8月9日(日)東京文化会館小ホールで、藍川由美「古関裕而を歌う」
を聴いた。
今年は古関裕而生誕100年、没後20年である。650席の会場は9割く
らいの入りであ ろうか、70歳以上のお客さまも多かった。(ピアノ;
森美加)
プログラムには「古関裕而作品を歌うわけ」として、4000字にのぼ
る藍川さんの原稿が掲載されていた。
いかにも強い問題意識を持つ藍川さんらしい。
前半は黒を基調としたドレス。時には左手を上げ、時には両手を広げ、
全身でリズムをとりながら歌っていく。強いカンタービレである。
藍川さんはリリコというよりは、どちらかといえばリリコ・スピント
といえるのではないだろうか。
いつもながら明晰な発声・発語だった。
1.福島セレナーデ(昭和4年)
2.柿(昭和3年)
3.子守唄(昭和初期)
4.母なる海(昭和初期)【賛助出演;亀井淳一】
ワグネルOBの亀井さん(テノール)を迎えて、珍しい二重唱を歌
った。亀井さんも“好調”で大健闘、藍川さんが変化を付けていた。
声質も合っていたかな。
亀井さんは「かなり昔」から藍川さんのオッカケとのこと。
5.山桜(昭和5年)
陰旋の歌。今回はこれもよかった!目をつぶり、左手を動かしなが
ら、“純粋なイメージ”を歌った。
6.船頭可愛や(昭和10年)
昭和3年「波浮の港」以来の新民謡ブームに乗って、陽旋で作曲され
た曲を、目をつぶり、全身全霊の没入型で歌い上げた。
戦時歌謡を歌う思いについて、少しく藍川さんのお話があった。
なお、ピアニストの森さんは昨年に引き続きお住まいのウィーンか
らの参加だという。
7.海の進軍(昭和16年)
8.若鷲の歌(昭和18年)
「若い血潮の予科練の」。全身を使った絶唱。高齢のご婦人が盛ん
に涙を拭っていた。お兄さんかどなたかが予科練生だったのだろう
か。あらためて平和を思う。
9.海を征く歌(昭和18年)
大木惇夫作詩。なぜか小泉信三の長男信吉の戦死を思い出した。
10.月のバルカローラ(昭和14年)
コロラトゥーラのための曲らしい。「私には軽すぎるのですが」と。
おもしろかった。
<休憩 15分>
11.三日月娘(昭和21年)
私の大好きな曲!後半は黒に白のドレス。身体でリズムをとり、明
晰な言葉だった。藍川さんの「イ」は好きだ!
(この後、藍川さんから「歌っているときは恐縮ですが、バッグの
開け閉めはなさらないでください」との“注意”があった。)
12.雨のオランダ坂(昭和21年)
13.とんがり帽子(昭和22年)
当時5、6歳の子供たちは、いまは70歳前であろうかと思いながら聴
いていた。
14.栄冠は君に輝く(昭和23年)
これも大好きな歌。左手と右足でリズムをとり、大きく歌い上げる。
拍手が多かった。
15.フランチェスカの鐘(昭和23年)
菊田一夫と「戦死者への贖罪の気持ち」と古関の「鎮魂の鐘」が歌
われた。
16.イヨマンテの夜(昭和24年)
全身をゆすり、両手を広げ、伊藤久男に勝るとも劣らない熱唱。
17.君の名は(昭和27年)
18.黒百合の花(昭和28年)
ピアノとの合わせが難しい曲だが、うまく伴奏していた。
19.長崎の鐘~新しき朝の(昭和24年)
今回は「長崎の鐘」を最後に持ってきた。この歌の前半が意外と難
しいが、最初の「長崎の」を十分テヌートし、1番から4番までのフ
ルコーラスを熱く歌い上げ、「新しき朝の」につなげた全力投球だ
った。
(当日は、いうまでもなく、長崎原爆の日であった。)
「長崎の鐘」の後のアンコールは行わず。長年続けた「古関裕而を歌
う」はひとまず終わり、来年から新しい企画をスタートさせるが、今
後も8月に「長崎の鐘」 を歌っていきたいという趣旨の説明があった。
終演16:40。もう少し聴きたいなと思う、ちょうどいい長さだった。
ロビーに出たら、CDを買い求めるお客さんでいっぱいだった。
昨年8月の演奏会については→こちら。
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