人生ブンダバー

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半藤一利『昭和史』から山室信一『キメラ』へ

2021-08-14 05:00:00 | 近現代史

半藤一利『昭和史』をあらためて読んでいたら、次の一節があっ
た。

 国内においては新聞雑誌で満蒙問題が盛んに論じられ、「満蒙は日本の生命
 線である」と叫ばれていました。この言葉はそもそも、当時満鉄(新京[長
 春]←→大連間を走っていた南満州鉄道)の副総裁でのちの外務大臣松岡洋
 右(ようすけ)が、昭和4年8月に京都で行われた「第三回太平洋問題調査会」
 で満州問題を権威のように語って獅子吼(ししく)したために、非常に流行
 ったのです。それがまた議会で叫ばれ、高らかに歌い上げられた。
 強硬派の代議士、森恪(つとむ→こちら)が松岡演説を受けて、「二十億の
 国費、十万の同胞の血をあがなってロシアを駆逐した満州は日本の生命線
 である」とぶちました。この数字は日露戦争で使った金、戦死者で、そうま
 でしてやっと手に入れた満洲は、まさに日本が守り抜くべき生命線である、
 というわけです。(p65)

ここでは、「二十億の国費、十万の同胞の血」と分かりやすい表
現になっているが、当時は別の表現ではなかったかしらん、と気
になり、満州事変関連の本を調べ出したが、なかなか見つからな
い。とうとう2時間近くを費やすことに(笑)。

結局、山室信一『キメラ--満洲国の肖像』(中公文庫)に「十
万の生霊、二十万の国帑(こくど)」という言葉を見つけた。

 ・・・・・・日本は国家の命運を賭して日清、日露の二つの戦争を闘い、辛くも勝
 利を収めた。満蒙は「十万の生霊、二十万の国帑(国庫金)」によって贖
 (あがな)われたかけがえのない大地と目され、その開発と経営は「明治大
 帝の御偉業」を継ぐ国民的使命とさえみなされたのである。(p21)


昭和5(1930)年であれば、日露戦争(1904-05)からまだ25年
しか経っていない。

日露戦争以降、大正時代から昭和初期に至るまで、日本における
「満蒙問題」(→こちら)はまことに大きな問題だった。
いつか、当時の新聞に当たってみたい。

同書p20には
 1920年代満蒙における日本の「特殊権益」は中国ナショナリズムの高揚と激
 しく衝突し、満蒙問題の解決は日本の使命にかかわる焦眉(しょうび)の課
 題として喧伝(けんでん)されていた。

とある。



何冊か調べたが、意外と「十万の生霊、二十万の国帑(こくど)」
という言葉は載っていない。

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