張作霖爆殺事件は、昭和3(1928)年6月4日、「満洲」の奉天
(現瀋陽)近郊で起きた。
簡単に整理すると、当該犯行関係者は次のとおり。
・首謀者:関東軍高級参謀河本大作大佐
・爆破の現場指揮官:在奉天独立守備隊東宮鉄男大尉
・爆破等の技術指導:朝鮮派遣軍竜山工兵第二十連隊所属桐原
(藤井)貞寿中尉
(参考Wikipedia→こちら)
事件の詳細は、まず、一級史料『小川平吉関係文書』(岡義武編/
みすず書房/昭和48[1973]年)に出てくる。
というので、(横浜市立)山内図書館で借りてきた。
なるほど(!)、
工藤鉄三郎より小川平吉(当時鉄道大臣)にあてた、昭和3年6月
19日付「奉天における爆発事件の真相」という内容の手紙にあら
ためて報告されている。
それによると、事件を起こした関係者は某(河本)大佐、伊藤謙
次郎、安達隆成、「支那人3人(うち一人は逃げた。二人は殺害
された。)」、劉載明である(『小川平吉関係文書2』p529)。
また関連の「証拠」として、
・工藤鉄三郎から小川平吉あて電報(昭和4年7月22日付)
・白川義則から小川平吉あて書状(昭和4年7月23日付)
・工藤鉄三郎から小川平吉あて電報(昭和4年7月30日付)
も残されている(同p548)。
一方、『小川平吉関係文書1』p626~639には、小川により「満
洲問題秘録・秘」として張作霖爆殺事件がまとめられている。
それぞれの具体的な引用は省略。
半藤一利『昭和史』(p35以下)には『小川平吉関係文書』を参
照して、張作霖爆殺事件が書かれている。
--一般的には、この本が入手しやすい?
『小川平吉関係文書』は、有馬学『日本の歴史23』、古川隆久
『昭和天皇』などでも参照されている。
ちなみに、
小川平吉(1870-1942)は、政友会の代議士。司法大臣、鉄道大
臣等。日比谷焼き討ち事件では扇動した罪で逮捕されている(無
罪)。宮澤喜一元首相の祖父。
張作霖爆殺事件の真相をオープンにすること、および河本大佐を
厳罰にするのに反対した。
工藤鉄三郎(アジア主義者、大陸浪人)は、はたして、その後、
溥儀に仕えた工藤忠(1882-1965)であった。
張作霖爆殺事件関連の「私の参考図書」は、先日まとめたとおり
(→こちら。一部加筆)だが、『小川平吉関係文書』は第一級の
史料だ。
●一時話題となった「コミンテルンの仕業」説は、一次史料もなく、まったく信
用ならない。
『小川平吉関係文書』
同関係文書と半藤一利『昭和史』
中央大学の佐藤元英先生が「牧野伸顕日記」(1990刊)と「奈良
武次日記」(2000刊)により張作霖爆殺事件の謎に迫った力作
(『中央公論』1990/11)
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