川越だより

妻と二人あちこちに出かけであった自然や人々のこと。日々の生活の中で嬉しかったこと・感じたこと。

順子のオモニ逝く

2010-12-24 10:27:52 | 友人たち
 12月23日(祝)晴れ 

 北風が強いのでどこにも行けず、午前中は先日の高校のクラス会の集合写真などをクラスメートに発送するしごと。これで幹事としての役目は終わったかな。

 午後はお使いに出たついでに久しぶりに図書館に寄る。目立つ所に『くじら組』(山本一力著・文芸春秋)が置いてあったので借りることにする。

 ●「くじら組」http://www.bunshun.co.jp/cgi-bin/book_db/book_detail.cgi?isbn=9784163279800

 江戸から明治末期まで僕の父祖たちが働いた「津呂組」の物語だ。新聞連載中に高校の同級生の一郎くんが切り抜いて読ませてくれた。年の暮れにもう一度味わってみよう。

 夕刻、順子(すんじゃ)のオモニ・郭正順(岩田秋子)さんが亡くなったという報せがあった。10余年にわたる闘病だった。苦労の多い人生を「なにくそ」と生き抜いてこられた。昭和16年(1941年)14歳で単身渡日したという。

 ●「順子のオモニを見舞う」http://blog.goo.ne.jp/keisukelap/e/8d8a5e7c78afc20573b0a0465b492935

 

 僕は東京に出てきてから「故郷・土佐」を識るようになり、年を重ねるにつれて深く愛するようになった。

 龍馬も慎太郎も兆民も秋水も槇村浩も…。吉野、仁淀(によど)、物部(ものべ)、奈半利(なはり)、四万十などの河川、魚梁瀬(やなせ)・千本山などの素晴らしい森。父母とともに訪ねた足摺、大堂・柏島、宿毛湾の風光は特に忘れられない。大人になって再び出会って親交を回復した友人たちのことはいうまでもない。

 故郷に、いや父母にさえ、再び抱かれることのなかった人の思いとはどんなものだったのであろうか。
 
 聞こうと思えばいくらでも話してくれただろう。僕はその機会を永遠に失ってしまった。

 土曜と日曜は順子の家族と共に過ごして野辺の送りの一員とさせてもらいます。(合掌)