12月18日(日)、自らの本番、「早慶歌合戦」を終え、池袋の東京芸
術劇場で開催された、ワグネル男声「現役」の定期演奏会へ(18時
開演)。
開演20分前に会場に入ると、そこには既にたくさんの方が来場され
ていた。ロビーでは知った先輩、後輩の挨拶する姿が散見される。
はるばる仙台、名古屋などから上京した人たちの顔も見える。
やはり、たくさんのお客様が来場されるとそれだけで盛り上がるとい
うものだ。入場率は90%とのこと。ステージからは満席に見えるだろ
う。
私の隣は同期のOさん(S49)だ。Oさんから「前の方にも同期が来て
るよ」と言われ、どれどれ?と顔を見に行くと、その同期から隣席を
「新しいパートナーです」と紹介された。「あ、どうも」と、それ以上突っ
込まなかった。
開演前にプログラムをパラパラとめくる。
「深く感謝」という趣旨で「維持会会員一覧」(368名)が掲載されて
いる(昨年は337名)。
昨年は「ついに60人を超えた(66人)」といっていたが、今年は「70
人」を超えた(以下、プログラム記載メンバーベース)。
<学年別>
4;16
3;14
2;21
1;21
計72人
<パート別>
T1;14
T2;25
B1;15
B2;18
計72人
<プログラム>
塾歌
1.A.ドヴォルザーク「ジプシーの歌」(福永陽一郎編曲)
指揮;佐藤正浩 ピアノ;前田勝則
2.組曲「ある真夜中に」
作詞;瀬戸内寂聴 作曲;千原英喜
指揮;野口遼太(学生) ピアノ;永澤友衣
3.「二つの祈りの音楽」
作詩;宗 左近 作曲;松本 望
指揮;雨森文也 ピアノ;松本 望、平林知子
4.オペラ『真珠採り』より(秦実編曲)
作曲;G.ビゼー
指揮;佐藤正浩 ピアノ;前田勝則
演出;鵜山 仁
音楽を言葉で表現するのはまことに難しく、以下、まことにつたないコ
メントになるが・・・・・・
<塾歌>
東京芸術劇場にはどん帳がない。18時ジャストに暗転。会場が静か
になる。「ただいまより第141回定期演奏会を開演いたします」という
アナウンスと並行して、下手より現役が入場してきた。
ざっと数えて、18人×4段かしら。
ややゆっくり目の「塾歌」が見事なアンサンブルで、きっちりと歌われ
た。力みはないようで、なかなか調子はよさそうだ。
余談だが、最近--といってもこの数年、私が現役時代に歌っていた
ものとは違う、現在歌われている版の「塾歌」の難しさが分かってきた。
1.A.ドヴォルザーク「ジプシーの歌」(概算演奏時間;14分)
指揮;佐藤正浩 ピアノ;前田勝則
ドヴォルザークの「ジプシーの歌」(ドイツ語版)は畑中先生/ワグネ
ルで何回も聴いているが、佐藤先生の指揮で聴くのは初めてではな
いかしらん。
私は聴かなかったが、これは今年6月の関西での「四連」(兵庫県立
芸術文化センター)でも佐藤先生/ワグネルで歌われている。
「四連」(あるいは「六連」)で取り上げた曲を定演で再演することは、
いいようで、ある意味難しい。--「歌い込み」と「歌い慣れ(崩れ?)」
という両面があるからかしらん。
人数的には、50人弱かしらん。3段である。
佐藤先生は、低めの指揮台に指揮棒を持たず、大きな指揮。結構難
しい楽譜をataccaで歌っていく--いい演奏で聴くと易しそうな歌に
聴こえるのが不思議だ。ピアノ伴奏との息もぴったり。
テナーソロ(2年生)も「アドレナリン」よろしく、見事に歌いあげた。他
のステージにも別のソリストが登場したが、Topでもソリストが何人も
いるのは、私が現役時代には考えられなかったことだ。
