佐伯啓思『経済学の犯罪』(講談社現代新書)★★★★
1月21日(月)の「産経新聞」朝刊(--「産経」は朝刊しかない。)で佐伯啓
思京都大学教授が「アベノミクスは成功するか」という2400字程度の論文
を寄稿していた。ごく簡単に要約すると、「アベノミクス」は短期的には正しい
選択だ。しかし、長期的には不安材料があり、それは経済のグローバル化か
ら来ている。長期的にはグローバル化からある程度距離を置かなければな
らない、ということになる。
その佐伯さんが昨年(平成24年)8月に発刊した『経済学の犯罪』(講談社現
代新書)を読んだ。
佐伯さんの主張は次のとおりである。
1.アダム・スミスは、単純に「自由貿易が国民全体の利益になる」などとはい
っていない。
2.「自由貿易が国民全体の利益になる」という命題は、現代ではそのままで
は成り立たない。
3.「自由貿易の教義は世界が経験してきた共有の理解だ」というのは間違っ
ている。
4.「日本自身これまで、自由貿易で最も大きな利益を得てきた」という点もそ
のままでは正しくない。
内容的には結構難しいが、竹中平蔵さんとは意見が違う、ようだ。
手元に原典がないが、経済学のことわざに「経済学者が10人いれば、経済政
策の意見は10個ある」という趣旨のものがなかったかしらん(笑)。
ちなみに佐伯啓思さんは昭和24年生まれ。私と同世代である。
そのまたちなみに竹中平蔵さんは昭和26年早生まれで、私と同学年である。
立花隆『天皇と東大 Ⅲ特攻と玉砕』(文春文庫)★★★★★
おおむね昭和8(1933)年から昭和20(1945)年までに起きた問題につい
て、やや雑然ながらテーマ別に説明している。高校日本史の教科書でいえ
ば、1行で終わっている問題が、当時の資料なども豊富にリファーして記述
されている。
事実は常に複雑であるが、私なりに、ごく簡単にこの時代の「流れ」をまとめ
ると、
昭和初期 マルクス・レーニン主義の影響、左翼隆盛(ちなみに大正11年
にできた日本共産党[コミンテルンの日本支部]は非合法)→左右の対立
→右翼・軍部の攻勢
ということになるのかしらん。
蓑田胸喜は、昭和21年に亡くなったこともあり、私は知らなかったが、やた
らと「あいつはアカだ」というレッテルを貼った人だったようだ。
(後年、「日本のマッカーシー」(細川隆元)といわれた。)
(レッテルを貼るのは、いろいろな意味でよろしくない。それは、「思い込み」、
「偏見」と一体である。それを研究したのがS.I.ハヤカワの『思考と行動に
おける言語』である。)
本書に河合栄治郎が出てくる。河合栄治郎は、私も学生時代に『学生に与
う』などを読んだが、二・二六事件を真の勇気をもって批判した自由主義者
だった。二・二六事件を批判したのは河合栄治郎一人といっても過言では
ないかもしれない。→こちら(ご参考)。
今から考えればまことにもっともな議論なのだが、今日でも、電車の中で無
法な振る舞いをしている者に直接注意することもなかなかできないことを考
えれば、当時それがいかに勇気のいることだったか、と思う。
本書の登場人物は次のとおり。私が調べた生年(西暦ベース)を( )内に
記す。
昭和初期~終戦間は明治生まれの人々の「活躍」した時代だった。
穂積八束(1860)
一木喜徳郎(1867)
平沼騏一郎(1867)
筧克彦(1872)
美濃部達吉(1873)→1935(S10)天皇機関説問題
平賀譲(1878)→1939(S14)平賀粛学
上杉慎吉(1878)
鳩山一郎(1883)→1933(S8)滝川事件
末弘厳太郎(1888)
大内兵衛(1888)
南原繁(1889)
土方成美(1890)→1939(S14)平賀粛学
田中耕太郎(1890)
河合栄治郎(1891)→1939(S14)東大教授辞職
滝川幸辰(1891)→1933(S8)滝川事件
末川博(1892)→1933(S8)滝川事件
矢内原忠雄(1893)→1937(S12)東大教授辞職
蓑田胸喜(1894)
平泉澄(1895)
蝋山政道(1895)
横田喜三郎(1896)
矢部貞治(1902)
大河内一男(1905)
安井琢磨(1909)
(注)山川出版社の高校教科書『詳説日本史B』(2008年版)では、「思想・
言論の取締りも強化され、共産主義ばかりでなく、自由主義・民主主義
的な学問への弾圧事件もつぎつぎにおこった」(p326)と書かれている
が、河合栄治郎、蓑田胸喜、平泉澄などは登場しない。
林健太郎『昭和史と私』(文春文庫)と照らし合わせると、より理解できるか
もしれない。
(林健太郎『昭和史と私』は以前取り上げたことがある。→こちら。)
林健太郎『昭和史と私』(文春文庫)★★★★★
「現在」から昭和10年前後の日本を批判するのはたやすいかもしれない。
しかし、ではあの時にどうすればよかったのか?となると、なかなかに難し
い問題である。
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いつから「老人」になるのだろう?
