12月15日(月)
9時35分羽田発JAL1865便。快晴。
富士山がよく見えるとスチュワーデスが私たちを最後尾の窓際に案内してくれる。ぼく一人はずうっとここに残って地上の風景を眺め続けていると職員のかける椅子を空けてくれた上、飲み物ももってきてくれる。ぼくは大島上空あたりから沿岸沿いに南下する飛行機(高度10000m)から日本列島を俯瞰し続ける。
南アルプス、三河湾などは遠望。昨年訪ねた熊野の山々や故郷の土佐湾の広がりも一望のうち。剣山・石鎚山は白い雲の中。宮崎あたりから九州を横断、鹿児島空港へ。最後は霧島山塊はもとより錦江湾と桜島の風景をきちんとみせてくれる。
記念にといって乗務員が飛行機の模型(後日、洋介くんの長男・海斗くんにお土産とする)とメッセージを手書きしたカードを手渡してくれる。こんな待遇を受けたのはぼくだけ。
川内川中流の宮之城で昼食のあと出水のツル渡来地。万余のナベヅルと少数のマナヅル。ぼくは二三羽が飛んでいたり、田圃を歩いていたりする風景の方がいい。
黒之瀬戸大橋の袂の梶折鼻公園。
九州本島と長島の間の海峡。海辺まで降りて散策。ちょうど潮目の替わり時。バリという魚を釣り上げた人たちと出会う。針には猛毒があるが美味だという。
唐隈(からくま)港
遣唐使が漂着した記念碑があるというので寄る。小さな港。碑があるところから海に出ると丸い小さな石の海岸。東シナ海の風波に洗われたのか。今日の旅の疲れを癒してくれる風景に佇む。
唐隈港に向かう国道からの風景http://www.geocities.jp/moyuruomoi/toppage_back_06_nagashima.htm
サンセット長島泊まり 刺身がことのほか美味。
16日(火)快晴・無風
針尾公園
行人岳に登ったあと弁当を買って針尾公園へ。伊唐島、諸浦島などを含む不知火海の絶景。まるで極楽浄土。展望台で昼食。
野良の母猫が私たちに張り付く。父親と子猫は警戒しながら餌を待つ。猫好きの娘が弁当の一部を割いて均等に行き渡るように駆け回る。
http://www.geocities.jp/moyuruomoi/toppage_back_12_azumasyoura.htm
伊唐島(いからじま)
宮之浦港を散歩したあと伊唐島へ。至る所にじゃがいも畑が広がっている。
諸浦島葛輪(しょうらじま・くずわ)
いまは橋でつながった長島町の北の果ての集落。目の前に獅子島。
海岸で妻と娘はヒオウギ貝の貝殻を見つけ収集に夢中になる。ぼくは彷徨っているうちに中元さんという女性に出会う。天草からここに嫁いだあとご夫婦で長く静岡県に住んでおられたという。若いときは大島紬を織ったりもしたがいまはヒオウギ貝の養殖などをやっておられる。この島でも近年水俣病の健康手帳を持つ人が増えたがご自分はもらえない。結婚当時、届けをしていなかったため書類が整わないためらしい。
そういえばこの島のあちこちで道ばたに小さな看板が立っているのに気づいた。水俣病にかかわる相談にのるという出水地区の患者さんの組織(?)が建てたものだった。健康手帳は最近制度化されたもので発病したときの医療費が無料になる。補償とは違うが経済的負担が軽減されるのは間違いない。
中元さんはお茶でも飲んでいきなさいと言ってくださったが残念ながら時間切れ。後ろ髪を引かれる思いで車に乗る。
北方崎ヘゴ自生地
地図の上の鳴瀬鼻というところにヘゴの自生地があると知ったときから行くことにしていたところ。針尾公園から遠望した美しい入り江の上の道を幾重にも曲がりながらここかと思うところにたどり着き、看板などを捜してみたがいっこうに見つからない。畑仕事中のかたがあそこだよと親戚の家だと言うところを教えてくれる。ホンの今通ってきた村の屋敷の裏に確かにヘゴの木が並んでいた。声をかけてもどなたも出てこないので勝手にみせてもらっていたら、隣家の方が出てきてくれた。
お父さんがかつて採ってきて植えたものが増えたのだという。自生地には遠足で行ったことがあるがいまは道がなく容易にはいけないらしい。断崖の下の海岸に群落があるのだろうか。
ぼくはかつて大隅半島で「ヘゴの北限地」を見学している。この2月には奄美大島でその美しさをたっぷりと堪能した。北限がここにもあったので探索しないわけには行かないのだが断念することにした。フェリーの時間が迫っている。
http://blog.goo.ne.jp/keisukelap/d/20080221
蔵之元港から天草・牛深へ
急いでついた蔵之元港でフェリーの時刻が変更になったのを知る。宿で貰った時刻表が暫く前のものだった。今更どうすることも出来ない。
桟橋の管理をするおじさんに聞いてみる。
ヘゴの自生地へは遠い昔に行ったことがあるが近頃のことはわからない。
鹿児島県と熊本県の県境にあたる長島海峡は大潮の時には海流の流れが速くフェリーも流されるという。遠い昔、初めてポンポン船が牛深との間に就航したときのことを懐かしそうに話してくれる。
フェリーから長島を振り返ると風力発電の風車がやけに目立つ。
宮野河内
牛深から長島海峡沿いの狭い道を北上して貰う。昔ながらの漁業の村を幾つか通って石牟礼道子さんが生まれたという宮野河内による。大蓮寺では声をかけてみたが人の気配がなくむなしく引き返す。夕暮れ時に今宵の宿・愛夢里につく。