3年生以下はドイツ語の曲は初めてかしらん、とやや心配したが、杞
憂に終わる、見事な演奏だった。
終曲のラストでは多くの人からフライングの拍手が起きた(--最近
では、「余韻を楽しむために、タクトがおりるまでは拍手をご遠慮くだ
さい」と事前にアナウンスされる演奏会もあるのだが・・・・・・)。
2.組曲「ある真夜中に」(18分)
作詞;瀬戸内寂聴 作曲;千原英喜
指揮;野口遼太(学生) ピアノ;永澤友衣
この曲を聴くのは2回目だ。元々はNコン(高校生)の課題曲から組
曲となったようだが、ある意味では大人の曲だ。女声合唱曲のよう
に美しい(実際、女声合唱版もある)。
ピアノ伴奏は永澤さんがお元気そうに碧いドレスで登場。
全体的には、日本語のディクションも勉強の成果かしらん、なかなか
よかった。2曲目に何回か出てくる「あなた」という言葉の繰り返しが
少し難しいかな?4曲目、お互いに聴き合いながらのdim.に「お~」
となった。
<休憩時間>
コーヒーを飲みながら、同期のOさんと。そこへ1年先輩のSさんが加
わり、楽しく談笑。ふと心配になって、SさんとOさんに訊いてみた。
「お互い、誰だか分かってます?」
「(二人とも、久しぶりで)分かんない」
3.「二つの祈りの音楽」(21分)
作詩;宗 左近 作曲;松本 望
指揮;雨森文也 ピアノ;松本 望、平林知子
雨森先生の合唱を聴いたのは、平成21(2009)年の東京都合唱コ
ンクールだ。一人ひとりが声を出す、大きなデュナーミクのメンデルス
ゾーンが大変印象に残っている。
この曲は、今年の5月にCANTUS ANIMAEが初演(混声)したもの
を男声版に編曲したものだ。難易度はDクラスかしらん(Aが易しい
として)。→こちら。
19時10分、現役が入場。山台をほとんど使わない、変則的なフォー
メーション。松本さん、平林さんに続き、雨森先生が登場。雨森先生
は、深々と90度のおじぎをする。
演奏は平林さんのピアノから始まった。雨森先生は、ほとんど拍をき
ざまず、造型の大きい、没入型の指揮。合唱がよく付いていけるもの
だ(--先生が来られるまでの下練習も相当練習したのかしらん)。
シロウトが指揮ぶりだけを真似したら、グシャグシャになるだろう。
パトスの入った合唱。譜面づらの演奏にあらず、書道でいえば「楷書」
ではない。1曲目の最後、無声音による「出セナイ声ヲ出シテ」にはゾ
クゾクっとした。
1曲目が衝撃的だとすれば、ア・カペラで始まる2曲目は、出だしから
じわじわと心に染み入ってくるのが感動的だ。
最後は、長いゲネラル・パウゼ。雨森先生の指揮が再びゆっくり動き、
そして止まった。1秒、2秒、・・・・・・10秒以上あったかしらん。先生の
手がゆっくりおりると、間があってものすごい拍手となった。
ブラボーがなかったのも、この曲のエンディングにふさわしい。この日
のお客様は音楽をよく知っていると言えるのかもしれない。
なお、プログラムに掲載されていた作曲者松本望氏の言葉--
ワグネルの皆さんはきっと頭が良いのだと思いますが、賢い人が
整った演奏をする、というのではなく、時にはあえて整えることを捨
てて、声やアンサンブルが多少ぐちゃぐちゃになってでもとにかく表
現したいと思うことを強くやってみる、というリスキーな音楽作りを
期待したいです。
にハッとした。
4.オペラ『真珠採り』より 第1幕抜粋(22分)
作曲;G.ビゼー 編曲;秦 実 演出;鵜山 仁
指揮;佐藤正浩 ピアノ;前田勝則
ズルガ;茂木謙介、ナディール;河野泰佑
『真珠採り』は、36歳で亡くなったフランスのオペラ作曲家ビゼー25
