夕方から何度か驟雨に見舞われ、咋夜は心地よく眠ることができました。
『中国の核実験』の著者・高田純さんからコメントをいただきました。皆さんもどうか、参考になさってください。
文献のご紹介ありがとうございます。
中国の核実験災害について、次のサイト作っていますのでごらんください。
http://www15.ocn.ne.jp/~jungata/NEDonSilkRoadJap1.html
世界中の人々の目がロブノルに注がれ、中国政府が研究者や調査団の受け入れを認めるようになることを願わずにはおられません。これらの事実を覆い隠し、人々の受難を黙殺して進むオリンピックを見る気にならないのはぼくにも人間の心のかけらが残っているからでしょう。
甲子園はきょう、準決勝です。沖縄の浦添商業が常葉菊川(静岡)と対戦します。次に紹介する新聞記事を読み、山城くんがぐっと身近になりました。明日の決勝にはおじいちゃんも甲子園に駆けつけてくださると書いてあります。「肝苦りさ」の心を学ぶ青年は野球はもちろんひとりの人間として有為なリーダーに成長していくことでしょう。がんばれ、浦添。がんばれ、山城。
肝苦りさ(ちむぐりさ)① http://lumokurago.exblog.jp/7049512/
②
http://blog.umikaji.parasite.jp/?eid=149016
桐生一高の監督が辞任したそうですが、問われているのは高野連のリーダーであり朝日新聞社です。高校野球を食い物にする利権集団を解体除名しないかぎり、「
文武両道」の人間は育ちません。
「野球できる平和に感謝」激戦地伊江島出身、浦添商・山城捕手
◇頂点まであと2勝、祖父母の思い心に
夏の甲子園で準決勝に進出した浦添商(沖縄)の山城一樹捕手(3年)は、沖縄本島から約9キロ北西にある離島、伊江島(沖縄県伊江村)の出身だ。伊江島は第二次大戦沖縄戦の激戦地の一つ。山城選手も、戦争を体験した祖父から「おまえたちは戦争がなくて幸せだよ」と言われて育ってきた。悲願の頂点まであと勝利二つ。山城選手は「野球ができる平和に感謝したい」と話している。
沖縄戦で米軍は1945年4月16日、伊江島に上陸。島を占領するまでの6日間で村民約4000人のうち約1500人が死亡したとされる。狭い島に逃げ場はなく、爆弾を抱えて米軍陣地に突進したり、集団自決に追い込まれる住民もいたことから、伊江島での戦闘は「沖縄戦の縮図」とも言われる。
そんな伊江島に育った山城捕手は、祖父母らから平和の大切さを聞かされてきた。だが、具体的な沖縄戦の様子について祖父母の口は堅かった。小学生のころ、宿題で戦争体験を聞いたことがあったが、祖父義雄さん(88)は「銃剣を持たされて壕(ごう)の中にいた」とだけ話すと、涙を流して口を閉ざした。祖母ミドリさん(86)はただ涙を流すだけだった。
山城捕手は「おじいが今でも泣くほど、戦争は残酷だったのだと思う。おじいからは『おまえたちは戦争がなくて幸せだよ』と言われるが、本当にそうだと思う」と話す。義雄さんからは「決勝には行くから」と励まされた。山城選手は「島のみんなに支えられて最高の舞台で試合ができ、幸せです」と笑顔で語った。【三森輝久、伊藤奈々恵】
毎日新聞 2008年8月16日 西部夕刊
『中国の核実験』の著者・高田純さんからコメントをいただきました。皆さんもどうか、参考になさってください。
文献のご紹介ありがとうございます。
中国の核実験災害について、次のサイト作っていますのでごらんください。
http://www15.ocn.ne.jp/~jungata/NEDonSilkRoadJap1.html
世界中の人々の目がロブノルに注がれ、中国政府が研究者や調査団の受け入れを認めるようになることを願わずにはおられません。これらの事実を覆い隠し、人々の受難を黙殺して進むオリンピックを見る気にならないのはぼくにも人間の心のかけらが残っているからでしょう。
甲子園はきょう、準決勝です。沖縄の浦添商業が常葉菊川(静岡)と対戦します。次に紹介する新聞記事を読み、山城くんがぐっと身近になりました。明日の決勝にはおじいちゃんも甲子園に駆けつけてくださると書いてあります。「肝苦りさ」の心を学ぶ青年は野球はもちろんひとりの人間として有為なリーダーに成長していくことでしょう。がんばれ、浦添。がんばれ、山城。
肝苦りさ(ちむぐりさ)① http://lumokurago.exblog.jp/7049512/
②
http://blog.umikaji.parasite.jp/?eid=149016
桐生一高の監督が辞任したそうですが、問われているのは高野連のリーダーであり朝日新聞社です。高校野球を食い物にする利権集団を解体除名しないかぎり、「
文武両道」の人間は育ちません。
「野球できる平和に感謝」激戦地伊江島出身、浦添商・山城捕手
◇頂点まであと2勝、祖父母の思い心に
夏の甲子園で準決勝に進出した浦添商(沖縄)の山城一樹捕手(3年)は、沖縄本島から約9キロ北西にある離島、伊江島(沖縄県伊江村)の出身だ。伊江島は第二次大戦沖縄戦の激戦地の一つ。山城選手も、戦争を体験した祖父から「おまえたちは戦争がなくて幸せだよ」と言われて育ってきた。悲願の頂点まであと勝利二つ。山城選手は「野球ができる平和に感謝したい」と話している。
沖縄戦で米軍は1945年4月16日、伊江島に上陸。島を占領するまでの6日間で村民約4000人のうち約1500人が死亡したとされる。狭い島に逃げ場はなく、爆弾を抱えて米軍陣地に突進したり、集団自決に追い込まれる住民もいたことから、伊江島での戦闘は「沖縄戦の縮図」とも言われる。
そんな伊江島に育った山城捕手は、祖父母らから平和の大切さを聞かされてきた。だが、具体的な沖縄戦の様子について祖父母の口は堅かった。小学生のころ、宿題で戦争体験を聞いたことがあったが、祖父義雄さん(88)は「銃剣を持たされて壕(ごう)の中にいた」とだけ話すと、涙を流して口を閉ざした。祖母ミドリさん(86)はただ涙を流すだけだった。
山城捕手は「おじいが今でも泣くほど、戦争は残酷だったのだと思う。おじいからは『おまえたちは戦争がなくて幸せだよ』と言われるが、本当にそうだと思う」と話す。義雄さんからは「決勝には行くから」と励まされた。山城選手は「島のみんなに支えられて最高の舞台で試合ができ、幸せです」と笑顔で語った。【三森輝久、伊藤奈々恵】
毎日新聞 2008年8月16日 西部夕刊