中学生になった時、身長は144cmしかなかったが、足が速かったので陸上競技部
に入った。当時は陸上競技の参考書もほとんどなかったが、旺文社から出ていた織
田幹雄『陸上競技』をよく読んだ。織田幹雄は昭和3(1928)年アムステルダム・
オリンピックの三段跳びで優勝、日本人初の金メダリストとなった名選手である。
この本は、フォームの写真がたくさん載っているところがよかった。
地区大会の新人戦リレーでは3位入賞し、高学年では主将になったが、今から考え
るとあまり練習はしなかった。今でも陸上競技は好きである。格闘技のように判定
勝負ではなく、勝ち負けがハッキリするところがいい。
昨日(6月27日)、テレビで陸上日本選手権第2日を観た。大変見応えがあった。中
でも女子1万mは歴史に残る大レースとなった。福士、渋井、赤羽(あかば)の3選
手が30分以上にわたってデッドヒートを繰り広げたのである。
残り5周、早めに福士がロングスパートをかけようとしたが、赤羽、渋井もすぐに
追いつく。残り400m、あと1周を切ったところで身体二つ分赤羽がリード、このま
ま逃げ切るかと思われたが、ラスト50mで渋井が逆転、最後は0.27秒差で渋井が優
勝となった。この3選手はいずれもA標準記録を突破していたので自動的に渋井のオ
リンピック初出場が決まった。ゴール後、渋井と赤羽が抱き合っていた。陸上競
技、ブンダバー!である。
に入った。当時は陸上競技の参考書もほとんどなかったが、旺文社から出ていた織
田幹雄『陸上競技』をよく読んだ。織田幹雄は昭和3(1928)年アムステルダム・
オリンピックの三段跳びで優勝、日本人初の金メダリストとなった名選手である。
この本は、フォームの写真がたくさん載っているところがよかった。
地区大会の新人戦リレーでは3位入賞し、高学年では主将になったが、今から考え
るとあまり練習はしなかった。今でも陸上競技は好きである。格闘技のように判定
勝負ではなく、勝ち負けがハッキリするところがいい。
昨日(6月27日)、テレビで陸上日本選手権第2日を観た。大変見応えがあった。中
でも女子1万mは歴史に残る大レースとなった。福士、渋井、赤羽(あかば)の3選
手が30分以上にわたってデッドヒートを繰り広げたのである。
残り5周、早めに福士がロングスパートをかけようとしたが、赤羽、渋井もすぐに
追いつく。残り400m、あと1周を切ったところで身体二つ分赤羽がリード、このま
ま逃げ切るかと思われたが、ラスト50mで渋井が逆転、最後は0.27秒差で渋井が優
勝となった。この3選手はいずれもA標準記録を突破していたので自動的に渋井のオ
リンピック初出場が決まった。ゴール後、渋井と赤羽が抱き合っていた。陸上競
技、ブンダバー!である。
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