歳の出世作だ。
ビゼーが『真珠採り』を作曲した時には、ワーグナーは既に『さまよえ
るオランダ人』、『タンホイザー』、『ローエングリン』などを作曲してい
た。
前述したようにフランス語は難しい。私は、現役時代、毎年ドイツ語
の曲をやったこともあり、ドイツ語には「多少」ナジミがあるが、フラン
ス語はまったくだめだ。
佐藤先生は、フランス物がお得意[の一つ]で、ワグネル定演でプー
ランクを2年続けて取り上げ、名演を残しているので、大いに期待し
て、会場に足を運んだ。
第3ステージから10分ほどの間があってから、現役が下手より黒や
濃いブルーなどの半そでシャツと黒ズボンで登場。佐藤先生も黒の
上下。
最初は全員が座り、前奏とともに少しずつ立ち上がる。演出は、ワ
グネル定演42年前の『真珠採り』のソリスト、鵜山仁さんだ。
「漁夫たちの合唱」から惹きつけられる。「Voala notre ~」の
「Voala」が実に柔らかく、すばらしい。続く、ズルガ(Bass)もやや
小柄ながら、立派な声だ。
ナディール(Top)は客席からの登場。第一声「Oui, Nadir」から見
事な頭声を出した。ズルガとの「友情の二重唱」から合唱に入るとこ
ろでは佐藤先生も大きく「柔らかく」振り、ステージがにじんでくる。
泣ける所だ--男同士の友情!ビゼーのメロディーがすばらしい。
続く、難しい「歓迎の合唱」も前田先生のリリシズムあふれる伴奏(!)
にのって、オリジナルを彷彿とさせてくれるようだ。
合唱部分は、自信ないフランス語ながら、今でも暗譜で歌える。
演出は照明効果を生かした、動きのあるものだ。
「偉大なる神ブラーマ」(プログラム記載の訳では「ブラフマー」となっ
ていたが。)の合唱もプロに勝らずとも劣らない。いったんコーラス
が後ろに下がり、山場のレチタティーヴォからナディールのロマンス
へ。この曲は歌手によっていろいろな歌い方があるようだけれど、
頭から上へ抜けるような、見事なテノール(小貫先生仕込み?)が胸
に迫った。
最後は、再び、全員での「偉大なる神ブラーマ」の大合唱(東京オペ
ラシンガーズも真っ青?)。
客席からブラボーの嵐と大拍手に会場が包まれた。
今年は、日本語、ドイツ語、フランス語と、それぞれにすばらしい演奏
だった。
カーテンコールに続き、佐藤先生がマイクを取る。
「こんなにもたくさんのお客様にご来場いただき有難うございます。
・・・・・・最終ステージを演出していただいた鵜山さんをご紹介します」
鵜山さんが、42年前の第99回プログラムを持って登場。
鵜山さんは
「いや、そんな。定演は現役のものですから・・・・・・。いや、どうなるか
なと思いましたが(笑)・・・・・・、本番はよくやってくれて・・・・・・。僕らの
時は、ただ突っ立って歌っていただけですから・・・・・・」
とまことに謙虚。
その後、雨森先生が登場。
「今日は11時からのリハーサルからお付き合いしましたが、カルチャ
ーショックと言いますか、外国語を発音するだけでも大変なのに言葉
が生きていることに・・・・・・」
いったん退場。アンコールはどなたから?・・・・・・となったが、
「2番目かと思ってました(笑)」と雨森先生が登場。松本先生の伴奏
で、三善晃編曲「夕焼小焼」。(上手く歌うには)まことに難しい曲だ
が、腹筋に支えられた、余裕ある演奏だった。平林先生がTopの最
前列で歌っておられた。
続いて、佐藤先生が「稀代の名曲」と--多田さんの「柳河」が、楽
譜づらをなぞった演奏とは異なり、スケール大きく歌われた。Topの
