「~と~との往復書簡」とか「~の書簡集」というものがある。あれは承諾
を得て、コピーさせてもらい、出版するものだろう。
自宅を整理していたら(--最近は「整理」に追われている(笑)。)、畑中
良輔先生へ(一方的に)お出しした手紙(のコピー)が出てきた。
畑中先生への手紙はワグネルの定期演奏会の後にお出しすることが多
かった。寝る暇もないほどお忙しい先生にはご迷惑だったかも。
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平成17年12月29日付
畑中良輔先生
拝啓 例年になく寒さが厳しくなってまいりましたが、ますますご健勝の
ことと存じます。
この秋に憧れの地イタリアに行ってきました。北はミラノから南はローマ、
ポンペイまで足を伸ばしましたが、写真に入りきらない、遺跡の大きさに
圧倒され、また比較文化面でも興味を覚えて帰ってまいりました。ゲーテ
ではありませんが、紀行文が書けようというものです。
ミラノではスカラ座で「ペレアスとメリザンド」(5階当日券10ユーロ
約1,400円。【注】ジョルジュ・プレートル指揮)を聴いてきました。5階2
列目では舞台がほとんど見えず、フランス語も、イタリア語の字幕もさっ
ぱり理解できませんでしたが、とにかく声と音(音響)はすばらしくよかっ
たです。
今年の12月は、ワグネルの定期と青の会(だけ)を聴きました。
「雪明りの路」(【注】伊藤整作詩、多田武彦作曲)。30人の合唱はさす
がに厚みはなかったですが、アンサンブルを保持しつつ、一人ひとりが
気持ちを持って歌いきったことに感動でした。
31年前の演奏は青春の抒情の世界でしたが、今回はあくまで叙景の
中に抒情を織り交ぜたように(私には)感じられました。早速ライヴCD
を注文した次第です。
「オランダ人」はいかにもワグネル!「オランダ人」だというので、久しぶ
りに一緒に行った母が大喜びしておりました。現役の若々しい声とOB
の老練なそれの対比が大変おもしろかったです。(【注】現役がノルウェ
ー人、OBがオランダ人を歌った)。
(後略)
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【注】は後から入れたものである。
ここに出てくる、平成17(2005)年のワグネル「雪明りの路」は、虚飾を
排した、ザッハリッヒな演奏だった。
この演奏会前に、もっとロマンチックなものを想像していた私には大変
衝撃的だったことを覚えている。
いつもなら今ごろ畑中先生にお便りをお出ししていただろう。今年も早く
も年末を迎えている。
サン・ピエトロ大聖堂より サン・ピエトロ広場
(筆者撮影と書くとキザかな?)
ローマのコロッセオ
コロッセオ内部
音楽評論家遠山一行さんが亡くなられた。畑中先生と同い年だった。
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いつだったか、テレビのインタビュー番組で遠山氏が「私の好きな音楽」について
語っておられたのを覚えております
そのとき氏は自らモーツァルトのピアノ協奏曲第21番K467の第2楽章を演奏なさいました
正直言って、素人であるワタシの耳にも下手でした
評論家というものは、自分ができないことでも批評できるんだなと思いました
それはまぁ、批評家はオールマイティではありませんから、自分の能力とは別に
ダメなものはダメと言ってもいいわけであります
逆に言えば「できもしないで偉そうなこと言うんじゃねぇよ」と言われてしまうような
批評はダメだということでしょうね
また、自分に対してなされた批評に対しては謙虚に耳を傾けるべきであると
なかなかできることではないのですが(正当に批評することもされることも)
このようなことを遠山氏には教えていただきました
他に遠山氏の偉業は自身の名を冠した音楽財団を創設し、音楽図書館を作ったことにあります
ワタシは学生時代、遠山音楽図書館にはお世話になりました
本来は音楽関係者でなければ利用できないこの施設に、コネを使って入館させていただき
館所蔵のパレストリーナ大全集の閲覧を許されて、その膨大な資料の中から
男声合唱のための「エレミア哀歌」を見つけ出すことができました
今からちょうど40年前、私たちは故木下保先生の指揮で、そのエレミア哀歌を
(おそらく日本で初めて)演奏いたしました
遠山一行氏には改めてお礼申し上げるとともに、謹んでご冥福をお祈り申し上げます
そんな「秘話」があったんですね~。存じ上げませんでした。それとも、お聞きしたけれど、忘れてしまったんでしょうか。
西洋音楽に関するものは、現在では慶應義塾三田図書館に移管されております
数年前に現役が「エレミア哀歌」を再演する際、楽譜を探し回ったとのことですが
なんのことはない、三田の図書館にあったのですね(灯台下暗し)