人生ブンダバー

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生誕125年信時潔とその系譜

2012-11-27 05:00:00 | 音楽

11月23日(金・祝) 雨模様。「生誕125年信時潔とその系譜」という演
奏会に出かけた(開演午後4:30 津田ホール)。

津田ホールは久しぶり!津田ホールは、昭和63(1988)年竣工、津田塾大学
千駄ヶ谷キャンパスにある音楽ホールで、定員は490名。二期会のコンサート
などに利用されている。私は、このホールでは、市原多朗、大岩千穂、澤畑恵
美さんなどの独唱会を聴いている。

この日は、ワグネルOBも出演する、冨田勲さんの新作交響曲「イートハーブ」
の世界初演コンサートと重なっていたが、私は3月の麻野恵子さんのリサイタ
ルで「生誕125年信時潔とその系譜」が開かれると知っていたので、あえてこ
ちらを優先することとした。

開場15分前(3:45)に津田ホールに着くと、自由席のため、既に長い行列が
できていた。信時潔ファンだろうか、私より年配の方が多いようだ。当日券も
売れていた。結果的にほぼ満席となったのではないかしらん。

開場後は、ひとまず私の好きな通路側の座席を確保し、ロビーをウロウロ。関
連CD、書籍の展示即売にひきつけられ、いくつか購入した。

4:20トイレから座席に戻ると、ステージでは洋楽文化史研究会戸ノ下達也さ
んの、当日の実行委員長大中恩(おおなかめぐみ)さん(T13年生、88歳)へ
のインタビューが始まっていた。当初、実行委員長は畑中良輔先生と決まって
いたが、5月に畑中先生が急逝されたため大中先生が引き受けられたもので
ある。

大中恩さんの合唱曲は、高校の合唱部時代よく歌ったものだが、当時は大中
恩さんがおいくつなのか(40代前半だった。)、また信時潔、畑中先生等々と
の関係もまったく知らなかった。大中さんの曲はワグネルでも学生指揮者のス
テージで『走れわが心』を歌っている。

  私は父(『椰子の実』の作曲者大中寅二さん)に音楽を専門的に勉強したい
  っていったらね、(父から)バカヤロ~、二代目にロクな奴はいねえんだって
  いわれちゃいましてね~。
  まあ、母がやらせてみたかったということもあり、昭和17年に東京音楽学校
  作曲科に入学しました。2か月ほど病気をして、6月末に登校したら、君の先
  生は信時潔先生だといわれ、その時初めて信時先生を知ったわけです。

  私がドビュッシー色に作曲したりすると、信時先生はそれを消しゴムでみん
  な取っ払って、つまらなく直す。私はコンチクショーと思いました。その時は、
  ただただ直されるのが嫌だった、と思ってください。

  先生は甲高い声で怒られる。すると先生の口からピアノの鍵盤の上によだ
  れが垂れるんですが、実際に弾いてみなさいとおっしゃる。手がベトベトに
  なりながら弾きましたよ。

神津善行(S7年生、80歳。奥様は中村メイコさん)さんも客席からステージに
登場。信時潔との係わりを話してくださった。
  ある時、四行詩を渡され、これで10曲作曲してきなさいと。2曲採用され、
  8曲落ちました。結局、10曲合格に5週間くらいかかりました。


