三日ばかり、栗駒山麓の須川湖にテントを張り、秋の世界を楽しんできた。
一日目は晴れ。湯けむりたなびく標高1000m余りの須川高原の周囲は、ありきたりの表現だが極彩色の絢爛世界。カエデやカバノキの仲間の黄が風景の主調で、ナナカマドやモミジの仲間、ドウダンといった赤色系がそれぞれの個性で黄色のキャンパスにアクセントを添え、シラビソやコメツガといった針葉樹の緑の陰影が、赤や黄の彩りをますます濃いものに仕立てていた。華やかな低木地帯のある火山性の湯元や湿原地帯を取り囲むようにブナの森は黄金色に輝いていた。
栗駒山に毎年通っているわけではないので、声を大にしてコメントできないが、当たり年だったのではないか。(ヒトが、そう感じるだけで、植物たちはせっせと冬の準備をしているにすぎないし、クマたちにとってはドングリやブナの実が凶作となっており、それどころではない由。)
星空望めず。
二日目は、夜半から小雨、午後から晴れる予報だが、寒冷前線通過のあとは、きまって強い風が吹き、秣岳から栗駒にのぼったが、稜線にいる間、ガスが途切れたのはつかの間だった。天狗の頭で強い西風にいじめられ、頂上滞在1分。逃げるように麓に下りると、昨日の彩が、また優しく迎えてくれた。
星空望めず。
三日目は、晴れたが凍えるほどの寒さ。午前2時から待機したが、残念ながら星空は望めなかった。日の出とともに雲が消え、姿を現した栗駒本峰や天狗の頭は真っ白、初冠雪かと思ったが、霧が凍った霧氷だろう。あと、ひと月、ここは白色の世界で、車やヒトがいない静寂世界に立ち戻るのだろう。
三日間とも、栗駒山荘や須川高原温泉の露天に長湯した。来夏は、長期滞在で、自然観察の基地にしたくもなったな。道路開通は5月から。
三日目の朝、天狗の頭は霧氷の白世界
3日目の須川湖は毛嵐が湖面から立ち上る
秣岳(まぐさだけ)
彩の世界の西向こうにうっすらと出羽富士・鳥海山の姿が浮かんでいる。
さまざまな山の植物たちは個性的な古楽器のようでもあり、奏でる音楽は、バッハの協奏曲の世界に近しいか。第1楽章は夏から秋の彩り、晩秋から玄冬の世界は第2楽章の静かで厳かで瞑想的な世界、そしてまたやってくる春の歓びは第3楽章で表現。朝の「古楽の楽しみ」でやっていたブランデンブルクの2番や4番あたりを聴いていると、宗教とは、季節の循環、命の循環に対する畏敬や感謝のようなものであり、そのように思えてならない。
リヒターで聴く2番Youtube