平成11(1999)は畑中良輔先生が喜寿を迎えられた年だった。そ
の年に有志何人かで『畑中良輔先生喜寿記念エッセイ集』を作成し、
畑中先生に差し上げた。その後も何回か、機会を見つけて、有志で
文集を編んだ。
以下は、平成16(2004)年11月に作成した『第3回ワグネル・ガラ
コンサート--ステージ上の同窓会--記念文集』の中の、私の
文章の一節である。
* * * *
(前略)・・・・・・ワグネル1年目の昭和45年によく聴いたのが、44年
ワグネル第94回定期演奏会LPの「雪明りの路」(畑中先生指揮。
東京厚生年金ライヴ録音)である。
当時、この演奏を泣きながら何回聴いたことだろう。ライヴゆえの録
音の貧しさもあれば、演奏(アンサンブル)の「乱れ」もある。
しかし、「1.春を待つ」出だしのG dur「ふんわりと」の表現はいかば
かりであろう。「日が暖かい」の明るい音色。「(ぽっと春の日の)夢が
(咲く)」のかすかなポルタメント!「2.梅ちゃん」の「ギャーン」。バラン
スがくずれそうなほどの、お腹の底からの「火を吹いて、吹いて」。パ
トスが乗り移った「(あの藁家は)燃えちまったよ」。
「3.月夜を歩く」の「泣きやんだあとの様に」の優しさ。「4.白い障子」
の「ざあっと(豆を撒いたように)」の語感。
「5.夜回り」の不気味さ。「6.雪夜」の「あゝ 雪のあらしだ」のfの絶唱。
「埋(うず)もれている」のfからpでのdim.と大げさにならないアゴー
ギク。
いずれもしかり。ぼくの表現力ではとても筆舌には尽くせない。
この「雪明りの路」には、「楽譜には書かれていない」(--「音楽は
楽譜に書かれていませんっ」というのが木下先生の口癖だった。)、
当時のぼくが聴いたこともない音楽があった。そして、終曲の「あの
吹雪が 木々に唸って 狂って 一(ひと)しきり去った後を 気付か
れない様に覗いてごらん」のところまで来るとなぜか決まって涙があ
ふれてくるのだった。このフレーズには単なるfでもない、pでもない、
それ以上の「何か」を訴えるものがあった。
・・・・・・「雪明りの路」をきっかけとして、同期のOくんからすすめられ、
伊藤整の『若い詩人の肖像』を読んだ。それ以来、伊藤整はぼくの愛
読書となった。文藝春秋社から出ていた「人と思想」シリーズ『知恵の
木の実』(伊藤整)は今でもすぐ手に届くところに所蔵してある。
* * * *
先日の「音楽は楽譜に書けない」ことに関連して、自分のエッセーを
思い出した。
畑中先生/慶應ワグネルの『雪明りの路』には、ビクターのスタジオ
録音があり、無論アンサンブルの乱れもない。現在も入手できるが、
こちらは「なぜか?」泣けてこない。
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