12月11日(土)晴れ
暖かい一日だった。2時から高校のクラス会。
僕が卒業した土佐高校は高知市にある私学で僕ら64名は3年間「H組」だった。だから卒業時につくった文集に「さんえいち」と名前を付けた。いつの頃からだったか、HR担任の竹村一水先生の名にちなんで「一水会」なる名の関東地方在住者のクラス会を開くようになった。
今回は僕が幹事ということになったので「卒業50年記念・古稀祝賀」と銘打って「銀座麒麟」で開催することにした。大半の人とはメールで連絡を取り合った。関東地方在住者15人のうち10名と関西から前田くんが出席してくれた。
旧知の間柄でたまには会っているが一人一人をそれほど理解し合っているわけではない。5時までの3時間の間に11人がそれぞれに今を語って交流した。
親の介護と自身の闘病の話が多いのは当然かもしれないが、中川くんの癌研に世話になる人が僕を含めて5人にもなるのには驚く。
益弘くんが父上の歌う「南国節」のレコードをもってきてくれた。「南国土佐をあとにして」の元歌だ。伊野部くんが複製して聞けるようにしてくれるという。
最後は「雪の降る街を」歌った。
1960年2月、体育館での謝恩会でHホームは全員で此の唄を歌った。僕はこの謝恩会の企画・司会を担当したのでよく憶えているのだが忘れてしまっている人がほとんどのようだった。一番と三番を合唱、二番は益弘くんが独唱してくれた。
●雪の降る街をhttp://www.youtube.com/watch?v=RRTe8c25HH0
50年後に同じように歌った。益弘くんの独唱も50年ぶりに聴かせてもらった。彼は今各地の公会堂などで老齢者が喜ぶコンサートを企画・開催する活動を続けているという。
「銀座麒麟」は僕の生徒だった松島徹くんが料理長を務める店だ。去年の彼らの同窓会では話に夢中になってほとんど料理を食べられなかった。今回は心してしっかり味わった。美味い。是ならみんなも満足してくれたことだろう。
宴会の合間にロシア美人のお連れ合いにも会わせてくれた。うれしさこの上なし。
●松島徹くんhttp://blog.goo.ne.jp/keisukelap/e/53334983db7d0955cbba88d6e36e492a
山崎くんに「さんえいち」のコピーを頼まれた。帰りの電車の中で「人魚の歌声」と題された彼の文章を読んだ。
幼い頃、海辺の村で交遊した知恵遅れの女性との「純愛」を回想した名文だ。「我がいとしの人魚のお恵に捧ぐ」という言葉で「完」となっている。今は高名な舞踏家の心の奥底に生きている秘密の愛を知ったような気がしてうれしかった。その村が窪川町興津であることは今日のスピーチで知ったばかりだ。
入試の直前に最後のHR委員が中心になって作った文集『さんえいち』。1月30日に発刊記念祝賀会をやった。この文章を収めることが出来ただけでも良かったなあと思った。
編集委員5人のうち溝渕くんは早くに逝った。ブラジルに移民した坂田さんには再会がかなわないままだ。
●山崎泰くんhttp://www.kk-video.co.jp/sakuhin/framenco/yamazakiyasushi.html
暖かい一日だった。2時から高校のクラス会。
僕が卒業した土佐高校は高知市にある私学で僕ら64名は3年間「H組」だった。だから卒業時につくった文集に「さんえいち」と名前を付けた。いつの頃からだったか、HR担任の竹村一水先生の名にちなんで「一水会」なる名の関東地方在住者のクラス会を開くようになった。
今回は僕が幹事ということになったので「卒業50年記念・古稀祝賀」と銘打って「銀座麒麟」で開催することにした。大半の人とはメールで連絡を取り合った。関東地方在住者15人のうち10名と関西から前田くんが出席してくれた。
旧知の間柄でたまには会っているが一人一人をそれほど理解し合っているわけではない。5時までの3時間の間に11人がそれぞれに今を語って交流した。
親の介護と自身の闘病の話が多いのは当然かもしれないが、中川くんの癌研に世話になる人が僕を含めて5人にもなるのには驚く。
益弘くんが父上の歌う「南国節」のレコードをもってきてくれた。「南国土佐をあとにして」の元歌だ。伊野部くんが複製して聞けるようにしてくれるという。
最後は「雪の降る街を」歌った。
1960年2月、体育館での謝恩会でHホームは全員で此の唄を歌った。僕はこの謝恩会の企画・司会を担当したのでよく憶えているのだが忘れてしまっている人がほとんどのようだった。一番と三番を合唱、二番は益弘くんが独唱してくれた。
●雪の降る街をhttp://www.youtube.com/watch?v=RRTe8c25HH0
50年後に同じように歌った。益弘くんの独唱も50年ぶりに聴かせてもらった。彼は今各地の公会堂などで老齢者が喜ぶコンサートを企画・開催する活動を続けているという。
「銀座麒麟」は僕の生徒だった松島徹くんが料理長を務める店だ。去年の彼らの同窓会では話に夢中になってほとんど料理を食べられなかった。今回は心してしっかり味わった。美味い。是ならみんなも満足してくれたことだろう。
宴会の合間にロシア美人のお連れ合いにも会わせてくれた。うれしさこの上なし。
●松島徹くんhttp://blog.goo.ne.jp/keisukelap/e/53334983db7d0955cbba88d6e36e492a
山崎くんに「さんえいち」のコピーを頼まれた。帰りの電車の中で「人魚の歌声」と題された彼の文章を読んだ。
幼い頃、海辺の村で交遊した知恵遅れの女性との「純愛」を回想した名文だ。「我がいとしの人魚のお恵に捧ぐ」という言葉で「完」となっている。今は高名な舞踏家の心の奥底に生きている秘密の愛を知ったような気がしてうれしかった。その村が窪川町興津であることは今日のスピーチで知ったばかりだ。
入試の直前に最後のHR委員が中心になって作った文集『さんえいち』。1月30日に発刊記念祝賀会をやった。この文章を収めることが出来ただけでも良かったなあと思った。
編集委員5人のうち溝渕くんは早くに逝った。ブラジルに移民した坂田さんには再会がかなわないままだ。
●山崎泰くんhttp://www.kk-video.co.jp/sakuhin/framenco/yamazakiyasushi.html