及川智洋『左翼はなぜ衰退したのか』(H26[2014]、祥伝社新書)
を読む。
「左翼はなぜ衰退したのか」とは、いささか刺激的でジャーナリス
ティック(過ぎる?)なタイトルだが、明治以降の政治思想と世の
中の流れが要領よく、というか、分かりやすくまとめられている。
いろいろな動きについて、一通り書かれているが、著者は、常識的
であり、さほど強い主張はしていない、と言えるかしらん。
本書による著者のプロフィール
1966年、岩手県生まれ。1990年、東北大学法学部卒業後、朝日新聞社に勤務。
旭川支局、社会部、be編集部などで記者を務める。日本の近現代史、政治史に
感心があり、現在、放送大学大学院で、第二次大戦後の日本に社会民主主義が
根づかなかった理由について、民社党を題材に論文作成を進めている。
そもそも「左翼」(と「右翼」)という言葉が生まれたのは、フラ
ンス革命の時(1789年頃)で、国民議会の(議長席から見て)右側
に座っていた穏健・保守派を「右翼」、左側に座っていた急進派を
「左翼」と呼んだことからきている。
(注)本書から少し離れ、「世界史」の復習になるが、フランス革命(1789-99)
は、日本でいえば、江戸時代(寛政年間)の話。
日本に大きな影響はなかったと言えるだろう。
しかるにロシア革命(1917年)によって、1919年コミンテルン(国際共産主義
の総本山→こちら)ができ、1922(大正11)年、マルクス・レーニン主義を掲
げたソ連が生まれ、また、同年、日本共産党(第一次)が「コミンテルン日本
支部」として承認される。
コミンテルンの承認を受けた(19)27年テーゼ(日本共産党の綱領)で「君主
制」廃止の革命(暴力革命?)が必要ということになる(続く、32年テーゼで
は、はっきり「天皇制打倒」が目標となった。--それまで日本には「天皇制」
という言葉はなかった、と言えるかしらん。天皇制という言葉が一般化したの
は戦後のことだ)。
Wiki(→こちら)によれば、「多くの政治学者は、現在の複雑な世
界では、『左翼、右翼』の分類はもはや意味は持たないと指摘して
いる」という。
単純な二元論(○×方式)では説明できないということかしらん。
「左翼」(とか「右翼」)と言っても、使う人によって意味が違っ
てくるのかもしれないし、時代の流れとともに変化するのかも。
本書p222には、
このように見てくると、21世紀日本の右傾化は、左翼が教条的に批判してきたよ
うな「いつか来た道」つまり20世紀前半までの左右対立の果ての右傾化→侵略戦
争→敗戦とは明らかに異質のものと分かる。東アジアにおける国際政治力学の変
化とリスクの増大、左翼的理念のある程度の達成とその後の行き詰まりが主な要
因と言えよう。
とあるが、はたして当たっているかしらん。
及川智洋『左翼はなぜ衰退したのか』★×3.5
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5/15(金)、緊急事態宣言の一部解除を受けて・・・・・・
小池都知事は頑張っている。私には都知事選の投票権はないが。
大阪も頑張っている。松井さんも、私同様、理髪店に行かず、髪が
伸びた。
色別表示--大阪らしく、分かりやすくていいですね~。
〇検察官定年延長法案問題
説明を聞けば聞くほど分からなくなってくる。
野党、マスコミの意見も微妙に変化しているようだが、私の長年の
カンによる大胆予想では、結局、「強行採決」はしないのでは?
(参考)
・安倍総裁の任期:R3(2021)/9末(もっとも自民党のことだからウルトラCによ
る任期延長もあるのかもしれないが)。
・衆院議員任期:R3(2021)/10(ただし、それまでに解散がある場合はその時点
まで)
・本法律の施行:R4(2022)/4
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