20日(日) いつものように河川敷の森を歩こうと川越公園に行ってみたら、リレー・フォー・ライフという集いが開催中でした。「がん患者支援チャリティイベント」とあったので他人事ではありません。覗いてみることにしました。
ステージでは城西大川越中・高生の太鼓演奏中です。食事コーナーで狐そばを食べながら、同席したボランティアの方に趣旨を聞いてみました。
歴 史
リレー・フォー・ライフ(命のリレー)は、イチロー選手が活躍する大リーグ・マリナーズの本拠地、ワシントン州シアトル郊外のタコマで、1985年に始まりました。ゴルディー・クラット医師(直腸・肛門の外科医) がアメリカがん協会のために寄付を集めようと、24時間歩き、走り続けることを思いつきました。トラックを1周するたびに友人から寄付を募り、2万7千ドルを集めました。そこで、1人で歩き続けるよりは、チームで24時間タスキをつないだ方が楽しいのではないかと思い、翌年は友人たちを誘いました。トラックの周りでキャンプを張り、交代でトラックを歩きました。リレー・フォー・ライフは、こうして生まれました。のちにリレーはアメリカ対がん協会の看板イベントになり、今や全米5000カ所(07年)に広がり、参加者は400万人にも及びます。さらに世界20カ国でも開かれるようになりました。アメリカでは、リレーで4億ドル(07年、約400億円)の寄付を集め、がんとの闘いに使われています。
日本では、2006年9月、つくば市で日本初のイベントが実現しました。2007年には芦屋市と東京で開催。2008年は、北海道から九州まで全国各地へと広がりました。又、集まった寄付は全額、日本対がん協会に寄付され様々な‘がん医療の充実’に役立てられています。
リレー・フォー・ライフとは何か?
リレー・フォー・ライフは、各国の対がん協会が、がんについて各地域コミュニティーを啓発する機会になります。地域全体を一堂に集め、サバイバーの勇気を称え、がんで亡くなった人たちについて振り返り、がんの早期発見や予防について学びます。チームを組み、寄付を集め、広場にテントを張り夜を明かします。各チームから必ず1人はトラック上にいることを目指します。歩いていないときは、エンターテインメント、音楽、ゲームを楽しみます。参加者たちががんについて学ぶ絶好の機会でもあります。
出典http://www.rfl-saitama.com/
周りのトラックを幾組もの人々がそれぞれに横断幕を持って歩いています。昨日の13時からほぼ一日こうやって間断なく歩きながら寄付金を集めてきたのでしょうか。僕も肺がんの患者だというと紫色のスカーフを首に巻いた女性が「私もサバイバーです。最後に全員でラストウオークをします。よろしかったらご一緒に」といってくれました。
サバイバーとはなれない言葉ですががん患者や体験者を指す言葉のようです。紫のスカーフがサバイバーのしるしだといいます。見渡してみるとそれほど多くはありませんが女性のサバイバーの姿がアチコチに認められます。乳がんの体験者が多いのでしょうか。
会場を回って「緩和ケアー」を中心とする資料をもらいました。僕がかかっているのは癌研有明病院で片道2時間もかかります。川越地域でもいくつかの病院が取り組みを始めているようです。いずれ世話になるのかもしれないのです。スタッフの方々に近づけたのも何かの縁かもしれません。未来永劫に縁がないことが一番ですが。
ラストウオークの後の閉会集会で24時間リレーに参加した人たちが紹介されました。見慣れた顔があったので近づいてみると池袋商業高校時代の同僚のTさんでした。驚くやら、懐かしいやら。どうもこの集いの中心メンバーの一人のようです。首に紫のスカーフを巻いていますが元気そのものに見えます。
閉会後の後片付けで忙しいさなかですが久闊を叙することができました。家に帰ってプログラムを見るとその最後に作成の責任者としてTさんの名があります。住まいは大宮だと聞きました。川越での初めての集いを成功させるために尽力されて来たに違いありません。
