惠美ちゃんに関わる話の続きです。去年の今頃は、抗ガン剤の投与が終わって、その副作用のせいで僕がもっとも病人らしくなっていたときです。惠美ちゃんから小さな油絵が届きました。紫陽花の花の上に大きなカエルと小さなカエルが乗っています。
何時の頃か電話があり、父上と息子さんとで油絵をえがいている。絵を贈りたいが、海の景色がいいか山の風景がいいかと言うのです。僕は海かなーと答えたのではないかと思います。その絵が届いたのです。
毎日、側で見てもらいたいからと小さな額縁に入れて立てかけられるようになっています。カエルづくしの便せんにメッセージがつづられています。
(略)先日、絵を描くと約束したものの、いったい何を描いたら良いのやら…?毎日,本屋に通い、写真集をながめてみたり、公園に行って草木を見たり…。今までは「この間は山だったからこんどは海にしよう」「風景ばかりだから動物にしよう」と漠然と題材を決めて何枚もの絵を描いていたので、いざ、だれかのため…という題材に直面したとき、私の気持ちを伝えるには何を描いたら良いのか、どう描いたらよいのかと、普段あまり使ってない頭を使ってしまいました。万人ではなく、たった一人の人のために描く絵…簡単なようで難しいものなのだと、良い勉強になりました。
先生も長い間、そうやって、たくさんの一人一人と向き合って来たんですよね。私もその中の一人でいられることがとても嬉しく、いつまでも先生の可愛い(?)教え子でありたいと改めて思いました。
この絵を描いていたら、高校時代のことや夏休みに連れて行っていただいた大島の風景、先生の顔、声…色々なことが思い出されて…。そのせいでしょうか。主役のカエルの顔が先生に似ていると思いませんか?描きあがった時に思わず笑ってしまいました。
冷たい雨の中でこそ美しく映える紫陽花の花の上で雨にも負けず、風にも負けず、目立つことなく踏ん張るド根性ガエルが先生みたいでしょ?後ろから先生についてくるのは、家族・生徒・友人…。
そして何より主役をカエルにしたのは、一日も早く、元気な先生にカエルように…! (略)
今回の思いがけない闘病生活の中で先輩や友人から心のこもった励ましを受けました。おかげで今までのところ順調な恢復ぶりです。本当に恵まれた患者だと思います。そしてこの間、人を励ますさまざまな形があることにも気づかされました。その一つが惠美ちゃんの絵です。
僕は自分の似顔絵を贈られたことが2度ほどあります。大島高校に着任早々、授業中にノートの切れ端に鉛筆で描いてくれたものは今でも大切にとってあります。でも、僕のために考えて、考えて油絵を描いてくれたのは惠美ちゃんがはじめてです。たしかに、このカエルは見れば見るほど僕に似ています。惠美ちゃんの思いがこもっているからでしょう。
山吹高校の授業に復帰してから生徒や教職員の皆さんに、機会あるごとにこの絵を見てもらいました。人を励ますということはどういうことか、その根源の力はどこからくるか、どういう形があるか。
惠美ちゃんの魅力がどのようにして形成されてきたか。これは研究に値することです。何せ、夫であるNさんが<えみえみ教>の教祖になることを勧めるくらい、近隣の人々の信望が厚いのです。惠美ちゃんのサロンはあちらもこちらも人が寄って、Nさんが60になったとき田舎に帰ることなどとても許してもらえないのです。
今は闘病の父上を呼んで、4人で生活をしています。広いとはいえないアパートです。高校生の息子さんも、夫のNさんも<えみえみ教>の信者になったのか、恵美ちゃんに言わすれば<我が儘きわまりない>父上を大切にして、新しい家族を作っているのです。我が儘な僕には信じられないことです。
惠美ちゃんと出会って、もう30年以上になり、この人のことは何でもわかっていてもいいはずですが、とびとびの記憶しかなく、まだまだ、研究の成果を発表するまでには至りません。
惠美ちゃんが「よいしょ」してくれるほどのド根性があるとは思えませんが、「目立つことなく踏ん張る」と表現してくれたことはとても嬉しいことです。緑の葉っぱに溶けこんで本当に目立たないカエルですが、「一寸の虫にも五分の魂」とも言います。生かされてある間はゲロゲロと泣き続けて行きたいものです。
