<けんちゃん>さんから戴いた配信の中に「お接待の心が地域を救う」という見出しがありました。忘れないうちに書いておきたい体験があります。
4月のはじめに室戸に帰り、父の様子を見て、3日の朝、Aさんを迎えに高知空港に向かった時のことです。土佐くろしお鉄道の奈半利駅前のバス停で空港方面のバスの時刻を調べている僕に声をかけてくれる方がいます。空港まで送りましょうと言うのです。妻と二人で世話になったのですが、すぐに話が盛り上がりました。
この方は空港近くの香南市赤岡に住む方で企業倒産で退職後、四国遍路を志し、近く室戸岬から奈半利までを歩くことにしています。今日はその下見というわけです。赤岡から安芸にかけての松林の美しい海岸を毎日のように歩いてその日に備えています。在職中は大宮などにも駐在し、全国各地で働いたのですが、故郷・土佐が気に入っています。歩くときにはそれとなく声をかけて、どなたかと一緒に歩きたいようです。赤岡の町絵師・絵金のことなど紹介したい話がたくさんあるのでしょう。別れに自己紹介を仕合いました。
戴いた「納め札」に記された66歳という年齢を見てびっくり。若々しくてとても先輩には見えなかったのです。自分のお昼に買って置いたはずのお寿司をいただいて、空港で別れました。
Aさんの到着を待つ間、近くの高知大学の学生食堂でお昼にしました。戴いた土佐の田舎寿司を食べながら、見知らぬ方から接待を受ける喜びを満喫しました。
僕が子どもの頃には、僕の村にも遍路宿というものがあり、またお経を上げて門付けする遍路さんに、母に言われて5円玉(?)を渡しにいったものです。僕らは「へんど」といって、「乞食」までは行かなくとも、さげすみの目で対応していたのではないかと思います。「お遍路さん」とは呼んでいなかったのです。子どもの世界だけかもしれませんが、お接待の心にはほど遠かったと言わなければなりません。病気平癒を始め、さまざまな願いを持って巡礼する人々に心が及んでいなかったのです。
今は門付けする遍路さんも見ず、歩き遍路といっても、村の人々とはほとんど関わりのない観光客のようなものでしょうか。「お接待」という言葉を行政の関係者などがいつ頃から使うようになったのか、僕にはわかりませんが、何か、うさんくさい言葉にも聞こえます。観光産業の生み出したような。親切を売り物にして恥じない風潮とおなじものを感じてしまうのです。
僕たちがIさんという方から受けた親切は人を大切にするという気持ちが自然に発露しているものでこちらもまた心から感謝の気持ちを伝えました。見知らぬ人に自然にできる人助け。いつの頃からは知りませんが、四国の人が身につけてきた「お接待の心」とはこういうものかと思ったことでした。
4月のはじめに室戸に帰り、父の様子を見て、3日の朝、Aさんを迎えに高知空港に向かった時のことです。土佐くろしお鉄道の奈半利駅前のバス停で空港方面のバスの時刻を調べている僕に声をかけてくれる方がいます。空港まで送りましょうと言うのです。妻と二人で世話になったのですが、すぐに話が盛り上がりました。
この方は空港近くの香南市赤岡に住む方で企業倒産で退職後、四国遍路を志し、近く室戸岬から奈半利までを歩くことにしています。今日はその下見というわけです。赤岡から安芸にかけての松林の美しい海岸を毎日のように歩いてその日に備えています。在職中は大宮などにも駐在し、全国各地で働いたのですが、故郷・土佐が気に入っています。歩くときにはそれとなく声をかけて、どなたかと一緒に歩きたいようです。赤岡の町絵師・絵金のことなど紹介したい話がたくさんあるのでしょう。別れに自己紹介を仕合いました。
戴いた「納め札」に記された66歳という年齢を見てびっくり。若々しくてとても先輩には見えなかったのです。自分のお昼に買って置いたはずのお寿司をいただいて、空港で別れました。
Aさんの到着を待つ間、近くの高知大学の学生食堂でお昼にしました。戴いた土佐の田舎寿司を食べながら、見知らぬ方から接待を受ける喜びを満喫しました。
僕が子どもの頃には、僕の村にも遍路宿というものがあり、またお経を上げて門付けする遍路さんに、母に言われて5円玉(?)を渡しにいったものです。僕らは「へんど」といって、「乞食」までは行かなくとも、さげすみの目で対応していたのではないかと思います。「お遍路さん」とは呼んでいなかったのです。子どもの世界だけかもしれませんが、お接待の心にはほど遠かったと言わなければなりません。病気平癒を始め、さまざまな願いを持って巡礼する人々に心が及んでいなかったのです。
今は門付けする遍路さんも見ず、歩き遍路といっても、村の人々とはほとんど関わりのない観光客のようなものでしょうか。「お接待」という言葉を行政の関係者などがいつ頃から使うようになったのか、僕にはわかりませんが、何か、うさんくさい言葉にも聞こえます。観光産業の生み出したような。親切を売り物にして恥じない風潮とおなじものを感じてしまうのです。
僕たちがIさんという方から受けた親切は人を大切にするという気持ちが自然に発露しているものでこちらもまた心から感謝の気持ちを伝えました。見知らぬ人に自然にできる人助け。いつの頃からは知りませんが、四国の人が身につけてきた「お接待の心」とはこういうものかと思ったことでした。