ソロ(この日3人目)も上手かった(--このソロは意外と難しく、満
足な演奏は少ないのだが)。
続く学生指揮者の野口さんは、これも多田さんの「雨後」。細工のな
い自然体の演奏で好ましかった。パートソロ受け渡しもなかなかだっ
た。--この曲は何回か聴いたことがあると思って必死に調べたら、
CDを所蔵していた(笑)。
最後は、客席の手拍子の中、学年別に並び直し、恒例の(?)カレソ
ン・・・・・・
・「若き血」(堀内敬三/昭和2年)
・「我ぞ覇者」(古関裕而/昭和21年)
・「丘の上」(菅原明朗/昭和3年)
が歌われた。
最前列の4年生は何人かが明らかに泣いていた。
毎年のことではあるが、どこか切り取った、3~5分の1曲だけではな
く、一つの団体で、最初から最後まで、これだけ密度の濃い合唱が
聴けるのは、合唱界広しといえどもそうそうあることではないのかも
しれない。たまたま生で聴いた人は幸運だ。それほどに、どこに出し
ても恥ずかしくない、高い水準の定期演奏会だった。
(--先生方の熱心なご指導の賜物であることは言うまでもない)。
私は、あらためて「感動は音楽にあるのではなく、演奏する者と聴衆
の間にあるものである」という言葉を思い出していた。
プログラム
17:35 東京芸術劇場
17:35 大勢の若者が・・・・・・他大学の学生?
17:36 1階からエスカレーターで5階へ
17:38 東京芸術劇場大ホール
17:39 花束、差し入れ受付も忙しそう。
17:39 大ホール入口
17:41 モニターより
17:42 開演前
20:48 終演後のエスカレーター
若い女子学生(?)同士が「すばらしかったわね~」と。
<レセプション> 西池袋 シュラスコ&ビアバーにて
最近は「打ち上げ」というより「レセプション」という言葉を使う方が多
いようだ。内容もそれに伴って変化しているのかしらん。
21:25 正式な乾杯までは食事に手をつけてはいけません。
現役諸君がお疲れの中、ボーイさんのようにお料理を運んできてくれ
るので、まことに恐縮してしまう。
(--お店側で最初からテーブルごとに取り分けてもらうとか、いかな
いのかしらん?)。
塩澤部長-吉川会長-澤口幹事長(乾杯)-佐藤先生-・・・・・・
21:56 佐藤正浩先生のスピーチ
雨森先生はじめ先生方の感動的なスピーチが続く。
先日お世話になった、東京二期会のMさん(H11)も来ていて、「やあ、
やあ」と固い握手。
彼と初対面で、「大先輩ですネ」と言われ、「OBとなりゃ、みんな同じ
だよ」と言っていたが、25歳くらい離れるとそんな感じになってしまう
かしらん。--私の25歳上は90歳以上だから(笑)。
22:20 鵜山さんのスピーチ
22:42 2組のナディールとズルガ(2016と1974)
おいらはナディール。レイラはいずこ?
お忙しいジャミン・ゼブの仲光さんから
「読んでますよ」
と言われ、一介のアマとしては恐縮!してしまう。
雨森先生ともみんなで少しく歓談。写真にも入っていただく。
まだまだ延々と続いていたが、23時10分、これ以上、ムリ、おじさん
死にそうと途中で失礼する。24時40分帰宅。長い一日にグッタリ~。
* * * *
<追記1> (・・・・・・読み飛ばしていただいても結構です)。
レセプションでも、鵜山さんがひと言スピーチし、「99回」の定演メン
バー(で当時4年生)が立たされた。鵜山さんのほかに、ピアノ伴奏
の岩渕さんや私を含め、9人だった。
(注)岩渕さんは、当時1年生だった。S53年卒になるのかな?
