15日、川越は酷暑、我が家の温度計も35度を示していました。戦没者追悼式をTVで見たあと、午睡。あまりに暑いのでプールに行こうかと思っているうちに甲子園の慶応高校ー浦添商業高校戦がはじまったので観戦する事に。お陰で暑い一日を何とか無事やり過ごすことが出来ました。両校のナインに感謝。
今夏の甲子園の中継を見るのは初めてです。沖縄の浦添商業が公立高校としてはただ一校ベスト8に勝ち残っています。慶応は久しぶりの快挙で大応援団を送り込んでいます。ぼくはもちろん浦添の応援です。浦添のブラスバンドは阪神地区の学校の友情出演とか。「ハイサイおじさん」が軽快に演奏されます。一方は「陸の王者」。
一点を争う好試合は延長にもつれ込み、4-3で浦添の勝利に。よかった、よかった。
沖縄の人たちはもちろんだが、阪神地区に多い沖縄出身者も日曜日の準決勝を楽しみにしているだろう。昨年春の室戸高校の応援をおもいだします。ぼくも楽しみが出来ました。
「終戦の詔勅」聞いていただきましたか。
文字付きだからといっても昭和天皇が何を言っているのか、理解に苦しむ方も多かったのではないでしょうか。63年前にラジオの前で聞いた人々はどうだったのか。たぶん、ちんぷんかんぷん?で、どうも戦争に負けたということらしい、という理解だったのでしょう。
内閣書記官長(いまの官房長官)の迫水(さこみず)久常という人が御前会議での天皇の言葉を漢文調につづろうとして3日3晩ほとんど徹夜して書き上げた文章だといいます。その上に安岡正篤という漢学者の添削をうけました。
吉川さんはその道の権威ですから卒倒しそうにもなれますが「ゴダイタメニサク」と聞いてもほとんどの人にわかるはずはないのです。
神であるとされた天皇の声(玉音)が初めてラジオから流れるのです。わからなくとも有り難そうであれば良かったのでしょう。
念のため全文とその日本語訳(?)を紹介します。
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Icho/3935/ww2/syusen.html
昭和天皇について「無責任」だったと批判しましたが、今の明仁(あきひと)天皇については「ほんとうによく努力されているなあ」というのがぼくの率直な感想です。憲法で「象徴」とされたのですがどう振る舞うかどこにも見本はありません。
主権在民(民主主義)、人権の不可侵、非戦非武装の憲法の基本原則をふまえ、注意深く行動されているように見えます。美智子皇后の努力には深い敬意を覚えます。小泉信三という人(慶応・塾長)が東宮の教育掛としてお二人を結びつけたのかと思いますがその先見の明にも脱帽です。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%8E%E6%99%BA%E5%AD%90_(%E7%9A%87%E5%AE%A4)
しかし、前にも書いたことがありますが、「日本国および日本国民統合の象徴」を特定の家系の人物にすることにはやはり無理があります。天皇家という「日本の超名家」に嫁ぐ、美智子さんや雅子さんへの精神的重圧が程度を越していることもその一例ですが、仮に「大和民族」の象徴としてOKだとしても、アイヌなどの先住民族の人々にとってもOKだというのは押しつけがましいことです。
これから先、日本のあり方を考えるとき、率直な議論が行われるべきです。
なお、戦争犠牲者の追悼については現在の皇居、或いは東御苑を沖縄の「平和の礎(いしじ)」を参考にして追悼公園に整備したらどうかと思っています。
「平和の礎」には24万734名が刻銘されているそうです。沖縄県14万9130名、46都道府県7万7033名、米国1万4009名、英国82名、台湾34名、韓国364名、朝鮮82名。(2008年6月23日現在)
国立の追悼公園には310万余の日本国民を始め、どのくらいの外国人の名を刻むことになるのか難しいところです。しかし、20世紀前半の戦争犠牲者をしのび平和を祈念することはこの国の人々のアイデンティティの基礎にかかわることです。議論に値すると思われませんか。
