川越だより

妻と二人あちこちに出かけであった自然や人々のこと。日々の生活の中で嬉しかったこと・感じたこと。

桶川の泉福寺

2009-09-04 20:46:25 | 川越・近郊
ふるさとの湯に連れて行ってもらう前に桶川の泉福寺に寄ることにしました。荒川の河岸段丘の上に伽藍が広がっています。ここは昔、桶川市川田谷の元同僚のOさんの家を訪ねたとき初めて知ったところですが天台宗の大学のようなところだったようです。

 案内板にはこうあります。

 泉福寺
 所在地 桶川市大字川田谷
この寺は、東叡山勅願院円頓房泉福寺と号し、比叡山延暦寺を総本山とする天台宗の別格寺院である。東叡山とは関東の比叡山という意味で、天皇の勅願所であると共に、学僧の養成道場としての学山である。
その開祖は遠く、平安時代にさかのぼり、天長6年(829年)、淳名天皇の勅願によって、慈覚大師円仁が開山したものである。大師は自らの手で薬師如来、地蔵菩薩、阿弥陀如来の三体の仏像を刻まれ、本尊として祀り、疫病除災等の祈願をされたと伝えられている。草創当時は広大な境内に堂塔伽藍が立ち並び、多くの塔頭を擁し、盛況の中にあったが、源平の乱に於いて戦火を被り、全てを焼失したと言う。
その後、鎌倉時代の文暦元年(1234)比叡山より信尊上人が来院され、河田谷殿の庇護のもと四人の弟子と共に復興に努力され、中興を成しとげた。
その弟子の一人尊海は、川越の喜多院、中院等を次々と復興すると共に、法脈からは多くの英才が輩出し、ここに関東談林が開花し、関東天台の台頭へと発展する。
このことにより当山が関東天台の祖山といわれるものである。
しかし、戦国時代の争乱の中で度重なる火難を受け、堂塔伽藍を焼失した。
江戸時代に至り、勅願寺の故を以って幕府の庇護を辞退する中にも、その由緒により、御朱印地五十石の内の五石と、不入地四万坪のみを拝領するところとなり、堂塔も次第に整備され、宝暦2年(1752)には、山門、鐘楼を除き殆ど完成されるに至った。現在の建物は大体この時代のものである。
なお、当山には、国指定重要文化財の阿弥陀如来坐像(弘長2年・1262・銘)を始めとし、石の仁王像、雨乞いの龍など貴重な文化財が伝えられている。
昭和61年3月
埼玉県
桶川市

 川越周辺の寺を訪ねていると「東叡山」という山号によく出会うような気がします。こんな田舎になぜと思うほど立派な伽藍がそびえています。上野の寛永寺、川越の喜多院などとともに徳川さんと縁が深かったのでしょう。
 
 辺鄙なところにあるせいか、人影は少なく、雰囲気のいいところです。目の前が桶川飛行場になっています。仁王像が石造りで武骨なのが面白い。

  泉福寺http://www.geocities.jp/oosa_m2/senpukuji.htm


 北本の自然観察公園に足を延ばして散歩。

http://www.saitama-shizen.info/

 数年ぶりに訪ねたのですが人員不足か園内が荒れてきたように感じました。池には葦(よし)が生え放題で水面が見えません。

 昼食をとると眠気が襲ってきて温泉にいく気力はなく、早々に帰宅して昼ね。今日はどうも元気の出ない一日でした。

 インフルエンザが蔓延しているため秋の移動教室を無期限延期にしたことが響いているのでしょうか。はたまた天候のせいか?こういう日は横になるに限ります。いくらでも寝られます。