「任意」という意味は(その人の思っているように自由に任せる)ということで(相手に何かを強制したり義務付けたりする場合には用いない)とありました。昨日の新聞で(PTA入会)のことの記事がありました。PTAの任意性の周知を求める動きがあっているということです。“PTAについて入会の意思表示が必要ではないか”という声が上がっていることへの対応なようです。“強制的”ではないかという反論から出てきたようです。難しいことです。
町内会も然りです。任意の団体です。しかし隣近所が協力助け合っていく必要もあります。何かあったときには隣近所が頼りになることがあります、ちょっと前までは隣近所で“葬式組”がつくられ助け合っていました。(いまや葬祭場葬式になってすっかりなくなってしまってしまいましたが。)隣近所と疎遠になってもそんなに困らないという意識が強くなっていることも確かです。
PTAも役員さんのなり手がいないそうです。(町内会役員も同じです)・・・「PTAって何?」「町内会って何?」という原点にかえって一度みんなで考える機会を作るべきではないでしょうか。ちょっと怖いことですが‘解散’してみることです。たぶんメチャクチャになり混乱が起きるはずです。それをどうにかしたいという願いがでてくるはずです、たぶん、そこが原点だったはずです。民主主義的な思いです。
“任意”だと入会している人、そうでない人に二分されます。いろんな場面で二分化が進んでいますが、集団が二分化することはいいことではないです。対立が生まれるからです。対立からは創造性は生まれにくいです。どうしても“妥協”が必要なのです。(任意の中に妥協の心を育てないと)うまくいかないと思います。
PTAも町内会もそんな風に考えていきたいものです。
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