あれは、学生時代に上越国境の平標山(たいらっぴょうやま)に一人用のエスパーステントを担いで登ったときだったか、たぶん指定のテント場ではなく、稜線の草地にポツンと張ったような記憶。いま、地図を眺めてもどの辺りだったか、指さすこともできない曖昧模糊とした場所。どうしてそんな場所に張ったか、理由さえ思い起こせない遠い時の彼方。ただ、二つ事実だけは、いまでも鮮明に覚えているから、不思議なのだ。ひとつ、朝目覚め、外に出るとエスパースの水色のテントが真っ白に凍りついていた。あるいは、霜だったのかもしれないが、外気は確実に氷点を下回っていて、濃いガスが辺りに立ち込め、視界を遮っていた。いいようのない恐怖と孤独感が襲ってきて、オイラはテントを揺らして氷を落とし、(霜だったのかもしれない。)、テントをたたみ、早々に下山をはじめた。
ふたつ、冬が訪れた山道を下山中に脳裡に流れていた音楽は、バッハ「マタイ受難曲の第六曲のアルトのアリア 悔いの哀しみは」。当時、家で何度もレコードで聴いていたカール.リヒター版のせいだろうが、なぜかこのアリアだけが、壊れたレコードのように繰り返し流れつづけた。
どうして、この思い出が突然現れたかというと、今朝山に向かう電車でNHKFM「古楽の楽しみ」を聴いていたらバッハが流れていたから。
季節の循環とキリスト教、そしてバッハ、とくに秋から冬という北の生き物に辛い季節を向かえる季節、云わば受難の季節に、バッハの音楽は、優しく手をさしのべてくる。
さあ、今日から二日間、標高1000メートル地点で、テント暮らし。同じエスパースだが、今は緑色。大陸から冷たい寒気が降りてくるという。また、白く凍りつくだろうか。
今宵の宿は、ブナの森の乾いたウッドデッキ😍