そもそも「99回」のオンステメンバーは、1~4年生85名だ。
4年生だけが声を出したわけではない。一人ひとりが精一杯の声を
出した。今年の定演然り。
OBともなると現役はそっちのけで、「あの時はああだった、こうだっ
た」と自分が主役のように長々とはしゃぎがちだが(--「見苦しき
ものは」は枕草子?)、謙虚で穏やかな鵜山さんに話していただい
て大変よかったのではないかしらん。
後からS60年卒のNさんが
「あれっ、S49年卒の98回じゃなかったんですか?」
「98回はインフルエンザでオンステしていないのよ。で、リベンジで
99回に3ステージオンステしたの(笑)(--当時は5年目も乗せて
もらえた)」(知っていながら訊いたのかな?)
今日では「99回」がいささか「神格化」されてしまってよろしくないが、
はたして当時の状況はどうだったのかしらん。
卒業時に、私が部内誌『ワグネリアン』に書いたエッセーが出てきた
ので、小林秀雄いわゆる「歴史は思いだすもの」として転記しておこ
う。
僕は今回の実演ほど歌い終えたあとの爽やかさを味わったことは
なかった。”最後の定演”では「絶対」泣くまい、と一週間前から心
に決めていた。--全員が泣いてしまったらアンサンブルはどうな
るンだ、と自分に言い聞かせて。
先日、今回の定演のステージ写真を見た。最終ステージ直後の写
真では、僕と同じTop最前列のU、N(自身の注;原文は実名)が半
ベソをかいている。それに比べて、なんと僕の顔は爽やかさに満ち
あふれていることか。泣こうと思えば泣けたかもしれない。しかし、
僕は泣きたくなかった。
大阪定演から東京定演までの一週間は実に長かった。前回(自身
の注;98回)は畑中先生が熱をおして指揮された。今回は木下先
生が棒をお振りになれるか、当日までわからなかった。ソリストの
U、Sの健康も心配だった。しかし、それもこれも、東京の最終のス
テージが終わった瞬間に忘れてしまった。
夏合宿から参加した僕をあたたかく迎えてくれた諸君にはあらため
て御礼を述べたい。(昭和50年3月)
<追記2>
以前にも書いたかしらん、当時の定演後の打ち上げパーティーで、
何人かがプログラムにサインしてくださいと先生方にお願いした。
プログラムを差し出した私の顔をチラッと見た畑中先生は、あっとい
う間に、プログラムの下記一文(*)の上に、万年筆でスラスラと、
「五年!!心からの音楽を作って来ましたね。君にはいろいろとお
世話になりました。 畑中良輔 定演の日」
と書いてくださった。42年前の「12月8日」がつい昨日のことのよう
だ。
(*)42年前のプログラム--畑中先生より(抜粋)
卒業する君たちは、一応「音楽する」ことから離れるだろう。しかし、
この四年間に培って来た「音楽する心」は、消えはしないだろう。い
や、消してはならないものだ。また数年で消えるようには、ぼくは君
たちを指導しなかったつもりだ。
人間が”生きる”ということの根源的な意味を、今夕、真剣にひとり
ひとりが自分に問いかけて欲しい。
日常性への埋没が、やがて君たちを待ち受けている。しかし、ワグ
ネリアンは、そこに埋没してしまってはワグネリアンではないのだ。
<追記3>
第99回プログラムにおける「私のラストメッセージ」
苦しみの連続、怠け心との戦い--それが大学生活のすべてであ
った。我がワグネル・ライフよ、さようなら。
大昔にこんなこと書いていたんですね~(笑)。
※「42年前がつい昨日のことのようだ」と書いたが、明治維新から日
露戦争までは「42年」以下の36年間であり、日露戦争から太平洋戦
争まででも37年間だ。
(99回定演の)東京厚生年金会館も今はなく、今や「歴史の世界」で
ある。
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