11/19(土) 台湾の夜明けだ。台湾2日目。朝4時半に一瞬目が覚めた。5時半
に起床。同室のBさんは既に起きて本(池井戸潤)を読んでいた。テラスからの眺
めを楽しむ。圓山大飯店は丘の上にある。日本統治の時代には神社(台湾神宮)
があったらしい。戦後、迎賓館として建てられた由緒あるホテルである。昔はいま
よりさらに格式が高く、中国語しか通じなかったという。
7時から1階レストランで朝食。台湾もバイキング形式だ。バイキング形式は帝国
ホテルが始めたものだが、台湾にも広がっていた。チベットの団体もおり、大混雑。
レストランが広くて、どこにどのような料理が置かれているのか要領を得ず、最初
はウロウロしてしまった。朝食は食べ放題とはいえ、あっさりとすませる。その後
はホテルの前庭を散策。晴れており、気持ちがいい。
朝食時の会話--「そういえば、以前4人でゴルフしたことがあったね~」、「いつ
でしたかね~」
2日目の予定はJTBに申し込んだ、バスによる「市内観光(ガイド付き、昼食の飲
茶付き)」。このオプショナル・ツアーはなぜなのか1,000円(!)というサービス
料金である。ロビーで待っていると、約束の8時50分にガイドの陳さん(女性)が
やってきた。さっそく大型観光バスへ搭乗。バスはいくつかのホテルを回って来た
らしく、ほかのJTBツアー観光客と一緒になった。
まずはバス内で陳さんの自己紹介と台湾の歴史の話。400年を駆け足で振り返
る。
「日本は台湾を武力侵略したわけではありません。(たしかに日清戦争の結果、
割譲されたものである。)台湾は親日なんです。ところが、第二次大戦後、1949
年蒋介石(外省人)がやってきて、本省人を支配しました。だから本省人は外省
人を恨んでいるところがあるんです」(実際、戦後には中華民国軍隊すなわち蒋
介石軍が本省人を虐殺する事件が発生している。(二二八事件))。
「今日は晴れていますが、天気予報では降水確率100%なんですよ。予定を変更
して、晴れているうち、忠烈祠(ちゅうれつし)から回りましょう。9時から衛兵の交
代式があります。雨の場合、交代式はすぐ終わる。晴れていれば、ゆっくり見るこ
とができる。たくさん人がいますから、この旗についてきてくださいネ。この旗、私
が産休中に作ったものです」(サンキュー)。
忠烈祠は戦死した約33万人の将兵などの霊を祀ってある。日本でいえば靖国
神社だろうか。毎日正時ごとに衛兵の交代式が行われている。8時55分に現地
に着くと、すでに多くの団体観光客が集まっていた。9時ちょうどから交代式が始
まる。交代する衛兵の一糸乱れぬ動きに感心する。おもしろかった。
ゆっくり30分交代式を楽しんだ後、中正紀念堂へ。中正とは蒋介石の名前だ。台
湾(中華民国)の初代総統であった蒋介石を顕彰し、1980年に建てられた。紀念
堂の階段は89段。89歳でなくなった蒋介石の年齢と同数になっている。民進党
政権の2007年、「台湾民主紀念館」と名称が変わったが、また元へ戻されている。
「正面の額を書き換えるのに税金が200万円もかかります」。ガイドの陳さんの説
明について回る。陳さんは知識も豊富だが、日本語も達者である。
(注)台湾(中華民国)の総統は、蒋介石→蒋経国→李登輝→陳水扁→馬英九と
いう順。次の選挙では馬英九が破れるかもしれないといわれている。
10時30分、中正紀念堂を後にし、総統府を車窓から見る。総統府は日本統治時
代、1919年に台湾総督府ビルとして建てられた。現在は台湾の総統官邸として
使用され、国定古蹟に指定されている。陳さんによると台湾は親日で、日本統治
時代のレンガ造りを大切に保存しているという。赤レンガの東京駅ができたのが
1914年で同じ時代の建物。「東京駅の兄弟といわれています」(陳さん)。
10時40分、次の目的地龍山寺に到着。龍山寺の建立は1738年。台北で最も古
い寺である。本殿が仏教で観音菩薩、後殿が道教で媽祖(まそ。道教の女神)、関