夏目漱石や三島由紀夫の小説では50歳くらいの「老人」という表現があっ
たようだが、世界保健機構(WHO)では65歳以上を「高齢者」と定義して
いる。それによると、65~74歳が前期高齢者、75~84歳が後期高齢者、
85歳以上が末期高齢者という即物的な名称で区分されているようだ。
したがって、現在では65歳以上が「老人」ということになる。
一方、「働き盛り」を辞書で調べると「おおむね35歳から64歳まで。壮年期」
と書かれているものがある。してみると、64歳の「壮年」から1年経つと一気
に「老人」になってしまうのかしらん(笑)。
「年長者は自分が青年だった時の心理を忘れ勝ちである」(小泉信三)は私
の好きな言葉だが、「老人だれにでも青年(青春)時代はあった」といえる。
これに関連して、
「青春」という詩をこのブログでも取り上げた。→こちら。
私は、始まりは宇野収氏と作山宗久さんかと思っていた。しかし、原典には
当たっていないが、どうもこれは松永安左エ門さんがマッカーサーからもら
ったものらしい(という説がある)。
実際、「青春は人生の或る期間を言うのではなく、心の様相を言うのだ」と
いう松永安左エ門さんの格調高い訳文もあるようである。
こちらのブログもご参照。(リンクを貼らせていただいた。)
* * * *
1月23日(水) 朝、ベローチェで立花隆『天皇と東大Ⅲ』を読む。
1月24日(木) 池袋にてOB合唱団の練習。畑中先生追悼曲である多田
武彦作曲『草野心平の詩から』の練習に熱が入る。この日は、No.5、4、
3、1曲の順で練習した。音程の確認が中心で、強弱などの表情はまだま
だである。
この曲のCD(畑中良輔指揮/慶應ワグネル)も何回も聴いているが、第
5曲「さくら散る」の微妙なデュナーミクとテンポの揺れ(畑中先生は「森進
一」といっておられた。楽譜に書けない部分である。)は忘れることができ
ない。
この楽譜の冒頭に書かれている「すぎしものへ」という畑中先生の文章は、
何度読んでも感動する。
その夜も、私は北支の茫漠たる平野の只中に置かれていた。その数日、
私達は貨車の中につめこまれ、北支から中支へと南下をつづけていた
のだ。(略)
× × ×
十数年前、ぼくを過ぎ去ったこの風景を、ぼくは完全に忘れていた。
(略)
ぼくの心の中にあるパトスの世界が、今晩この曲の中に満ち溢れる
に違いない。それはぼくの失われた日のための挽歌であるかもしれ
ない。
今まで何回も読んでいるが、今回あらためて読み直し、戦時中(昭和19年
ごろかしらん。)の「過去」と、昭和36年初演時の「現在」では、主語が客観
としての「私」と主観としての「ぼく」に使い分けられていることに、遅まきな
がら気づいたのだった。
初演時、畑中良輔先生は39歳、多田武彦先生は31歳だった。
畑中先生は、この曲を本当にお得意とされていた。NHK FMでも「私が
得意としておりますので・・・・・・聴いていただきましょう」と紹介されたので
はなかったかしらん。
このブログをまとめながら、久しぶりに『草野心平の詩から』(昭和46年2月
17日録音版)を聴いて、新鮮な気持ちになった。(この盤では私も歌ってい
る。)
当時のLPジャケット
<余談・・・>
この組曲の第1曲は「石家荘にて」であるが、私の父(大正7年生)は、大
学卒業後、昭和18年11月東部第64部隊(佐倉)入隊(25歳)。19年2月
第35師団(「東」)の中隊配属。(その後、東兵団自体はニューギニアへ転
戦)。
19年4月~11月石門(石家荘)の予備士官学校。卒業後20年1月第117
師団(師団長鈴木啓久中将。通称「弘」)の中隊配属、だったようだ。
その後、北支をウロウロ(?)、終戦間際に所属部隊が当時の「満洲国」の
関東軍に編入され(?)、ソ連の捕虜となり、シベリアで強制労働させられ
る(--これはむろん国際法上問題である。)ことになるのである。
この日の夕食 野らぼーさんの讃岐うどん
OB練習風景 ただいま休憩中
1月25日(金) 銀座の交詢社にて、今年9月23日(月・祝)に開催される「ワ
グネル ガラコン」の選曲を昭和48~51年卒7人で行う。意外にスムースに
決まった。その後、ビアホールのライオンへ。皆さんと会うとすぐ40年前の学
生時代に戻ってしまう。(皆さん、夜更かし、お元気ですね~[笑]。)
交詢社入口 ここから9階へ上がる。
銀座7丁目 ビアホールライオンはまったく久しぶりだが、昔と変わらない。
(以下2枚)
1月26日(土) そろそろ花粉症がはじまっているヨウダというので、近所の
耳鼻科へ行ってびっくりタメゴロー!患者は超満員。とりいそぎ薬の処方箋
だけ頂戴して無事終了。
その後、久しぶりにモスバーガーで昼食。
1月27日(日) 終日、機嫌よく、CDなどをかけて楽しむ。
○R.ワーグナー「タンホイザー」Overture & Bacchanal
R.シュトラウス「四つの最後の歌」(C.シェーファー)
指揮;C.ティーレマン ベルリン・ドイツ・オペラ管弦楽団
(2004/2/2ライヴ録音)
「四つの最後の歌」は名演が多いが、C.シェーファー(Sop.)の演奏もそ
のひとつとして指を折ることができるだろう。
ライヴ録音だが、師匠であるディートリッヒ・フィッシャー=ディースカウ譲り
の、明晰なドイツ語と知的な(品格ある、といった方がいいカナ。)歌唱にひ
きつけられる。
シェーファー38歳絶好調[期]のライヴ録音といえるのではないかしらん。
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なるほど「金魚」も難しいですね~。比較的新しい和音かしらん?
しかもメロディーが次々に受け渡されて行きますね~。その意味ではベースが大変かな~?