かぜねこ花鳥風月館

出会いの花鳥風月を心の中にとじこめる日記

武田花さん、どの星の富士山麓におでかけかな

2024-05-29 15:47:03 | 日記

未明、スマホのニュースを枕もとでチェックしていたら、写真家の武田花(たけだはな)さんが、この4月30日に亡くなっていたとの報道を眼にする。

武田さんの写真愛好家ではないのだが、彼女は作家で中国文学者の武田泰淳さん、その妻のエッセイスト武田百合子さんの愛娘であることは、武田百合子さんの「富士日記」(昭和39年からの51年まで間の13年間の日記)愛読者であることから、よく知っていた。

その「富士日記」には花さんがよく登場していた。富士山麓の別荘には普段、武田夫婦のみ主に春から秋にかけて断続的に居住していたが、夏休みなどの休日を利用して学生(13歳から25歳くらいまでか)だった花さんが東京の本宅から遊びにやってきた様子が、百合子さんによってほのぼのと描かれていた。

オイラは、2000年代初頭に「富士山」に憑りつかれてから、一昨年まで、毎年のように「富士山」を訪れていたが、その間しばしば「富士日記」中公文庫版三冊を手元に置いて、適当な時代をパラパラめくっては武田一家の他愛もない富士山麓での日常生活を垣間見ながら、いつもほのぼのとした気持ちになって、「富士山」とその山麓への思いを募らせていた。花さんとほぼ同じ時代の空気を吸っていたオイラにとって「富士日記」とは、遠い昭和と今はない家族との楽しいひと時をよみがえらせてくれる走馬灯のような存在だったのかもしれない。

その「富士山」だが、コロナが明けてのこの1,2年、内外のヒトビトが「富士山」に押し寄せるようにやって来て、山頂を目指す行為が「予約制」と化したり、コンビニの上の富士山をスマホで撮るためにインバウンドのヒトビトがワンサカ押し寄せ、はては貧乏くさい黒幕でその風景を覆い隠すという自治体の慌て様などを見るにつけ、オイラの「富士山」愛は、いまや憑き物がおりたようにすっかりと下降のベクトルを向いている。

「富士山」きらいになったわけではないから、これからは遠くから富士山を仰いだりして、過去の余韻に浸るだけでいい・・・。そして、たまには「富士日記」をパラパラめくっては武田一家にお会いしよう。

今日の午前、図書館にいって武田花さんの写真集を1冊借りてきた。花さんがいつも被写体にしているノラネコは孤独で、どこにさまよっていこうか逡巡しているような眼をしている。どこかオイラみたいだ。

いまごろ武田花さんは、どこかの星の富士山麓の山荘にでかけ、再会したご両親と何かおいしいものを食べながら、他愛のない言葉をまた元のように交わしているのかな。周りには家族が愛したネコやワンちゃんも寝そべっているのかもしれない。

        

Photo & Culture,Tokyo ニュースから

     

               御坂峠から太宰治が見た冨士山(2022.9)

               武田山荘は、あの山麓の白い雲の中あたりかな

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