人生ブンダバー

読書と音楽を中心に綴っていきます。
現在は、暇に飽かして、日々更新。

大村彦次郎『荷風 百 夏彦がいた』(筑摩書房)★★★★★

2011-01-17 05:04:53 | 読書
今年の正月、家内の実家を新年挨拶に訪問したら、義父が「これ、おもしろいよ。
ちょっとかてえけどな」といって、一冊の本を貸してくれた。大村彦次郎著『荷風
 百 夏彦がいた』(筑摩書房)である。

著者の大村彦次郎を私は知らなかった。大村氏は昭和8(1933)年、東京生まれ。
早稲田大学政治経済学部・文学部を卒業。講談社に入社。「小説現代」、「群像」
の編集長を経て、文芸出版部長、文芸局長、取締役を務めた。

本書には「昭和の文人あの日この日」という副題が付いている。昔、私が「浪人」
して大学予備校に通っている時、その国語の教師が黒板に「文人気質(ぶんじんか
たぎ)」と書いて、今はもうなくなりつつあるかなとつぶやいたことを覚えている。

「文人」とは手元の辞書によれば「文芸の仕事をしたり、余暇を利用して文芸に親
しむ人」とある。

そんな文人たちのエピソード(ちょっとした話。逸話)を昭和元年から六十四年ま
で並べたものである。本書を通じて、文士の生態と人間関係、そして<当時の世
相>が浮かび上がる。


<岡鬼太郎>(要約)
昭和8年6月、日本ビクター社から西條八十作詩、中山晋平作曲の「東京音頭」が発
売された。
 ハァ踊り踊るなら チョイト東京音頭 ヨイヨイ
この唄が燎原(りょうげん)のごとく、またたく間に全国的に拡がった。これは前
年、東京市が旧来の15区から35区、人口550万余の「大東京」となったことを記念
して作られたのだった。
この唄の流行につれて、いろんな事態が生じた。その一つに、深川の小学校では、
夏休みが明けて、新学期第1日目の例年の訓示を校長がしようとしたところ、運動
場にいた生徒一同が、
 音頭とる子は真ん中でさて
とやったので、校長は仰天して、以後、そんな踊りをしてはいけない、と子供たち
を叱責した。ところが、その翌日、町内発起で毎晩やっているものを、校長の一存
で禁止する、とは何事か、と親たちが抗議しに来た。(*)
江戸っ子の劇作家岡鬼太郎は、「東京の真ん中で盆踊りとは、ああ、イヤだイヤ
だ」と、嘆息した。

(*)モンスター・ペアレンツはその頃からいたのかしらん。
(注)「東京音頭」を歌ったのは小唄勝太郎と三島一声だった。


<海音寺潮五郎>(要約)
昭和16年11月、文士の多くが陸軍報道班員として徴用され、大阪城内の天守閣前に
集結させられた。太平洋戦争の始まる半月前だった。この一群の中に井伏鱒二、里
村欣三、中村地平、海音寺潮五郎らがいた。このとき海音寺が朱鞘(しゅざや)の
長い刀を真田紐で背中に吊して、颯爽と現れたのが人目を惹いた。誰かが「佐々木
小次郎のようだ」と、言った。
出発にさいし、輸送指揮官が一場の演説を始め、「お前たちの命は俺が預かった。
グズグズ言うものは、ぶった斬るぞ」と、威嚇した。そのとたん、「ぶった斬って
みろ」と、大声を発した猛者(もさ)がいた。朱鞘を背負った海音寺だった。


<吉井勇>(要約)
吉井勇は13年間も宮中歌会始の選者をつとめた。
昭和26年の「朝空」のとき、
 大空の澄み極まりて海風の吹き初むる朝を君の訪ひ来て
という歌に、吉井は惚れ込んだ。吉井は若い女性の作と思っていたが、ところが当
日現れたのは、選りに選って、輪袈裟をかけた逞しい僧侶だった。歌の「君」とは
「友」の意だった。のである。
34年の「窓」のとき、
 紙切を窓にはさみてかへりたり逢へずにゆくはかなしと書いて
という詠進歌が選考の対象となった。「いいねえ」ということでこれが預選歌にな
った。当日、現れたのはうら若い女子高生。選者たちが、「どういうときに作った
歌か」ときいたら、作者は「伯母を訪ねたときの作」と答えた。このときも吉井の
夢は破れた。




おもしろいので、同じ著書の『東京の文人たち』もamazon中古本で注文した。
「カバーに若干の使用感があります」とあったが、どうして新品同様だった。

それでは夏目漱石、幸田露伴、尾崎紅葉が同じ慶應3(1867-8)年生まれというこ
とを知った。三人で一番長生きしたのは幸田露伴で(第二次大戦)終戦後まで生き
た。いうまでもなく明治元年は1868年である。したがって夏目漱石らは明治の年号
が満年齢となる。


<小泉信三>(要約)
小泉信三の妻は「富子」といった。歌舞伎好きの小泉は家庭では妻子を相手に、
よく役者の声色を使った。源氏店の与三郎を十五世羽左衛門の声色でするのが好き
だった。
「いやさお富、久しぶりだなあ」
と言っては、妻の
「そう言うお前は」
という返事を待った。妻が取り合わないので、娘の加代と妙子の二人が声を合わせ
て、
「そういうお前は」
と、助け舟を出した。


私もいつか気の置けない仲間で「とっておきの話」を文集にまとめたいと思ってい
る。




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