9時35分羽田発JAL1865便。快晴。
富士山がよく見えるとスチュワーデスが私たちを最後尾の窓際に案内してくれる。ぼく一人はずうっとここに残って地上の風景を眺め続けていると職員のかける椅子を空けてくれた上、飲み物ももってきてくれる。ぼくは大島上空あたりから沿岸沿いに南下する飛行機(高度10000m)から日本列島を俯瞰し続ける。
南アルプス、三河湾などは遠望。昨年訪ねた熊野の山々や故郷の土佐湾の広がりも一望のうち。剣山・石鎚山は白い雲の中。宮崎あたりから九州を横断、鹿児島空港へ。最後は霧島山塊はもとより錦江湾と桜島の風景をきちんとみせてくれる。
記念にといって乗務員が飛行機の模型(後日、洋介くんの長男・海斗くんにお土産とする)とメッセージを手書きしたカードを手渡してくれる。こんな待遇を受けたのはぼくだけ。
川内川中流の宮之城で昼食のあと出水のツル渡来地。万余のナベヅルと少数のマナヅル。ぼくは二三羽が飛んでいたり、田圃を歩いていたりする風景の方がいい。
黒之瀬戸大橋の袂の梶折鼻公園。
九州本島と長島の間の海峡。海辺まで降りて散策。ちょうど潮目の替わり時。バリという魚を釣り上げた人たちと出会う。針には猛毒があるが美味だという。
唐隈(からくま)港
遣唐使が漂着した記念碑があるというので寄る。小さな港。碑があるところから海に出ると丸い小さな石の海岸。東シナ海の風波に洗われたのか。今日の旅の疲れを癒してくれる風景に佇む。
唐隈港に向かう国道からの風景http://www.geocities.jp/moyuruomoi/toppage_back_06_nagashima.htm
サンセット長島泊まり 刺身がことのほか美味。
16日(火)快晴・無風
針尾公園
行人岳に登ったあと弁当を買って針尾公園へ。伊唐島、諸浦島などを含む不知火海の絶景。まるで極楽浄土。展望台で昼食。
野良の母猫が私たちに張り付く。父親と子猫は警戒しながら餌を待つ。猫好きの娘が弁当の一部を割いて均等に行き渡るように駆け回る。
http://www.geocities.jp/moyuruomoi/toppage_back_12_azumasyoura.htm
伊唐島(いからじま)
宮之浦港を散歩したあと伊唐島へ。至る所にじゃがいも畑が広がっている。
諸浦島葛輪(しょうらじま・くずわ)
いまは橋でつながった長島町の北の果ての集落。目の前に獅子島。
海岸で妻と娘はヒオウギ貝の貝殻を見つけ収集に夢中になる。ぼくは彷徨っているうちに中元さんという女性に出会う。天草からここに嫁いだあとご夫婦で長く静岡県に住んでおられたという。若いときは大島紬を織ったりもしたがいまはヒオウギ貝の養殖などをやっておられる。この島でも近年水俣病の健康手帳を持つ人が増えたがご自分はもらえない。結婚当時、届けをしていなかったため書類が整わないためらしい。
そういえばこの島のあちこちで道ばたに小さな看板が立っているのに気づいた。水俣病にかかわる相談にのるという出水地区の患者さんの組織(?)が建てたものだった。健康手帳は最近制度化されたもので発病したときの医療費が無料になる。補償とは違うが経済的負担が軽減されるのは間違いない。
中元さんはお茶でも飲んでいきなさいと言ってくださったが残念ながら時間切れ。後ろ髪を引かれる思いで車に乗る。
北方崎ヘゴ自生地
地図の上の鳴瀬鼻というところにヘゴの自生地があると知ったときから行くことにしていたところ。針尾公園から遠望した美しい入り江の上の道を幾重にも曲がりながらここかと思うところにたどり着き、看板などを捜してみたがいっこうに見つからない。畑仕事中のかたがあそこだよと親戚の家だと言うところを教えてくれる。ホンの今通ってきた村の屋敷の裏に確かにヘゴの木が並んでいた。声をかけてもどなたも出てこないので勝手にみせてもらっていたら、隣家の方が出てきてくれた。
お父さんがかつて採ってきて植えたものが増えたのだという。自生地には遠足で行ったことがあるがいまは道がなく容易にはいけないらしい。断崖の下の海岸に群落があるのだろうか。
ぼくはかつて大隅半島で「ヘゴの北限地」を見学している。この2月には奄美大島でその美しさをたっぷりと堪能した。北限がここにもあったので探索しないわけには行かないのだが断念することにした。フェリーの時間が迫っている。
http://blog.goo.ne.jp/keisukelap/d/20080221
蔵之元港から天草・牛深へ
急いでついた蔵之元港でフェリーの時刻が変更になったのを知る。宿で貰った時刻表が暫く前のものだった。今更どうすることも出来ない。
桟橋の管理をするおじさんに聞いてみる。
ヘゴの自生地へは遠い昔に行ったことがあるが近頃のことはわからない。
鹿児島県と熊本県の県境にあたる長島海峡は大潮の時には海流の流れが速くフェリーも流されるという。遠い昔、初めてポンポン船が牛深との間に就航したときのことを懐かしそうに話してくれる。
フェリーから長島を振り返ると風力発電の風車がやけに目立つ。
宮野河内
牛深から長島海峡沿いの狭い道を北上して貰う。昔ながらの漁業の村を幾つか通って石牟礼道子さんが生まれたという宮野河内による。大蓮寺では声をかけてみたが人の気配がなくむなしく引き返す。夕暮れ時に今宵の宿・愛夢里につく。