昨日の(びゃァどん)の続きから・・・・球磨弁なので訳してみます。
『五木の、びゃァどんとこれェな、ぢうぜんかづらの皮ひァで持ってけェちう、ふれの来たげなもん、
(五木のびゃァどんのところへ、じゅうぜん葛の皮を剥いで持ってくるように、というお触れがきたそうな)
そしたげないば、びゃァどんなひといの、年よいよば連れさみやァに、藩庁に出かけて行かいたげなたい。
(そうしたら、びゃァどんは一人の年寄りを連れて、藩の役所に出かけて行ったのです)
そして言わいたことがわや。「十善が、つらの皮ひゃァで持ってけェ、ちうふれよば貰ァもしたいども、
(そして申したことには、「十善(という人名)の顔の皮を剥いで持ってこい、というお触れをもらったけど)
まァだわたしァ、こん年ィないもすまで、人間のつらの皮だきァ、ひやァだしたァぐざんさん、・・・・・』
(まーだ、私はこの年になるまで、人間の顔の皮だけは剝いだことがありませんでしたので)
そして「狸の皮を剥ぐのはヒマなくできるのですが、人間の皮だけは剥ぎたくありません、ここに十善という男を連れてきましたので、どうか役人さんで直接剥いでもらえないでしょうか、私もあとあとの為もありますので、見てから帰ろうと思っています。どうかよろしくお願いします。」と言って座り込んでしまったそうです。役人は{じゅうぜん葛かずらの皮}・・びゃァどんは{十善が面の皮}と言って役人を手こずらせたという話です。なお、{じゅうぜん葛}とは{のうぜんかずら}のことのようです。山に自生している葛(つる)を縄のように利用していて五木の山の人に物納で納めさせていたのではないでしょうか。
話は頓智話で、このびゃァどんは五木の庄屋さん(〇〇兵衛さん)ではないでしょうか。彦一頓智話にも似ている話で、おじいさんが(おばあさんが)孫に面白おかしく球磨弁丸出しで話しているのを想像させられました。
いまは使われていない球磨弁なので訳するのもたいへんです。文化も中央集権化する中で(ことば)は部分的にも大切にしたいものです。
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