かぜねこ花鳥風月館

出会いの花鳥風月を心の中にとじこめる日記

石垣島海岸一周  新鉱~野原崎

2016-12-31 17:32:09 | 日記

気温は、晴天26度は超えていただろうか。汗ばみながら、大晦日の午後、3時間弱歩いてきた。星野の砂浜からは岩が目立つので、迂回して野原崎の先の砂浜に降りる。

遅々として進まないが、誰もいない海岸を歩いていると、どこかの惑星に不時着して一人だけ生き延びた感覚にも、あるいは、人類が一挙に滅んだのに、オイラだけ生き延びて途方にくれて歩いている感覚にもなるから、石垣島の海岸線の一人歩きは、不思議な旅といえる。

集落のない海岸線を歩いていると目立つのは、海岸に打ち上げられたゴミだ。大方が、石油二次製品。ペットボトル、魚網、カゴ類、ビニール袋、発砲スチロールの浮き、サンダル、・・・・落とし主(捨てぬし?)は不明だが、ペットボトルには、日本製ではないことが明らかな漢字、よって中国か台湾のものと思われる。誤って海に流されたら許されるかもしれないが、漁民が船の上からポイポイ捨てているのではないか、と、大いに疑われる。

核のゴミといい、石油二次製品のゴミといい、途方もない時間をかけてしか自然に帰れない物質を、何ゆえ人類は製造してしまったのだろう。目先の利益だけしか考えず、子々孫々の迷惑も考えないで製造し続け、反省どころか、技術を「後進国」に売りつけて、その利潤に笑っている人々。

オイラは、子々孫々の迷惑や美化の問題からだけ怒っているいるのでない。あの無垢なシギやチドリの親子が魚網や釣り糸に足を絡ませて命の危険にさらされることにも、大いに危惧を抱いている。傲慢な人類によって、純粋無垢な命が冒されることにも、大いに憤りを感じている。だから、彼らより人類のほうが潔く滅びるべきだと、密かにも思う。

と、年の最後に、高血圧がぶり返すような感情にもなったが、締めは、「第9」ではなく、ベルク四重奏団の「カヴァティーナ」とアルヴォ・ペルトを聴いて終わることにしよう。お静かに。穏やかに。

そして、また、拙い句で2016年を終わる。

  行く年や貝も硝子も波に溶け  

 

 

河口とは思えない、通路川(とうろがわ)河口。

あそこの野原岳で終わり2016

今日は、あのカーラ岳からスタート

 

 

 

 

 

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