帝(関羽)などを祀っている。道教はいろいろな神様がいるらしい。その点、日本の
神道と似ているのではないかしらん。ゲルマンの古代宗教も、いろいろな神様(ワ
ーグナー楽劇の世界)があり、一神教ではないようだ。
龍山寺境内は参拝の人でいっぱいだった。日本でいえば浅草寺のイメージかしら
ん。若い台湾人の参拝客が多いのに驚く。みな、長い線香を持って拝んでいる。境
内にはお供えを置く場所があり、参拝したらお供えを持って帰る風習だそうだ。拝
むときは、名前と住所をいう必要があるが、「神様には何語でも通じるから大丈夫」
だそうだ。ここでも30分、ゆっくりできた。ゆっくり見て回れるのはあわただしくなく
ていい。
「次の迪化街(てきかがい)は日本統治時代に発展。その後は発展から取り残さ
れました。レトロな雰囲気です」
11時20分、迪化街(てきかがい)へ。漢方薬や乾物を売っている。このあたりも昔
の建築が多い。予報どおりぽつぽつと雨が降り出した。
「ここ一週間は毎日雨。異常気象です」
「台湾は共働き、子供はしゅうとめが見てくれる。時々『陳さん、包丁持っているの
?』ときかれます。包丁持っているけれど、使うのは夫婦喧嘩の時ぐらい(笑)。出
産後はプーアール茶で痩せました。今でもボトルに入れて飲んでます」。
11時50分、台湾茶の実演販売店へ。女性(年齢不詳。写真参照)から、いろいろ
な台湾茶を入れてもらう。「ハオツー、ハオツー」と飲んでいたら、「飲み物の場合は、
ハオハー」と注意された。私は金萱(きんせん)烏龍茶を購入。5つ買うと1つおまけ
してくれるというので、友人3人でまとめ買いをした。
12時50分、アンバサダーホテルで飲茶の昼食。(--これも1,000円のツアー料
金に入っている。)トイレでズボン下を後ろ前に着てきたことに気づき、一日中不自
由した。
台北市内観光で見かけた--セブンイレブン、ファミリーマート、スターバックス、吉
野家、モスバーガー、牛角、三越など。
午後2時5分、故宮博物院へ。雨が本降りとなる。やはり忠烈祠は朝見ておいてよ
かった。ここでも陳さんが詳しく説明して回ってくれた。ここでは専用のイヤホンを
付け、陳さんの小型マイクで話す解説を聴くことになっている。故宮博物院は広い
ので、ガイドがいなければポイントが分からないだろう。「ウインドウにくっついて見
てくださいね。日本人は遠慮深いですが、中国人は割り込んできますから」(ここで
いう「中国人」は中華人民共和国の人々のことだ。)。
清時代の彫刻「翠玉白菜」、「肉形石」に感動。意外に小さなものだ。長さ3.4cm
のオリーブの種に彫刻した小舟にも驚いた。もっとも驚いたのは、象牙を掘り出し、
21層の玉(透かし彫り)になっているものだ。職人が3代100年以上かけて制作
したもので、現在は制作不可能といわれている。いずれも撮影禁止である。
同じツアーの女性(60代?)が陳さんに何か質問したらしい。
「私たちは台湾人です。野球の王(貞治)さんは台湾人です。国籍を変えていませ
んよ」
4時10分から30分間、免税ショップへ。ヨーロッパの、いわゆるブランド物がたくさ
んあったが、何も買わなかった。
最後に各ホテル4つを巡り、圓山大飯店へは5時に戻った。友人と話しながらロビ
ーを歩きながらポケットを確認、カメラがないのに気づき、おおあわてで玄関に戻
ったら、まだバスが止まっており、座席でカメラを発見、やれやれ一安心となった。
パスポートには気をつけているのだが、多少疲れていたのだろう、注意散漫となっ
ていた。
部屋で一服し、6時半からホテル2階の飲茶料理「圓苑」にて4人仲良く夕食。Aさ
んとBさんに適当に注文してもらう。ここもまことにリーズナブル。円高のせいだろ
うか、台湾の食事は安く感じる。
台湾は、「観る、食べる、買う(shopping)」と3拍子そろった観光地だ。
部屋の戻ってから、また4人で軽く飲む。おしゃべりとともに夜は更けていった。
部屋からの眺望
朝食は軽めに
右側に並んでいるのがチベットの人々(赤紫の服)
