川越だより

妻と二人あちこちに出かけであった自然や人々のこと。日々の生活の中で嬉しかったこと・感じたこと。

福島原発反対同盟 石丸小四郎さん

2011-04-11 08:57:45 | 自然と人間(震災・津波・原発事故)

昨夜は久しぶりに近所の中国家庭料理「家園」を訪ねて家族3人で食事をした。意見交換をしているうちに東電のやりたい放題(原発至上主義)をやめさせるためには①電力産業の「独占」をやめさせ、誰でもが自由に電力を買う会社を選べるようにすること②東電の責任追及と補償要求をばんばんやること などが大事だという結論になった。

 今朝、パソコンで40年間福島原発に反対してきた石丸さんの記事を読むことが出来た。「中日新聞」系列の各紙に出ているようだ。こんな方がやはりおられたのだ。「無力感にさいなまれている」と言われながら、子供たちのために何とかしなきゃいけない」と闘いの炎を燃やし続ける。

 皆さんにもぜひ読んでもらいたい。

 

故郷危機 怒りと無力感


         交付金特需→財政悪化→原子炉増設  雇用と引き替えに

      

 福島原発の地元反対同盟  闘い40年 石丸小四郎さん


深刻化こそすれど、一向に収束の見通しが立たない、東京電力福島第一原発の事故。
その原発の目と鼻の先に住み、原発反対運動を40年続けてきた男性がいる。
福島県富岡町の元郵便局員石丸小四郎さん(68)。
避難先で、「故郷を失って流浪の民になった怒りと悔しさを、原発を日本からなくす活動につなげる」と話す。

  
石丸さんはいま、秋田市内にある姉のマンションに孫2人と身を寄せる。
避難指示が出た自宅は、第1原発から約4キロ。
富岡町の沿岸部は津波で全て流されたが、町内の高台にあった石丸さん宅は難を逃れた。
「だが、生きてるうちには二度と戻れないと覚悟した」

最近の新聞記事に「避難指示地域で発見された遺体は、高濃度の放射線に汚染されており、収容できていない」とあったからだ。
亡き妻が気に入っていたログハウス、故郷の森…。もう一度見たい、といういちるの望みが消えた。

石丸さんは1970年代から原発反対運動を始めた。現在は「双葉地方原発反対同盟」の代表を務める。
学習を重ね、放射能の怖さを身に染みて知った。
自分たちが住んでいた町は、病院の中にある「放射線管理区域」と同じだと例える。

「放射能は痛くもかゆくもねえし、臭いもしねえ。地元のじっちゃ、ばっちゃには『被ばく量を測りながら入る仕事場と同じで、まま(飯)も食われねえ場所なんだよ』と説明するんだが…」

事故発生後、知り合いから「あんたは反対運動してたから『それみたことか』と思ってるべ」と言われる。
「けれど、そうじゃない。40年も反対して止められず、こんなことになってしまった。ものすごく無力感にさいなまれている」

石丸さんが富岡町に移り住んだのは64年。第1原発の建設工事が始まる直前だった。
「原爆のことを考えたら、夢のエネルギーといわれても半信半疑」だった。
後に双葉町長になって推進派に転じた岩本忠夫氏に誘われ、第2原発建設の反対運動に参加した。
しかし、反対運動はあっという間に切り崩された。


もともと、福島県双葉郡は産業がなく出稼ぎが多い。
ところが原発建設が進んだ70~80年代、地元は“原発特需”に沸き返った。
喫茶店や居酒屋、下宿屋などが林立。町には交付金など数千億円が流れ込んだ。

「飲み屋の主人が『こんなに金もうけていいもんだべかな』というくらい。そのうち仙台のようになるといわれた」
子や孫が原発関連の仕事に就職するようになり、反対派は1人消え、2人消えしていった。

しかし、特需は建設工事が終わると去った。
それにもかかわらず、地元自治体は体育館や温泉施設などをどんどん建設した。
しかし、夢物語はいつまでも続かない。
「電源三法交付金は建設後10年もたてば急減する。借金と施設維持費で首が回らなくなり、財政再建団体寸前に陥った」

 
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 労働は過酷でも「戻る」人件費削減→事故多発 悪循環止まらず


地元自治体が向かったのが、原子炉の増設だった。原発は地元民の働く場でもある。
福島県双葉郡の6町2村で、人口約7万6000人のうち、1万人が原発関連の仕事に就いているという。
今回の事故で避難したが「会社から呼び出しがあったら戻りたい」と話す人は多い。
失業するわけにはいかないからだ。

「しかし、労働者たちは守られてるとは言えない。東電は一流企業と思われているが、一時は売り上げの2倍の借金を抱えた企業だ。特に2000年以降は修繕費と人件費を削り続け、事故が多発するという悪循環に陥っている」

 
 
原発は、設備投資やメンテナンスに膨大な経費がかかる。
福島第1原発は、稼動当初から燃料被覆管に穴が開く事故や、配管の継ぎ目にひびが入る事故などが多発。
専門家に「性能は実験炉なみ」と言われてきた。

原子炉を止めると1日1億円の損失が出るとも言われる。
「なるべく損失を減らそうと定期点検の間隔を長くする。さらに点検期間を短縮する。そのために作業員は昼夜を問わぬ過酷な作業を続けることになり、危険にさらされる」

地元の下宿屋のおかみから「原発の仕事から帰ってくる人らが食事時に食べながら眠っている」と聞いた。
最近では、東京で失業した若者が「清掃作業」の募集で福島に来てみたら、原発の仕事だと初めて知ったという相談も受けた。

労働の過酷さは協力会社と呼ばれる下請けの労働者にとどまらない。
「東電の社員も合理化で、乾いたぞうきんを絞るように過重勤務だ」
石丸さんは「原発が抱える困難は全て放射能に由来する。発電のために湯っこ沸かすのに、なんで原子力なんて危ないもの使わなきゃいけねえんだべ」とつぶやく。

「日本は資源に乏しい国だから」という言葉が魔法の言葉となり、国民が思考停止に陥っていると感じている。
原発は“トイレなきマンション”。
青森県六ヶ所村の使用済み核燃料再処理工場は止まったままで、使用済み核燃料の処理すらままならない。
英仏で再処理された使用済み核燃料が日本に戻ってきているが、その中のごみにあたる高レベル放射性廃棄物をガラス固化する技術はうまくういっていない。
埋没する場所も決まっていない。

現在の事故がうまく収束しても、処理には数十年かかるともいわれる。
「今の事故で放射性物質は東京にも流れていく。故瀬尾健助手(京大原子炉実験所)が福島での大事故を想定した試算では、首都圏で200万人以上が著しい健康被害を受けるという推計もある。
自分たちだけは安全なんて場所はない」

「責任追及し原発なくす」
 
いま、石丸さんは生涯かけて成し遂げる目標を立てている。
ひとつめは、刑事責任を含めた国と東電の徹底的な責任追及。
そしてドイツのように国を挙げて「脱原発」の計画を立てさせ、原発以外のエネルギーへの転換を目指すこと。
東電などの電力10社の寡占を防ぐため、一般家庭で複数の民間電力会社から購入先を選べるように自由化を進める。
そして今回の事故について、国や東電に徹底した個人補償をさせることだ。


「何万年も消えない放射能だってある。原発災害ほど、世代間で不公平があるものはない。
災害も喉元過ぎれば、とすぐに再開してしまうのが原発だけど、子供たちのために何とかしなきゃいけない。
それほど日本人はバカじゃない」

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北陸中日新聞(平成23年4月1日:朝刊)