何時の頃か電話があり、父上と息子さんとで油絵をえがいている。絵を贈りたいが、海の景色がいいか山の風景がいいかと言うのです。僕は海かなーと答えたのではないかと思います。その絵が届いたのです。
毎日、側で見てもらいたいからと小さな額縁に入れて立てかけられるようになっています。カエルづくしの便せんにメッセージがつづられています。
(略)先日、絵を描くと約束したものの、いったい何を描いたら良いのやら…?毎日,本屋に通い、写真集をながめてみたり、公園に行って草木を見たり…。今までは「この間は山だったからこんどは海にしよう」「風景ばかりだから動物にしよう」と漠然と題材を決めて何枚もの絵を描いていたので、いざ、だれかのため…という題材に直面したとき、私の気持ちを伝えるには何を描いたら良いのか、どう描いたらよいのかと、普段あまり使ってない頭を使ってしまいました。万人ではなく、たった一人の人のために描く絵…簡単なようで難しいものなのだと、良い勉強になりました。
先生も長い間、そうやって、たくさんの一人一人と向き合って来たんですよね。私もその中の一人でいられることがとても嬉しく、いつまでも先生の可愛い(?)教え子でありたいと改めて思いました。
この絵を描いていたら、高校時代のことや夏休みに連れて行っていただいた大島の風景、先生の顔、声…色々なことが思い出されて…。そのせいでしょうか。主役のカエルの顔が先生に似ていると思いませんか?描きあがった時に思わず笑ってしまいました。
冷たい雨の中でこそ美しく映える紫陽花の花の上で雨にも負けず、風にも負けず、目立つことなく踏ん張るド根性ガエルが先生みたいでしょ?後ろから先生についてくるのは、家族・生徒・友人…。
そして何より主役をカエルにしたのは、一日も早く、元気な先生にカエルように…! (略)
今回の思いがけない闘病生活の中で先輩や友人から心のこもった励ましを受けました。おかげで今までのところ順調な恢復ぶりです。本当に恵まれた患者だと思います。そしてこの間、人を励ますさまざまな形があることにも気づかされました。その一つが惠美ちゃんの絵です。
僕は自分の似顔絵を贈られたことが2度ほどあります。大島高校に着任早々、授業中にノートの切れ端に鉛筆で描いてくれたものは今でも大切にとってあります。でも、僕のために考えて、考えて油絵を描いてくれたのは惠美ちゃんがはじめてです。たしかに、このカエルは見れば見るほど僕に似ています。惠美ちゃんの思いがこもっているからでしょう。
山吹高校の授業に復帰してから生徒や教職員の皆さんに、機会あるごとにこの絵を見てもらいました。人を励ますということはどういうことか、その根源の力はどこからくるか、どういう形があるか。
惠美ちゃんの魅力がどのようにして形成されてきたか。これは研究に値することです。何せ、夫であるNさんが<えみえみ教>の教祖になることを勧めるくらい、近隣の人々の信望が厚いのです。惠美ちゃんのサロンはあちらもこちらも人が寄って、Nさんが60になったとき田舎に帰ることなどとても許してもらえないのです。
今は闘病の父上を呼んで、4人で生活をしています。広いとはいえないアパートです。高校生の息子さんも、夫のNさんも<えみえみ教>の信者になったのか、恵美ちゃんに言わすれば<我が儘きわまりない>父上を大切にして、新しい家族を作っているのです。我が儘な僕には信じられないことです。
惠美ちゃんと出会って、もう30年以上になり、この人のことは何でもわかっていてもいいはずですが、とびとびの記憶しかなく、まだまだ、研究の成果を発表するまでには至りません。
惠美ちゃんが「よいしょ」してくれるほどのド根性があるとは思えませんが、「目立つことなく踏ん張る」と表現してくれたことはとても嬉しいことです。緑の葉っぱに溶けこんで本当に目立たないカエルですが、「一寸の虫にも五分の魂」とも言います。生かされてある間はゲロゲロと泣き続けて行きたいものです。