来年もやります。よかったらどうぞと言われました。偶然参加して思わぬ人と会いました。感謝です。
ステージでは城西大川越中・高生の太鼓演奏中です。食事コーナーで狐そばを食べながら、同席したボランティアの方に趣旨を聞いてみました。
歴 史
リレー・フォー・ライフ(命のリレー)は、イチロー選手が活躍する大リーグ・マリナーズの本拠地、ワシントン州シアトル郊外のタコマで、1985年に始まりました。ゴルディー・クラット医師(直腸・肛門の外科医) がアメリカがん協会のために寄付を集めようと、24時間歩き、走り続けることを思いつきました。トラックを1周するたびに友人から寄付を募り、2万7千ドルを集めました。そこで、1人で歩き続けるよりは、チームで24時間タスキをつないだ方が楽しいのではないかと思い、翌年は友人たちを誘いました。トラックの周りでキャンプを張り、交代でトラックを歩きました。リレー・フォー・ライフは、こうして生まれました。のちにリレーはアメリカ対がん協会の看板イベントになり、今や全米5000カ所(07年)に広がり、参加者は400万人にも及びます。さらに世界20カ国でも開かれるようになりました。アメリカでは、リレーで4億ドル(07年、約400億円)の寄付を集め、がんとの闘いに使われています。
日本では、2006年9月、つくば市で日本初のイベントが実現しました。2007年には芦屋市と東京で開催。2008年は、北海道から九州まで全国各地へと広がりました。又、集まった寄付は全額、日本対がん協会に寄付され様々な‘がん医療の充実’に役立てられています。
リレー・フォー・ライフとは何か?
リレー・フォー・ライフは、各国の対がん協会が、がんについて各地域コミュニティーを啓発する機会になります。地域全体を一堂に集め、サバイバーの勇気を称え、がんで亡くなった人たちについて振り返り、がんの早期発見や予防について学びます。チームを組み、寄付を集め、広場にテントを張り夜を明かします。各チームから必ず1人はトラック上にいることを目指します。歩いていないときは、エンターテインメント、音楽、ゲームを楽しみます。参加者たちががんについて学ぶ絶好の機会でもあります。
出典http://www.rfl-saitama.com/
周りのトラックを幾組もの人々がそれぞれに横断幕を持って歩いています。昨日の13時からほぼ一日こうやって間断なく歩きながら寄付金を集めてきたのでしょうか。僕も肺がんの患者だというと紫色のスカーフを首に巻いた女性が「私もサバイバーです。最後に全員でラストウオークをします。よろしかったらご一緒に」といってくれました。
サバイバーとはなれない言葉ですががん患者や体験者を指す言葉のようです。紫のスカーフがサバイバーのしるしだといいます。見渡してみるとそれほど多くはありませんが女性のサバイバーの姿がアチコチに認められます。乳がんの体験者が多いのでしょうか。
会場を回って「緩和ケアー」を中心とする資料をもらいました。僕がかかっているのは癌研有明病院で片道2時間もかかります。川越地域でもいくつかの病院が取り組みを始めているようです。いずれ世話になるのかもしれないのです。スタッフの方々に近づけたのも何かの縁かもしれません。未来永劫に縁がないことが一番ですが。
ラストウオークの後の閉会集会で24時間リレーに参加した人たちが紹介されました。見慣れた顔があったので近づいてみると池袋商業高校時代の同僚のTさんでした。驚くやら、懐かしいやら。どうもこの集いの中心メンバーの一人のようです。首に紫のスカーフを巻いていますが元気そのものに見えます。
閉会後の後片付けで忙しいさなかですが久闊を叙することができました。家に帰ってプログラムを見るとその最後に作成の責任者としてTさんの名があります。住まいは大宮だと聞きました。川越での初めての集いを成功させるために尽力されて来たに違いありません。
来年もやります。よかったらどうぞと言われました。偶然参加して思わぬ人と会いました。感謝です。