


6:22 大阪ガーデンパレス ルーム819より
宮原公園 向こう側大阪市営木川住宅


6:52 WONDAで目を覚ます。


8:08
あまり早くチェックアウトしても疲れるので、のんびりと出発。


8:09 15分発のシャトルバス


8:15 混むかと思いきやガラガラだ。


8:22 JR新大阪の改札口に向かって歩く。


8:24 通勤時間、すごい人の集団がJR改札口の方から流れてくる。


8:27 15・16番線 大阪方面へ


8:27 8時28分発新三田行に乗る。


8:33 大阪着


8:35 JR大阪駅中央改札口を出る。コインロッカーを捜して・・・・・・


8:42 コインロッカーに荷物を預ける(300円)。


8:42


8:43 場所をよく覚えておこう。


8:50 ヨドバシカメラ、大阪新阪急ホテル方面


8:52 新しくできたばかりの「スカイウォーク」


8:53 オープンしたばかり


8:54 曾根崎警察署


8:56 阪急百貨店


8:58 御堂筋


9:00 阪急東通商店街


9:03 大阪富国生命ビル側から扇町通、曾根崎警察署


9:08 「太融寺」交差点 太融寺(たいゆうじ)が見えてきた。


9:09 太融寺は、ぼけ封じの札所でもある。よくお参りしよう。


9:10 太融寺(たいゆうじ)→こちら

源融(822-895)ゆかりの、真言宗の寺である。
淀君の墓があることでも有名だ。


9:11 歩兵第216聯隊戦没者供養塔


9:11 
第二次世界大戦に臨み 郷土部隊の一員として 大陸に於て
祖国のために崇高なる義務を完うして散華せる英霊2362柱の
冥福を祈り 併せて故国日本の恒久平和を冀う
友よ 安らかに眠り給え
昭和52年10月10日
元歩兵第216聯隊(椿第6842部隊)第3大隊□□戦友会一同


9:12


9:13 史跡 淀殿之墓


9:13


9:14
 淀の方
豊臣秀吉の側室、浅井長政の長女、母は織田信長の妹お市の方、浅
井氏の滅後、秀吉に養われ、天正17年淀城に入る。淀殿、淀の方と
よばれた。淀君は後の俗称。秀頼を生み、秀吉没後は大阪城に拠り
豊臣方の中心的人物となる。大坂夏の陣に敗戦、秀頼と共に自刃し
た。法名を大虞院英岩と寺伝にいう。明治10年城東鴨野より当寺に
改葬された。


9:15


9:15
「黙って咲いて 黙って散る
  花は 人の評価を 気にしない」


9:15 
佳木山 宝樹院 太融寺 創建/弘仁12年(西暦821年)


9:16 太融寺(たいゆうじ)本堂


9:17


9:17 大正14年4月 建立


9:18 国会期成同盟発祥之地の碑


9:18


9:18
自由民権運動は日本最初の民主主義運動であり、国会開設・憲法
制定・地租軽減・地方自治・不平等条約撤廃などの諸要求をかかげ
て展開された。
1880(明治13)年大阪で国会期成同盟結成大会が開かれ国会開
設の請願書の提出と国民的運動の方向が決定された。大会は3月
15日北久宝町喜多福亭で始まり、同19日会場を太融寺に移し4月
8日まで白熱の論議が続き、その後の全国的な運動の発展に画期
的意義をもった。
まさにこの運動の舞台となったここ太融寺こそ国会期成同盟発祥の
地であり、自由民権運動飛躍の場として永久に記念さるべきである。
自由民権100年を契機に私たちは先人の偉業をたたえ、その進歩
と革新の伝統をうけつぎ、ここに記念碑を建て、自由と民権が永遠
の真理たることの証とするものである。
1985年5月3日
撰文 黒田了一

(注)必要に応じて、句読点を補い、漢数字をアラビア数字にした。
  黒田了一(1911-2002)は、憲法学者で革新系大阪府知事。


9:20 第51代横綱 玉の海正洋之碑

玉の海正洋(1944-1971)は、第51代横綱。北の富士のライバル
として知られたが、27歳で急逝した。


9:20


9:21 広田富三郎殉職碑


9:21
明治27年5月6日、大阪郵便電信局の広田富三郎さんは風雨を冒
して電報配達の途中、大江橋の中央まで走ってきたとき人力車が激
突してのどを突かれ、電報を固く握ったまま職に殉ぜられました。と
きに年18でした。
当時の人々によって、その顕彰碑が建てられましたが、第2次世界
大戦の際破損しました。
広田さんのあとを継ぐ私たちは、大方のご協力のもと、ここにその碑
を再建しました。
そして長く先人の心を心とし、交通地獄の中を走る私たちの守り神
ともするものであります。
昭和33年春 彼岸 大阪中央電報局配達課一同


9:21 太融寺伽藍再建記念碑


9:23 松尾芭蕉句碑
「しら菊の 目に立てて見る 塵もなし」


9:30 このあたりに「うめだ花月」があった?

50年以上まえになるかしらん。うめだ花月で笑福亭松鶴の落語を聴
いた。吉本新喜劇も観劇した記憶がある。母方の祖母と一緒だった。


9:30 曾根崎お初天神通り


9:31


9:32 お好み焼きの「千房」


9:34 露天神社


9:34 露天神社 由緒略記 →こちら

菅原道真が大宰府へ左遷される途中、この地で詠んだ歌が伝えら
れている。
「露とちる 涙に袖は朽ちにけり 都のことを思い出づれば」

近松門左衛門の『曾根崎心中』でも有名だ。


9:36


9:37


9:37
「先の大戦末期、大阪駅方向より飛来したという米軍グラマン戦闘
機による機関銃弾痕」


9:38 こちらが表かな?


9:39 梅田新道


9:40


9:44 阪急百貨店


9:47 ドトール ホワイティうめだセンターモール店
本当は関西のうどんを食べたかったのだが、お店が見つからず。
*ドトールコーヒー発祥の地は東京である。
 エクセルシオールもドトール系。


9:51 朝昼兼用の食事


9:51 ドトール店内


10:10 梅田地下街(ホワイティうめだ)


10:12 大阪駅前 阪神と大丸


10:16 家へのお土産を買う。


10:21 無事、コインロッカーに戻り、預けた荷物を取り出す。

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