<プログラム>(演奏順)
-器楽の系譜-
 <ピアノ>花岡千春
   信時潔《きえゆく星影》(1909、M42)
   信時潔《木の葉集》(1935、S10)
<ピアノ三重奏>
  ルツ・レスコヴィッツ(ヴァイオリン)唐津健(チェロ)寺嶋陸也(ピアノ)
   信時潔《かどでの朝》(1942、S17) 
<弦楽三重奏>  
  ルツ・レスコヴィッツ(ヴァイオリン)松美健太(ヴィオラ)唐津健(チェロ)
   下總皖一《ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロのための主題と変奏》
~休憩~
-声の系譜-
  栗山文昭(指揮)コーロ・カロス(合唱)寺嶋陸也(ピアノ)
 (留学そして帰国)
   ゲオルク・シューマン
    Beim Kindelweigen "Josepf, lieber Joseph mein!"
  「日本古謡」より《あかがり》(1920、T9) 《銀の目抜の太刀を》(1927、S2)
  《大島節》(1926、T12)
  《子等を思ふ歌》(1932、S7)
 (組曲の流れ)
  「櫻花の歌」より《吹く風を》(1932、S7)
 (音楽教科書への関わり)
  『新訂尋常小学校唱歌』より《遠足》、《動物園》(1932、S7)
  『新訂高等小学校唱歌』より《春の曲》(1935、S10)
 (戦争の時代)
  《海ゆかば》(1937、S12)
  《國に誓ふ》(1938、S13)
  -信時楽派の系譜①-
  下總皖一《春の雪》(1937、S12)
  下總皖一《野菊》(1942、S17)
  長谷川良夫「萬葉集」より《暁と》(1940、S15)
  大中恩《わたりどり》(1943、S18)
  《日本の母の歌》(1942、S17)
  《かどでの朝》(1942、S17)
 (戦後のいとなみ)
  《われらの日本》(1947、S22)
  《帰去来》(1948、S23)
  「東北民謡集」より《おばこ節》(1950、S25)
  -信時楽派の系譜②-
  大中恩「ピアノ伴奏による五つの歌」より《海の若者》
  高田三郎「わたしの願い」より《雲雀にかわれ》
  「沙羅」より《沙羅》



以下は私のつたない感想であるが、(自分の)記録としてとどめておこう。
*( )内の年齢は、作曲時信時潔の満年齢

-器楽の系譜-
<ピアノ>花岡千春
  信時潔《きえゆく星影》(1909、M42、22歳)
  信時潔《木の葉集》(1935、S10、48歳)
4:38花岡さんがいつもと変わらずゆっく~り登場、一礼後《きえゆく星影》を弾
いた。シンプルながら、意外と新しい音に聴こえた。終わるやゆっくり一礼。次の
《木の葉集》は「信時潔作品集成」で何回か聴いている。いまや花岡さんのレパ
ートリー。1曲目の力強いタッチから2曲目は優しくと、曲が次々に変化していく。
「港の灯」は親しみやすいメロディー。最後は超絶技巧だった。

<ピアノ三重奏>
  ルツ・レスコヴィッツ(ヴァイオリン)唐津健(チェロ)寺嶋陸也(ピアノ)
   信時潔《かどでの朝》(1942、S17) (ピアノ三重奏編曲版)
ああ、なんと心に染み入るメロディーだろう。ヴァイオリン、チェロ、ピアノとメロ
ディーが移っていく編曲がすばらしい。原曲が二部合唱であることはこの後で
知ることになる。

<弦楽三重奏>  
  ルツ・レスコヴィッツ(ヴァイオリン)松美健太(ヴィオラ)唐津健(チェロ)
   下總皖一《ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロのための主題と変奏》
5:04下總皖一さんの名前は活字で知っていた。ドイツ留学、かのヒンデミット
に師事した人だが、音として聴いたのは初めてだった(と、この時は思った)。
簡潔な曲ながらおもしろかった。(5:14まで)

~休憩15分~

-声の系譜-
  栗山文昭(指揮)コーロ・カロス(合唱)寺嶋陸也(ピアノ)
5:30上手から男性が一人登場、スポットがあたる。信時潔ヒストリーの短いMC
の間に、合唱団が両袖から三々五々ステージへ。(その後、曲と曲の間も合唱
団員のMCで繋がれた。)一人ひとりがステージ中央の信時潔の写真(スライド)
を見上げつつ、配置に着いた。指揮の栗山文昭さんも一緒に登場。女性(女声)
24人、男性(男声)18人だろうか--コーロ・カロスである。

ステージが明るくなり、最初の曲ゲオルク・シューマンとなった。

(留学そして帰国)
   ゲオルク・シューマン
    Beim Kindelweigen "Josepf, lieber Joseph mein!"
バッハの伝統を引き継ぐ、がっしりした合唱曲だったのではないかしらん。合唱
団は譜面持ち、ソフトなドイツ語ながら、語感もまずまず(?)いい合唱だった。