ホテルの玄関から正門を眺める
ホテル正面
ホテル玄関
圓山大飯店前には結婚式新郎新婦用の車(2台目)が止まっていた
お世話になったガイドの陳さん
忠烈祠(ちゅうれつし)入口
衛兵はまったく動かない 写真撮影はいいが、触ってはいけない
9時右側から衛兵たちが出てきた これから交代式が始まる
掛け声もかけずにそろって行進
本殿へ向かう
皆さん動かぬ衛兵と記念撮影
二人を残し、また元へ戻ってきた
集合場所 陳さん手作りの旗
交代式終了後、団体客でごったがえしていた
これより中正紀念堂
陳さんの説明に力が入る
国家戯劇院(劇場)
国家音楽庁(オペラ座)
89段の階段を人が登っている
「八角形の屋根は、忠、孝、仁、愛、信、義、和、平を象徴していますよ」
左がオペラ座 右が劇場
中正紀念堂上より
紀念堂での衛兵交代式
蒋介石の像
銅像後ろの文字は 向かって「学科 主民 理倫」(右書き)
倫理、民主、科学は三民主義に基づく
「友好の桜 海部俊樹」 中央大学学員日華友好会2005年2月22日
これは何の花かしらん
ガジュマルの木
正面に総統府が見えてきた
バスより「台湾親日だから日本時代の建物大切にしていますよ」
2010年ショパン・ピアノ・コンクール第1位の アヴデーエワ 12/1演奏会案内
龍山寺の門
お供え物の置き場所
こちらが本殿
こちらは後殿 道教
みんな長いお線香を持っている お線香は無料
友人はどこへ行ったかな
迪化街(てきかがい) レンガ造りの建物が多い
陳さんからツバメの巣について説明してもらう
お茶を入れるボトルは専売特許 現在わが家も愛用している
アンバサダーホテル
故宮博物院入口 駐車場より
故宮博物院は団体客で混雑
イヤホン、レシーバーをつけているところ
蒋介石像 後ろは「博愛」の文字
免税店
圓苑 階段を上がった2階にある これより夕食
意外と庶民的
小龍包
有名な焼き餃子
Aさん、Bさんによるコンビニでの買い出し物
台湾のミネラル・ウォーターは甘いものがあるのでご用心
これも甘かった
* * * *
12月4日(日) 東京交響楽団川崎定期(於テアトロ・ジーリオ・ショウワ)
1.J.S.バッハ/シェーンベルク編 プレリュードとフーガ
2.ラヴェル 左手のためのピアノ協奏曲*
--休憩--
3.ストラヴィンスキー バレエ音楽「ペトルーシュカ」(1947年版)
(ピアノ;尾崎有飛)
指揮;ギュンター・ノイホルト
ピアノ;舘野 泉*
コンサートマスター;大谷康子
演奏会三連チャンの2日目。ギュンター・ノイホルトを指揮者に迎えての東響定期
演奏会。ノイホルトはすでにウィーン・フィルに呼ばれている。身長は2m近いかし
らん。ゆったりとした雰囲気を持っている。このプログラムは前日のサントリーホー
ルと同一である。
第1ステージは、10月の新日本フィルと同一曲。そういえば、今年はシェーンベル
ク没後60年だ。プログラムにはエルヴィン・シュタインによる縮小編成版とあったが、
弦は16型(コントラバス8)のようだった。
ラヴェルの「左手のためのピアノ協奏曲」は初めて聴いたかしらん。私にはなじみ
がないが、単一楽章にして、ラヴェル独特の響き。20世紀の作品である。舘野さ
んは、脳こうそくの後遺症、足をやや引きずりながらの登場。ソロの部分も多い、
この曲を見事に左手で演奏し、20分弱があっという間に過ぎた。CDを買って、聴
きこんでみたくなった。舘野さんのアンコールは、チェコの作曲家シュールホフの
「アリア」--絶妙なタッチだった。
ストラヴィンスキーの「ペトルーシュカ」も有名な曲だが、私は初めて聴いた。この
演奏は大変すばらしかった。元々のバレエ版は1911年に作曲されたから、20世
紀の作品とはいえ、マーラーが亡くなった年、今から100年前の作品だ。1911年
の初演指揮者はピエール・モントゥーだった。これも「楽章」のない4場の音楽。け
っして無調的ではなく、楽しい、おもしろい音楽。この会場は日比谷公会堂にも似