靖国神社はそのままでいいかも知れないし、天皇(すめらぎ)さんが望まれるのならこの国立追悼公園の園長さんになってくださるのもいいのではないかとも思います。
今夏の甲子園の中継を見るのは初めてです。沖縄の浦添商業が公立高校としてはただ一校ベスト8に勝ち残っています。慶応は久しぶりの快挙で大応援団を送り込んでいます。ぼくはもちろん浦添の応援です。浦添のブラスバンドは阪神地区の学校の友情出演とか。「ハイサイおじさん」が軽快に演奏されます。一方は「陸の王者」。
一点を争う好試合は延長にもつれ込み、4-3で浦添の勝利に。よかった、よかった。
沖縄の人たちはもちろんだが、阪神地区に多い沖縄出身者も日曜日の準決勝を楽しみにしているだろう。昨年春の室戸高校の応援をおもいだします。ぼくも楽しみが出来ました。
「終戦の詔勅」聞いていただきましたか。
文字付きだからといっても昭和天皇が何を言っているのか、理解に苦しむ方も多かったのではないでしょうか。63年前にラジオの前で聞いた人々はどうだったのか。たぶん、ちんぷんかんぷん?で、どうも戦争に負けたということらしい、という理解だったのでしょう。
内閣書記官長(いまの官房長官)の迫水(さこみず)久常という人が御前会議での天皇の言葉を漢文調につづろうとして3日3晩ほとんど徹夜して書き上げた文章だといいます。その上に安岡正篤という漢学者の添削をうけました。
吉川さんはその道の権威ですから卒倒しそうにもなれますが「ゴダイタメニサク」と聞いてもほとんどの人にわかるはずはないのです。
神であるとされた天皇の声(玉音)が初めてラジオから流れるのです。わからなくとも有り難そうであれば良かったのでしょう。
念のため全文とその日本語訳(?)を紹介します。
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Icho/3935/ww2/syusen.html
昭和天皇について「無責任」だったと批判しましたが、今の明仁(あきひと)天皇については「ほんとうによく努力されているなあ」というのがぼくの率直な感想です。憲法で「象徴」とされたのですがどう振る舞うかどこにも見本はありません。
主権在民(民主主義)、人権の不可侵、非戦非武装の憲法の基本原則をふまえ、注意深く行動されているように見えます。美智子皇后の努力には深い敬意を覚えます。小泉信三という人(慶応・塾長)が東宮の教育掛としてお二人を結びつけたのかと思いますがその先見の明にも脱帽です。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%8E%E6%99%BA%E5%AD%90_(%E7%9A%87%E5%AE%A4)
しかし、前にも書いたことがありますが、「日本国および日本国民統合の象徴」を特定の家系の人物にすることにはやはり無理があります。天皇家という「日本の超名家」に嫁ぐ、美智子さんや雅子さんへの精神的重圧が程度を越していることもその一例ですが、仮に「大和民族」の象徴としてOKだとしても、アイヌなどの先住民族の人々にとってもOKだというのは押しつけがましいことです。
これから先、日本のあり方を考えるとき、率直な議論が行われるべきです。
なお、戦争犠牲者の追悼については現在の皇居、或いは東御苑を沖縄の「平和の礎(いしじ)」を参考にして追悼公園に整備したらどうかと思っています。
「平和の礎」には24万734名が刻銘されているそうです。沖縄県14万9130名、46都道府県7万7033名、米国1万4009名、英国82名、台湾34名、韓国364名、朝鮮82名。(2008年6月23日現在)
国立の追悼公園には310万余の日本国民を始め、どのくらいの外国人の名を刻むことになるのか難しいところです。しかし、20世紀前半の戦争犠牲者をしのび平和を祈念することはこの国の人々のアイデンティティの基礎にかかわることです。議論に値すると思われませんか。
靖国神社はそのままでいいかも知れないし、天皇(すめらぎ)さんが望まれるのならこの国立追悼公園の園長さんになってくださるのもいいのではないかとも思います。