  「日本古謡」より《あかがり》(1920、T9、33歳) 《銀の目抜の太刀を》(1927、
  S2、40歳)
  《大島節》(1926、T15、39歳)
  《子等を思ふ歌》(1932、S7、45歳)
このホール規模にあった、子音のボリュームが実に見事で、明晰な日本語を聴
かせてくれた。すみだトリフォニーで聴く栗友会の独語は、オーケストラに負ける
弱い子音に不満足だが(--このことは以前何度か書いている。もっともブリュ
ッヘン指揮ではよかったので、アルミンクの責任が大きいのかもしれない。)、こ
の日の日本語にはその印象が消えうせた。
《子等を思ふ歌》では左右のフォーメーションを変更、女性が前列となった。

(組曲の流れ)
  「櫻花の歌」より《吹く風を》(1932、S7、45歳)
女声合唱が見事なレガートの中にも、はっきりした「言葉」を歌ってくれた。レガ
ートと言葉の両立は難しい。コーロ・カロスを聴くのは初めてだが、ここまでの
印象、これはかなりのレベルである(といっては失礼かしらん)。とくに女声がす
ばらしい、カナ。(栗山さんはここでいったん退場)。

(音楽教科書への関わり)
  『新訂尋常小学校唱歌』より《遠足》、《動物園》(1932、S7、45歳)
  『新訂高等小学校唱歌』より《春の曲》(1935、S10、48歳)
ピアノ伴奏に合わせ、暗譜の合唱。男女まじりあったフォーメーション--女声
の歌いだしから混声に。3曲とも、子音の音量が適正、すばらしい合唱で、私の
目からはジワ~っと涙があふれ出した。母に聴かせたら喜んだことだろう。

(戦争の時代)
  《海ゆかば》(1937、S12、50歳)
  《國に誓ふ》(1938、S13、51歳)
《海ゆかば》を生で聴くのは初めてである。ゆっくりした、これしかないと思わせ
るテンポ。「死なめ」の「sh」が美しい。「かへりみはせじ」のややクレッシェンドで
スパッと終わるところがたまらなかった!

 -信時楽派の系譜①-
  下總皖一《春の雪》(1937、S12)
  下總皖一《野菊》(1942、S17)
《春の雪》はむろん初めて聴く曲。(忘れられている?)いい曲はいくらでもある。
《野菊》ってこの曲だったのか?1番は女声合唱、2番は男声合唱、そして3番
に混声となる。私には栗山さんの指揮姿しか目に入らなかった。

  長谷川良夫「萬葉集」より《暁と》(1940、S15)
栗山さんがいったん退場、合唱団のソプラノ・ソロが不安げなく、きっちり歌い上
げた。

  大中恩《わたりどり》(1943、S18)
栗山さんが現れ、大中さんが出征する前に作った、初期のシンプルな作品が演
奏された。歌い込んだのだろう、栗山さんが細かく振らないのに、ディクションが
そろった、いい合唱だった。

  《日本の母の歌》(1942、S17、55歳)
暗譜による合唱。なぜかしらん、涙があふれてきた。
  《かどでの朝》(1942、S17、55歳)
ピアノ三重奏版の原曲。1番、3番男声二部合唱、2番のテノール・ソロは若々し
い声で歌ってくれた。「老ひたる母は 縁に立ち 手をかざし 見送りたまふ」に
ジ~ンと来た。(いつの時代もこの感情は同じかしらん?)

(戦後のいとなみ)
  《われらの日本》(1947、S22、60歳)
12月4日の洋楽文化史研究会でも耳にした曲。「信時潔作品集成」にも収めら
れている。信時潔の4拍子!である。なんといえばいいのかしらん、(いい悪い
は別として)戦争の時代が終わり、占領下(オキュパイド・ジャパン)ではあった
が、新しい憲法が生まれる喜びに満ちている。よく聴き取れる歌詞を感動で歌
い上げた。
  《帰去来》(1948、S23、61歳)
作詩は(北原)白秋で1941年。1948年の白秋の命日に合わせ作曲された曲。
毎年、柳川の白秋祭で歌い継がれているという。ゆったりしたテンポ、いわゆる
ベタハモリだが、意外と難しいだろう。legatoながら言葉がハッキリした合唱だ
った。正面スライドに文語の歌詩が映し出されたのは大変よかった。
  「東北民謡集」より《おばこ節》(1950、S25)
混声ア・カペラ。「こら~え~ちゃ~ こら~え~ちゃ~」の、音なしの合いの手
が、アクセントの中にも品格があった。

