人生ブンダバー

読書と音楽を中心に綴っていきます。
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36年前の「運命の歌」

2009-08-04 05:09:04 | 音楽

36年前の昭和48年、大学も「激動の時代」だった。1月には学費値上げ反対から全
学ストライキに突入。

(学校側との団交では眼鏡をかけたクールな大学の理事がいた。それが後に恩師と
なる大熊一郎先生であった。先生のモットーは Cool Head but Warm Heart だった
が、お酒の席では酔って乱れず、談論風発だった。)

クラブ活動への影響も大きく、身動きがとれず、春合宿を2回に分割、3月の演奏旅
行もぎりぎりの判断で中止となった。大学は4月の合同入学式も中止となる始末。

一方、5月開催六連の曲目は柴田南雄「優しき歌」を作曲者自身の編曲で男声合唱
にしていただこうと、ぼくは畑中先生から仰せ付かり柴田南雄さんに電話した。
編曲をお願いした時の柴田先生の第一声は「畑中先生がおっしゃったの?」だっ
た。

結局、編曲は進まず、3月末になって曲目変更、ブラームス「運命の歌」(北村協
一編曲)となった。楽譜の印刷ができあがり、練習を開始したのが4月13日。畑中
先生の最初の練習が迫っていたが、ぼくら全員は必死に音取りをし、ドイツ語の歌
詞を付けた。

この曲は4拍子の第一部、3拍子の第二部、4拍子の第三部の三部形式(構成)と
なっている。(ウィキペディアご参照→こちら
第三部のadagioには合唱が付いていないが、一部(神々の世界)、二部(不安、苦
悩に満ちた人間の世界)、三部の change of mind が難しい曲である。

そして5月27日(日)九邇之宣先生に伴奏をお願いした、東京文化会館における本
番。これがなかなかいい演奏だった。三部にはハミングも付けない、原曲どおりの
演奏だったが、その<慰め、救い>を心で歌っていたことを思い出す。

6月になって、録音を聴かれた木下先生が「六連の演奏聴いたよ。ワグネルはドイ
ツ人だね~。ウヘヘ」と喜ばれていたことも昨日のことのように浮かんでくる。ぼ
くは今でも時々六連のLPを「運命の歌」だけ聴いている。



さてブラームス「運命の歌」。何人もの指揮者が録音しており、何枚か持っている
が、アバド、ベルリン・フィル、ライプツィヒ中部ドイツ放送合唱団の演奏(Sony)
が、(ぼくらの演奏に近く--という言い方は変かもしれないが。)気に入ってい
る。あの時の演奏が刷り込まれてしまったぼくには、たいていの演奏は気に入らな
い。




アバド盤


※「36年前」と一口にいうが、昭和48年から「36年前」は昭和12年盧溝橋の日中戦
 争という時代であった。今から36年前も、その36年前も無論丑年である。


《明日も合唱--合唱連盟+朝日新聞主催「こどもコーラス・フェスティバル
2009」をレポートいたします。》


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