たザッハリッヒな響きのホールだが、ノイホルトの演奏はそれにマッチしたもので
すばらしかった。いったんけつまずくと無茶苦茶になりそうな音楽を、前へ前へと
流れる指揮でまとめていた。ピアノの尾崎さんも大奮闘。ノイホルトに劣らず、身
長が高かった。
東響の川崎定期は10月のジョナサン・ノット(--これまたシェーンベルクとラヴェ
ルだった。)も大変よかったが、今月もいい指揮者を呼んできた、と思わせる演奏
会だった。
12月5日(月) C.ゲルハーヘル(Bari.)独唱会(於王子ホール)
12月初め、会社の先輩Tさんからゲルハーヘル独唱会へのお誘いがあり、これも
何かの「ご縁」と喜んで聴きに行った。(演奏会は極力「連チャン」にならないように
スケジューリングしているが、今回はたまたま「魔の三連チャン」となってしまった。)
Tさんは、平成20(2008)年にブロムシュテット/N響でゲルハーヘルの「さすらう
若人の歌」を聴いて以来、ゲルハーヘルのファンだそうだ。
私が外来声楽家の独唱会を聴きに行ったのは、ディートリッヒ・フィッシャー=ディ
ースカウの「マーラーの夕べ」とテオ・アダム「冬の旅」くらいではないかしらん。い
ずれも30年以上前のことだ。その間、はたして多少耳は肥えたのだろうか。
会場の王子ホールは平成4(1992)年のオープンだから、まもなく20周年を迎え
る。座席数は315しかないというぜいたくなホールである。聴いた印象では少し
乾いた響きだろうか。
ゲルハーヘルは1969年生まれの42歳。声楽家としてはちょうどいい時期ではな
いかしらん。むろん初めて見たが、背はさほど大きくなく、推定身長173cm、体重
70kgというところだろうか。
<プログラム>
1.「さすらう若人の歌」
2.「子どもの魔法の角笛」より
だれがこの歌を作ったのだろう
夏に小鳥はかわり
緑の森を愉しく歩くと
いたずらな子をしかりつけるために
ラインの伝説
番兵の夜の歌
--休憩--
3.「子どもの魔法の角笛」より
塔の囚われびとの歌
この世の生活
シュトラスブルクの砦の上で
麗しきトランペットが鳴り響くのは
4.「亡き子をしのぶ歌」
7時過ぎにゲルハーヘルが専属の伴奏者G.フーバーとともに登場。正面に放送
録音用の小さな高性能マイク、ゲルハーヘルの左手(上手寄り)には譜面立てが
置かれていた。
(--譜面立てのペーパーは曲順の確認用らしいが、第2、第3ステージ、曲と曲
の間で時として目をやる程度だった。)
ステージから5、6mの席(E14)でゲルハーヘルのすばらしい声を聴いた。
例えば・・・・・・第1ステージの 「さすらう若人の歌」は畑中先生から半年間にわた
って教わった曲だ。
1曲目の出だし“Wenn mein Schats Hochzeit macht”という4小節からいき
なりその見事な響きにひきつけられた。「sch」の発音、「Hochzeit」の跳躍はほん
とうにきれい。--“hab' ich meinen traurigen Tag!”のハイ・バリトン的響き
も。そして八分音符のレガートな動きも。
音楽の表情、歌い方などは(師匠の)フィッシャー=ディースカウを彷彿とさせる部
分もある。終わりまでつばきも飲み込まず、集中して聴いたが、あれ、ここはおか
しいと思うところが一箇所もなかった。そのうまさは、私からすると神様的といえる
だろう。こういう演奏を聴くと、歌って簡単だな~と錯覚してしまう。
“der”の「r」の発音はなるほど母音化されていたが、「o」の長母音、「u」等々の発
音は畑中先生に教わったとおりのきれいなドイツ語だった。「a」は言葉によってや
や明るめのものと暗めのものがあるようだ。「Sie」の「z」も状況によって強く「z」と
いったり、ほとんど「s」と弱くいったりとすばらしいドイツ語のディクションだった。
と、それらは技術的な面のすばらしさだが、歌唱そのものは歌詩の内容と歌の表
情がppからffまで一体となって、マーラーの世界を作り上げていた。第3曲「ぼくは