  -信時楽派の系譜②-
 大中恩「ピアノ伴奏による五つの歌」より《海の若者》
まさしく高校時代に歌った曲。微妙なアゴーギクとほどよいデュナーミクでディ
クションにも優れた、大人の合唱だった。高校生にも歌える合唱曲をこのよう
に歌えることを示してくれた。

  高田三郎「わたしの願い」より《雲雀にかわれ》 
   (「高」は正式にはハシゴの「高」)
高田さんらしい「選詩」と曲である。有名曲だが、私は初めて聴いた。長い曲
--譜面持ちながら、感動的な曲を感動的に、入魂の演奏を聴かせてくれ
た。(これらの曲をどれくらい練習したのだろう。週1の練習ではないハズで
ある。)

  「沙羅」より《沙羅》
プログラムに記載された順序を変更し、「沙羅」から一番難しい《沙羅》が、アン
コールのように最後に演奏された。これは最近おさらいしたばかりのせいか、
曲の後半に<やや>(「やや」だけれど(笑))不満を覚えた。

最後は栗山先生が合唱団の中に入り、全員で客席に一礼。拍手が続く中、先
生と合唱団も正面中央の信時潔のスライド写真に向かって拍手を行い、お開
きとなった。(6:48)
この企画にコーロ・カロスを招いたことは「大成功」だったのではないかしらん。
ライブ録音が発売されないものだろうか。



信時潔の曲をまとめて聴いた(*)が、どれもが名曲。何回聴いても飽きないど
ころか、聴けば聴くほど味が出てくるものではないかしらん。(噛むほどに味が
出る昆布のごとし?)
柳兼子さんが、山田耕筰を歌わず、信時潔を歌い続けた理由も分かるような気
がする。
(*)畑中先生の企画「青の会」で信時潔をまとめて聴いたのは、平成17
  (2005)年没後40年だったかしらん。

プログラム冊子の「信時潔とその系譜」は資料的文献としても価値があるだろう。

会場では木下保先生のお嬢様(といっても私より年上カナ。)の昌子先生と歌子
先生のお姿も拝見した。


当日のプログラム冊子




千駄ヶ谷駅前 左に津田ホール


津田ホール


(津田ホールHPより)


開演前の行列


ロビーでの展示即売風景


開場後のロビー風景
右手前で挨拶されている後姿は本公演のアドヴァイザー信時裕子さん


ロビーから見た千駄ヶ谷駅前



この日、会場で購入したもの・・・・・・


先行販売の信時裕子編『バッハに非ず』(アルテスパブリッシング)2400円+税

雑誌『心』に掲載された信時潔の随筆などをまとめたものである。

雑誌『心』の名前は懐かしい。
昭和23年同誌創刊時の同人に小泉信三さんが参加していたからである。当
初、これらの同人の多くは岩波書店の雑誌『世界』(昭和20年創刊)に集まっ
たのだが、たしかいろいろあって、あらたに同人誌『心』を創刊することになっ
た--と、学生時代、小泉信三全集で読んだ記憶がある。
『世界』はその後どんどん「変質」していったようだ。

ちなみに北原白秋;明治18(1885)年生、山田耕筰;明治19(1886)年生、
信時潔;明治20(1887)年生、小泉信三;明治21(1887)年生、三木露風;
明治22(1889)年生であり、これらの人々は私の祖父母と同世代。終戦時
は(北原白秋は亡くなっていたが、皆さん現在の私より若い)50代後半だった。

信時潔が『心』の同人だったとは知らなかった。
また信時潔は読書家であり、人柄あふれる文章家であったようである。
本書に収められた随筆から、私はそれを感じるのである。


終戦60周年 信時潔没40年記念CD「海ゆかばのすべて」KICG3228
3000円+税


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