伊藤さんに対する銃撃事件は僕にはこたえました。これに対する安倍首相の談話には驚きました。民主主義を破壊するものに対する怒りも、リーダーとして人々に対する呼びかけも何もないのです。長崎に飛んでいって、このような暴力と断固対決する決意をなぜ示さないのでしょうか。これは他の指導者にもいえることですが、国政の責任者には民主主義を守り、確立する最大の責務があるのです。それができなければ直ちに辞任すべきです。
ところでかくいう僕はこの悲しみと怒りを、どのようにして力にかえたらいいのか。同じように思っている人がいたら提案してくれませんか。
1960年10月12日、社会党の浅沼稲次郎委員長が日比谷公会堂の演説会で池田首相の目の前で殺された事件を思い出します。18歳の僕はその衝撃に耐えられず、その日は友人の下宿を訪ねて、遅くまでつきあってもらいました。しかし、体調を壊し、元気を取り戻すまでに一ヶ月はかかったでしょう。社会党などが行った「国民葬」に参加したのが僕の最初の政治参加です。「悲しみを力にかえる」という言葉を知りました。(この言葉はその後の人生の中で、親を喪い、友を喪う、生徒をはげますときに、僕の思いとして使いました。)
社会主義を称する社会やグループの実態を知れば知るほど、いかに未熟なものであれ、私たちが先輩から引き継いだこの民主主義の秩序を大切に守り育てていかなければと思います。僕のように血を見るのが本当に怖い人間は暴力にはどうしても怯みます。異見を認め、討論の大切さを確認し合うルールをなんとしても守らなくてはなりません。いかに形骸化しているといっても、選挙は民主主義の根幹です。それに対する攻撃です。断固として、NO! という声を全国に響き渡らせなければならないと思います。
ところでかくいう僕はこの悲しみと怒りを、どのようにして力にかえたらいいのか。同じように思っている人がいたら提案してくれませんか。
1960年10月12日、社会党の浅沼稲次郎委員長が日比谷公会堂の演説会で池田首相の目の前で殺された事件を思い出します。18歳の僕はその衝撃に耐えられず、その日は友人の下宿を訪ねて、遅くまでつきあってもらいました。しかし、体調を壊し、元気を取り戻すまでに一ヶ月はかかったでしょう。社会党などが行った「国民葬」に参加したのが僕の最初の政治参加です。「悲しみを力にかえる」という言葉を知りました。(この言葉はその後の人生の中で、親を喪い、友を喪う、生徒をはげますときに、僕の思いとして使いました。)
社会主義を称する社会やグループの実態を知れば知るほど、いかに未熟なものであれ、私たちが先輩から引き継いだこの民主主義の秩序を大切に守り育てていかなければと思います。僕のように血を見るのが本当に怖い人間は暴力にはどうしても怯みます。異見を認め、討論の大切さを確認し合うルールをなんとしても守らなくてはなりません。いかに形骸化しているといっても、選挙は民主主義の根幹です。それに対する攻撃です。断固として、NO! という声を全国に響き渡らせなければならないと思います。