燃える刃を抱え」における、ここぞという ff は本当にすばらしかった。言葉に応じた
思い入れはあるものの、激情にかられるわけではなく、多少自然体、むしろどこか
にさめた部分--“Nein, Nein”などと歌うところ--虚無的とも知的とも片づけ
られない部分をもった歌い方といえるのではないかしらん。
第1ステージと第2ステージ、第3と第4の間は拍手が続く中、いったん下手に引っ
込んで再登場したら、すぐ次のステージに入った。ここでもしつこくなくてよかった。
アンコールは・・・・・・大きな拍手が続く中、二度目の再登場に正面で構え、会場が
静寂になると、音とりなしで「子どもの魔法の角笛」より「原光」を歌いだした。ピア
ノ伴奏が心にしみる。
「さまよえる若人の歌」でも4曲目は歌とピアノが同時に入るが、ここでも二人の息
がぴったり合うところはさすが!だった。
この日は興奮して眠りにつくのがおそくなってしまった。録画をしていたので、その
うちNHKの衛星放送なのか放送されるだろう。ぜひ一聴をおすすめしたい。
なお「さすらう若人の歌」はマーラーの作詩であることがプログラムのどこにも書い
てなかった。作曲の経緯を読めば推測はされるのだけれど。
また字幕がないのだから、プログラムに対訳を載せるのであればもう少し大きな
字の方が親切だろう。(あまり見ている人はいなかったかもしれないが。)
ゲルハーヘルでは、2009年に「マーラー歌曲集~さすらう若人の歌等」のCDが
リリースされている。
王子ホール入口 銀座の王子製紙ビル
王子ホール内部
師走夜の銀座4丁目交差点
12月11日(日) <3等が当たる!>
地元の商店街で福引券が10枚たまった。10枚で1回福引きできる。普段はどう
せ当たらないだろうと無駄にしてしまうのだが、今日で最終日ということもあり、
1回でも挑戦しようかと抽選会に行ってみた。最終日だけあって抽選には大行
列。
さて私の順番となり、係の女性が
「ゆっくりお回しください」
「ゆっくりですネ」
と回すと緑色の玉がころり。
「あら、一回で!・・・・・・いきなり、3等!」
「えっ、3等!何がもらえるのっ?商品券?」
「は~い、こちらですよ~。選んでください」
と、3等商品5つの中から選んだのが下の写真。
<読書>司馬遼太郎『街道をゆく40 台湾紀行』(朝日文芸文庫)
台湾から帰国後、台湾の歴史などを少し勉強したくなった。
最初に読んだのが司馬遼太郎『街道をゆく40 台湾紀行』(朝日文芸文庫)で
ある。
これは司馬遼太郎が平成5(1993)年に台湾を旅行した際にまとめたものであ
る。司馬遼太郎のことだから同時並行的に台湾関連の本を何冊も読んだようだ。
この紀行文の中には、児玉源太郎、後藤新平、蒋介石、蒋経国、李登輝、伊沢
修二、八田與一等々が登場する。
久々に司馬遼太郎を読んでおもしろかった。
<ブログ>
私がしばしば拝見するブログに「熟年の文化徒然雑記帳」がある。
クラシック音楽、歌舞伎、読書、ブラジルなどがテーマだ。貴重なご意見が楽し
みだ。
最新の画像[もっと見る]
- 11/16 新日本フィル第659回定期 井上道義 21時間前
- 11/16 新日本フィル第659回定期 井上道義 21時間前
- 11/16 新日本フィル第659回定期 井上道義 21時間前
- 11/16 新日本フィル第659回定期 井上道義 21時間前
- 11/16 新日本フィル第659回定期 井上道義 21時間前
- 11/16 新日本フィル第659回定期 井上道義 21時間前
- 11/16 新日本フィル第659回定期 井上道義 21時間前
- 11/16 新日本フィル第659回定期 井上道義 21時間前
- 11/16 新日本フィル第659回定期 井上道義 21時間前
- 11/16 新日本フィル第659回定期 井上道義 21時間前
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます