昨日は午後から涼しくなり、午睡のあと川越水上公園の河川敷の森を散歩してきました。キツネノカミソリがあちこちで赤い花を咲かせています。
お隣のMさんご夫妻が10日から岩手県西和賀町の故郷に帰って来るというので急遽夕食会をしました。久しぶりに飲むビールがことのほか心地よく、食も進みました。
さて、janjanに次のような記事が載っています。
三鷹高校校長が東京都教育委員会に公開討論を要求
渡辺容子2008/08/06
職員会議での「挙手・採決禁止の通知」の撤回を求めて都立三鷹高の校長が公開討論を求めています。取材をして、都教委が公開討論に応じるとは考えられず最低の話し合いすらしないこの国に民主主義はあるのかと思いました。
2006年4月に東京都教育委員会から出された「職員会議において職員の意向を確認する挙手・採決の禁止の通知」(以下「通知」という)の撤回を求めている東京都立三鷹高校校長・土肥信雄さんが、8月4日、応援する有識者と共に都教委に対して公開討論に応じるように要請し、都庁記者クラブで記者会見を行いました。
土肥校長は都教委の通知に対して2007年11月の校長会で撤回を求めましたが、納得のできる対応がなかったため、今年7月10日、公開討論を要求しました。残念なことに都教委からは応じられないと連絡があったため再度の要請とのことです。
土肥校長は自分の信条は基本的人権の尊重と平和主義であるとし、中でも言論の自由は社会の発展、活性化に必要な民主主義の基本であり、教育現場において尊重すべき重要なものであるが、都教委の「通知」は言論の自由を奪うものであると述べました。
土肥校長は都教委に、お互いに生徒のため、東京のため、日本のためを思って教育活動を行っているのだから、公開討論の場で意見を述べ合い、都民、国民にどちらの意見が正しいか判断してほしい、都教委への支持が多ければ、自分は素直に都教委の意見に従うとしました。ちなみに三鷹高校では「通知」を守り、挙手・採決は一切行っていないとのことです。
それから応援にかけつけた4氏からの訴えがありました。 藤田英典さん(国際基督教大学教授)は土肥校長に全面的に賛同するとし、近年の都教委の施策は教員の思想良心の自由や努力鋭意を抑圧するもので重大な危機感を抱いていること、教員の意向を知ることは学校運営に必要であり、校長の権限を弱めるものではないと述べました。
尾木直樹さん(教育評論家)は土肥さんが謙虚で共に考えていこうという姿勢を持っていることに共感したとし、自分は中立を守る評論家としてこういう場にはめったに顔を出さないが、今回は同席したと述べました。そして最近の都教委のやり方が教員に対して抑圧的なので、東京都の教員採用試験の受験倍率が他県に比べてきわめて低いと指摘しました。都教委の閉鎖性やヒエラルキーは大分県教委の汚職に通底するものがあり、なんらのチェックもなく、民間企業ならとうにつぶれていると痛烈に批判、都民は重大な課題を抱えていると述べました。
勝野正章さん(東京大学准教授)は、現職の校長が指摘している重大性に触れ、公開討論は意義深いことであり、専門家だけの問題ではなく、生徒を含むいろんな人が社会的対話をする必要がある、また都教委には説明責任があると述べました。
石坂啓さん(漫画家)は母親としての立場から、都教委の「通知」は親にはあまり知られておらず、素朴に「なぜ?」と思うこと、子どものため、学校のためではないと思うと述べました。萎縮した大人というのは子どもにとってどう映るのか、弊害を受けるのではないかと疑問を呈しました。
それから記者の質問に答えて、土肥校長が次のように述べました。「挙手・採決の禁止」の意味は教員が意見を言うこと自体はよいが、全員に賛成・反対を聞いてはいけないという意味である。しかし、意見を言える人はよいが、全員なかなか発言できないので、全員の意向を聞きたいと思っている。以前は職員会議が最高議決機関だったが、現在は校長の補助機関という位置づけである。全員が反対でも校長の判断で決定することもある。
出典 JANJAN 8月6日
http://www.news.janjan.jp/area/0808/0808053791/1.php
三鷹高校の土肥校長のことは前にも紹介したことがありますが、今回の行動も至極全うなことで、民主主義のなんたるかを考えさせる優れた教育活動ともいえます。
三鷹高校のみならず、すべての都立高校でこの校長の行動について討論会を開いてほしいと思います。HRでもよし、生徒会主催でもよし。また、この記事に気づいたら、高校生を持つ家庭では子どもたちと語り合ってください。民主主義は私たちのひとりひとりの不断の努力によってのみ支えられるものです。
土肥校長の努力に私たちも行動によって応えるときです。その程度のことも出来ないとしたら市民社会の一員としては失格とぼくは思います。そのツケはいずれ何倍にもなって私たちを苦しめます。
それにしても土肥さんに賛同する校長はひとりもいないのでしょうか。元校長でも良い。
Mくん、もうひとりのMくん、Iくん、Kくん、Sくん…。東京教育大の学生だった頃の友人で都立高校の校長になった人たちよ、あなたたちはどう考えているのですか。
ぼくは1948年小学校入学です。「戦後民主教育」によって育てられた一期生か二期生です。(新憲法の施行は47年5月3日、教育基本法は47年3月31日)。特別の教育を受けたわけではありませんが、話し合い、討論は生活の中にあったように思います。
そんな僕らの世代が責任を果たさないでどうするのですか。
都教委は土肥校長の提案に応え、公開討論の場をつくるべきです。教育長、場合によったら石原知事が出て、堂々と論陣を張ったらいい。大阪の橋下知事が公開討論の場を積極的に活用して、府民の支持を得ているのではないか。躊躇する理由がどこにあるのだろう。