先月(9/1)のブログでも紹介した、竹内洋『革新幻想の戦後史』(中
公文庫)の「終章 革新幻想の帰趨」(下記目次ご参照)をあらためて
読む。
この本は、まさしく戦後史の一面だ。一面からとらえた「社会の変化」
に関する論文と言えるのかもしれない。
京都大学大学院教育学研究科教授を「役割」とされていただけに、800
以上の豊富な主要参考文献とデータを駆使して構築した力作だ。
<参考>下巻目次
Ⅴ章 福田恆存の論文と戯曲の波紋
*これを読むと清水幾太郎と福田恆存は意外と親しい関係だったこ
とが分かる(--どちらも東京帝国大学文学部卒)。
Ⅵ章 小田実・ベ平連・全共闘
*この時代は、
1965 ベ平連 (~1974解散)
1969/1 東大安田講堂事件
1969/10 国際反戦デー暴動事件
1969/12 師走総選挙 自民党圧勝
1970/11 三島(由紀夫)事件
1972/2-3 連合赤軍事件
等、「激動の時代」(というか「転換点」)だった。
私はむろんいずれにも参加していないし、野坂昭如いわゆる「心
情三派」でもない(念のためですが)。
大学のクラスで、ベ平連に参加していたのは、たしか一人だった。
いま「仮に」当時の学生を左翼-中道-右翼と分類するとすれば
(*)、やはり「10-80-10(%)」の原則にあてはまるので
はないかしらん(正規分布?人事考課と同じ?)。
*「左派」とか「右派」という言葉でもいいが。むろん現実には、
例えば「過激派」と「穏健派」などその分類以外の分類もある。
Ⅶ章 知識人界の変容
終章 革新幻想の帰趨
1 石坂洋次郎の時代
2 草の根革新幻想 ※
3 大衆モダニズムの帰結
補論2 鉄のトライアングル--進歩的文化人・岩波・朝日
※本書p258の資料が興味深い。
24歳以下の人口総数に占める割合(『人口推計』総務省統計局)
1950年 54%
1960年 49
1970年 43
2000年 38
2009年 24
ちなみに65歳以上の人口総数に占める割合は、
1950年 5%
1960年 6
1970年 7.5
1980年 9
1990年 12
2000年 17
2010年 23
2015年 27
(%はいずれも概算)
(ご参考)人口推計→こちら。
こうしてみると、昭和25(1950)年頃は、老人が少なく、子どもだ
らけだったと言えるだろう。
仮に今、昭和ベースで、20年代、30年代、40年代、50年代・・・・・・と
10年ごとに分類するとすると、私が<実感として>知っているのは、
ようやく40年代以降だ。
私にとって、20~30年代は、文字等による「歴史」の世界と言える
だろう。
しかるに本書で昭和40年代を読むと、私には「そういえばそうだった」
ということが思い出される。
もしかしたら、今の若い人が本書を読むと、「へ~、戦後の昭和には
そんなことがあったの?」と今からは想像もできないことばかりなの
かもしれない。
竹内洋『革新幻想の戦後史』(中公文庫)
最新の画像[もっと見る]
- 令和7年 元日 「全員集合」 11時間前
- 令和7年 元日 「全員集合」 11時間前
- 令和7年 元日 「全員集合」 11時間前
- 謹賀新年 1日前
- 謹賀新年 1日前
- 謹賀新年 1日前
- 謹賀新年 1日前
- 12/23 インフルエンザA 2日前
- 12/23 インフルエンザA 2日前
- 12/23 インフルエンザA 2日前
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます