渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

使い勝手テスト

2020年06月03日 | open

左から
・ハーフコンベックス/フルタング
・フラット/コンシールド
・フラット/コンシールド(刃厚あり)
・ホロー/フルタング

ミニフェザー





話にならないフェザーしか作れない物も
ある。
これは技術による切りではなく、完全に
ナイフなりの使い方でフェザーを作った。
話にならない物は焚き付けにさえならな
い。

優劣は、トップのナイフの画像の通りの
順となる。左が一番良い。
逆に、ホローグラインドのナイフとは一体
何のために登場したのだろう。
そして、「ホロー神話」が一人歩きし、
1980年代から現代まで、ホローグラインド
こそがナイフのスタンダードである、かの
ような風潮があった。性能面だけからナイ
フを見ると、ホローグラインドの意味は
極めて薄い。
思うに、やはりホローグラインドは、
「削り技術のアピール」のように思える。

鍛冶道場 ~新潟~

2020年06月03日 | open




新潟が熱い。
三条が熱い。
こんな鍛冶体験道場が近くにあったら
バン万歳なのになぁ。

炉と金床と鍛冶鎚があれば七輪でも
鍛造はできる。
ただし、折り返し鍛錬や鍛接はこれが
ないと厳しいかも。


実際には2丁がけでもなんとかなったり
もしたけど(笑)。
そうそう人手は集められないし熟練も
要る。

しかし、クラブ標準装備のメンバーズ
ナイフは、用途からして鍛造刃物ではなく
特殊鋼のS&R工法のナイフのほうがいい
だろうなぁ。

こんな感じの野営バッチ来いの超汎用型
ナイフ。



新潟は刃物の土地でもあるので、生き
残りをかけて多くのメーカーはアウト
ドアメーカーに転身したりもした。
新潟のキャンプ用品メーカーは多い。

それにしても、三条鍛冶道場はいいなぁ。



研ぎング

2020年06月03日 | open



鎬(しのぎ)を蹴ってしまう(稜線の頂点を
なめらせてしまうこと)研ぎがなされてい
た和包丁は、日本刀のようにビシッと鎬
を立てて行きます。


砥石による研ぎと研磨は、この研ぎ汁が
出ないと砥石の効果がありません。
これは物理的、科学的にそうなのだから、
研ぎ汁を都度洗い流したりはしない。
適度なところで水を多少垂らす程度です。

これは「決め」の技法を用いた時の研ぎの
汁痕。


こちらは同じ砥石でも、洋式ナイフの
小刃付けでの研ぎ方。


ここでも研ぎ汁が極めて大切になって
来ます。


刃返りと微細刃先の仕上げは天然砥石を
何種類か用います。


刃物研ぎは研ぎ汁が大切です。

美濃関鍛冶の祖 元重

2020年06月03日 | open




関鍛冶の祖である元重の太刀が発見された
という2016年のニュースにはぶったまげ
た。
映画満月 MR.MOONLIGHT』では、江戸
時代からタイムスリップした小弥太(時任
三郎)の刀が「名刀発見!」として大ニュ
ースとなり、博物館に展示されるシーンが
あった。
江戸初期の新刀はいくらでもあるので、
さして珍しくもなく、また、刀剣界では
古刀(慶長以前の日本刀)と新刀では雲泥
の差がある扱いのため、江戸期新刀が
発見されて大騒ぎというのは、ああ刀の
ことを知らない人が作った映画なのだな
あ、という気がした。
実際のところ、「今でも刀鍛冶なんている
のですか?」と質問する人は案外多い。
文化庁に承認を得た現代刀工は300名いる
のに。

映画の設定は荒唐無稽だったが、この
元重作の発見ニュースには私はぶっ飛ん
だ。本物?と。
それほど、「幻の刀工」であったし、
現代まで続く岐阜県関を刃物の町とした
元祖大元の大始祖だからだ。
九州からやって来たとの伝承譚がある。
これは、安芸国の隠れた室町期の名工大山
宗重にも似たような始祖伝説がある。
九州から東に上り、そして、備前鍛冶に
相手にされず落胆して国元に帰る途中、
安芸国大山の山中にて行き倒れになった。
その時、手厚く看護した地元の人たちの
温情に感激して大山宗重鍛冶の始祖は
安芸国大山に住み着いて代々それが続いた
とするものだ。九州の名工である大左の
脈流をその始祖としている。

この手の始祖伝説は証明する文献史料は
乏しいことが多い。
武家における貴種降誕伝承もその類で、
はなはだ眉唾物の創作が多い。
しかし、創作付会と一蹴する根拠もこれ
また無い。
こうなると悪魔の証明となり、言ったもん
勝ちになってしまう。天下の将軍家の徳川
家でさえ、始祖を藤原としていたところ、
途中から源に変えてしまっている。
こうした例は往々にしてある。
薩摩の島津家などは、始祖を秦の始皇帝と
している。

この元重の刀剣の発見は、文献の中と伝承
にのみ見られた元重の存在を証明するもの
として、この作が正真であるならば、その
歴史的価値は計り知れない。
日本史の一頁を書き換える程の発見なの
だ。

こうした刀剣を実見できるということは、
至極の幸せといえる。
素晴らしい。



特殊鋼の包丁

2020年06月03日 | open






特殊鋼であっても炭素鋼のようにせめて
火造りだけでも鍛造すれば、かなり違う
物ができるのになあと思っていた。ピッケ
ル作りの名人の二村さんがステンレス鍛造
でインテグラルナイフを作ったように。
あれは鍛造と削り出しの融合だった。
炭素鋼の場合も、冷鍛はすることがある。
小刀などの小物では、私などはかなり叩き
締める。もう鋼が加熱して火がつきそうな
くらいまで。
そこで粘りが出せていない鋼の場合はク
ラックが入るので廃棄、もしくはリセット
原料にまわる。
加熱鍛造後に応力除去してからの冷鍛で
は、素材は鍛打しているとツルツルに光っ
て来る。
この冷鍛による叩き締めは古い関鍛冶が
小柄小刀を作る際に採用していた手法だ。
私は切れ物仕込みの時には、適切な熱処理
工程の段階で必ず叩き締めを行なう。斬鉄
剣刀工の小林康宏もある段階で冷鍛の叩き
締めを行なっている。一般的な現代刀では
行なわない。

何故叩き締めが良いのかというと、いろん
な理由がある。かなり多い。
マイナス点は、「出来のよりすぐり」にも
なるため、ダメな物は没となり、歩留まり
が悪くなることだ。
一般的な現代刀は切れ味や頑丈さを一切
求めていない、刀身をキャンバスに見立て
ての鋼の焼き物芸術なので、日本刀本来の
性能を具備させる技法などは採用しない。
いかに見た目の派手さや視覚的な働きを
出すかが現代刀の命題となっており、また
そうでないとコンクールなどでは入選しな
い。
現代刀の研ぎも似た傾向にあり、地鉄を
薬品で黒くし、焼き刃の部分を真っ白け
に描くいわゆる「花魁研ぎ」でないと
中央の財団コンクールでは入選させない。
そんな刀と研ぎばかりが入選し、「刀匠」
「名研師」という地位を付与されて、現代
刀という鋼の焼き物が一口(ふり)数百万円
で取引される。金持ちは「これぞ立派な
芸術品だ」と買いあさり、芸術家の刀匠
先生は「作家」気取りでふんぞり返る。
これが現代の現代刀日本刀界の大きな傾向
だ。
その傾向性と体質に疑問を呈し、本来の
実用性に裏付けられた日本刀の美を求め
ようとする刀工や研師や職方は中央勢力
からは排外する、という体質が根強く残っ
ている。
かつて、1970年代のある年、新作刀コン
クールを見学されたさる宮様がぽつりと
嘆息と共に呟かれた。
「この中で、どれだけ切れる刀があるの
でしょう・・・」
既に昭和40年代に、焼き物展覧会の様相
は蔓延し始めていたのである。
あれから半世紀近く過ぎた今は、その焼き
物博覧会の傾向がなお一層徹底的に打ち
固められようとしている。
宮様の憂国の念や虚しき。

その今の現代刀界の傾向は一体何である
のかと見るに、図式は簡単だ。
包丁や鉈や鎌や大工道具刃物等々といった
真に能力を持つ鍛造物とは全く無縁の絵に
描いた餅のような見せかけの見た目だけの
容姿を持つ(それとて厚化粧で品がない)鋼
の長い焼き物が現代刀であるのだ。
私の言に疑義があるなら、現代刀で年越し
の太竹の節でも切ってみればよい。果たし
て一般的現代刀がどんなことになるか。
多くの現代刀作家が「私の刀で物を切ら
ないでほしい」と言うのは、芸術品だから
云々ではない。切ったら折れ欠けするから
だ。
そういう刀は、どんなに見てくれが華麗
であろうと、武士の差料にはならない。
また、真剣刀法の剣技を修練する剣士や
武人の差料とはならない。
「武」と無縁なるところの「刀」とは、
一体それは何なのだろうか。
有り体にいえば、それはやはり、鋼の焼き
物の芸術作品なのだ。
つまり、オブジェですね。

実用性に日々腐心する現代の金属製造者の
努力と苦悩や、真に人の役に立つ刃物を
作り出そうと邁進している鍛冶職人たち
とは全く無縁な立ち位置に現代日本刀の
焼き物作家たちはいる。
それを「刀鍛冶」と呼べるのだろうか。
現代刀の鍛冶職は現在約300名いる。
作家さん気取りが多いことが、どういう
ことが起きているかを如実に物語ってい
る。

私個人は、オブジェを腰に差すつもりは
毛頭ない。
そのオブジェは、見まごうことなく飾り
物であり、金満富裕層のみが好事家
ように貴金属の如く買い求める立ち位置
の物体だ。
「武」とは無縁なのだ。
武士はそのような物は持たない。

現代刀の刀鍛冶は、他の刃物鍛冶たちを
睥睨する慮外を捨てて、自分は一鍛冶職人
なのだという往古の刀鍛冶の原点に戻って
鎚を握るべきなのではなかろうか。

水飲みタイム

2020年06月03日 | open



なんかね、何するのも一緒、他のきょう
だいの真似をするというのが面白い。
毎日体重が3匹で入れ替わる。
めぐるましいが、毎日、確実に体重は増え
て来ている。
かなりみんな食欲がある。
それでもまだ母乳を飲んでいる。
まだまだ、里親さんのところには行けな
い。
今は3匹でじゃれあって、そして猫の社会
性を学ぶ時だろう。

とにかく可愛い。
まだ無邪気に遊んでいるだけ。
しかし、命てのはすげえなあ。
できる限りの事はするから、頑張れよー。

雑誌紹介 「モトツーリング」最新号

2020年06月03日 | open

モト ツーリング 2020年7月号 (発売日2020年06月01日)

MOTOツーリングは、編集部が現地まで実走しツーリングに役立つ現地のナマ情報をお届けする、いわばツーリストナビゲーションマガジンであります。...

雑誌/定期購読の予約はFujisan

 

 

私がプロデュースする刀工斬鉄剣
小林康宏
の一番弟子の娘さんが紙面
を担当するライ
ターをやっている
雑誌。
康宏師から連絡を貰ってから年間
購読契約
を私は結んでいる。
 
最新号の内容、面白い!
こういうのを待っていたのだよ!
民俗学と歴史散歩で走り旅をする
という
のは異様な程にぴったりと
来る。
これ、新しい二輪の楽しみ方の
カテゴ
リーになるのではなかろ
うか、という程
に。
世の中にはいろんな楽しみ方が
ある
が、「訪ね歩き」「探査
の旅」にモーター
サイクルは
非常にマッチする。
多いのが、「食べ歩き」に関与
する二輪と
四輪の旅だ。列車
の旅とは一足違う。
食べ歩き、それもいいだろう。
珍しい物
や食べたい物を目指
してひた走るのは古く
からの
車乗りの一つの行動パターンだ。
ミシュランガイドは、その
ために発刊された。ミシュラン
のタイヤを
すり減らしてでも
走って行きたい店をまとめる
のが最初
のミシュランガイド
目的だった。
 
史実には人の歴史あり。
実は神話や民間伝承譚にさえ
実在の人びと
の息遣いが感じら
れる。
そうした民間の歴史性をアカデ
ミックに
解明しようとするのが
民俗学だが、その
民俗学的な人
の歴史の足跡をたどるアプ
ローチ
に車両が使われるのは、私個人は
とても嬉しい。
というか、なんか妙に合うのよ
ね。
なんでだろ。特に二輪の場合は
機動性が
高くてフットワークが良いから
かなあ。
四輪にしても快適に目指す所に
行ける
利点があるよね。
 
「モトツーリング」の最新号の
この特集は
とても興味深い。
→「幻の湖が存在した!」
そうかあ。
ミステリーハンターぽいから楽しい
のかも。
今号で展開されているレポートは
これはライターのきちっとした
視点だろう
が、出雲のことを的確
に捉えている。
出雲はヤマトに懐柔されたのだ。

こういう歴史の謎を探る二輪旅
という
は、これ、本当に新し
い独立したジャン
ルになるか
と思うのですよ。
モトブログとかではヒットしなさ
そうだ
けどさ(笑)。

なんか、今回の号は濃いぞー。
梅原猛の柿本人麿論の「水底の歌」
探訪
を二輪で行く、みたいな。

上掲リンク先ページには試し
読みページもありますので、
ぜひどうぞ。



ありそうで無いグラス

2020年06月03日 | open


このグラスは、ドラマ『高校教師』(1993)
で、羽村先生(真田広之)がコーヒーを入れ
て飲んでいたビーカーのようで、とても
気に入っている。
見た目、もろにビーカー(笑)。
恵比寿駅前のガラス食器専門店で昔買っ
た。

入れたのはうちで作った梅酒だ。
1995年物。
梅の木は私の父が生まれた時に植樹した
物を移植した木と、私の娘が新宿区で
生まれた時に新宿区が記念にくれた苗木
を育てた梅の木だ。
東京新宿区はかなり住みやすい区で福祉
行政がしっかりしている。
新宿というのは、新宿駅と新大久保駅以外
は、ドワーッとびっちりと住宅が立ち並ぶ
一大住宅街なんですよ。


幕末に近藤勇の試衛館のあった市谷柳町
新宿区。
神楽坂は色街でそのあとは料亭街で今は
商店街だけど、表通りの裏は住宅みっちり
です。


試衛館のあたりも江戸期から住宅街。
あと、旗本屋敷や大名の下屋敷も多くて、
試衛館の近くには柳生但馬守の屋敷も
あった。
たまたまの偶然なのだけど、以前の仕事
で登記関係の現地調査をすることがあって
但馬殿の屋敷跡を訪問したことがある。
その時、そこにお住まいの方に、こちらが
明治以前まで調べた土地所有権の遷移と
照合含めて検分録取した。
江戸期に、経緯は不明なれど、幕府大目付
の柳生但馬殿から水野殿に管理が移行して
いる。
そして、維新後には拝領地が下賜された
のか、水野氏がそのまま所有し、戦後に
競売(けいばい)に出された。
それをある方が落札され、さらに所有権
移転で現所有者の甲区欄登記となってい
る。
敷地は広く、江戸期のままのようだ。
敷地内に柳生但馬守屋敷跡の石碑がある。
職権ならずとも、登記簿謄本は誰でも閲覧
できるし、またできないと、不動産の係争
案件や売買の際には支障が出る。
また、係争になった場合、江戸期までの
所有権を調べ上げる。
登記制度が始まる以前まで調査して全容を
的確に把握するためだ。
うちの事務所はそうしていた。
そのように水も漏らさぬ隙を作らない体制
だったから、「無罪請負い人」と呼ばれて
名を馳せている彼もうちの事務所の弁護士
として敏腕を奮ったのだろう。

仕事で現地調査した場所が、たまたま柳生
但馬守の屋敷跡だったことは、私個人は
色めき立ったのだが、仕事ゆえ職務の件
のみで、柳生の石碑を撮影しなかった。
うーん。残念。
多分だが、映画『彼のオートバイ.彼女
の島』の主人公コオのアパートのロケ地
は、この柳生但馬守の屋敷跡の近くでは
なかろうかと私は踏んでいる。


江戸ー東京は、基本的に町割りが江戸期
ままなので、東京都内を歴史散歩すると
かなり面白い。
また、ミニバイクなどで路地を走って歴史
の空気に触れるのも楽しいプチ旅となる。
人々が暮らした歴史が刻まれた場所を行く
のはとても安らぐ気持ちになれるので
す。人の息遣いの歴史を感じるから。


新宿区は子どもたちは小学生になるまで
医療費は一切かからない。
まるで、ドラマ『JINー仁ー』の最終回
での医療行政のようなことが子どもに
限ってだが実行されているのが新宿区だ。
一般医療も歯医者でさえも、一切負担は
かからない。
公営ギャンブルが無い区なのに、それを
行政が税金を有効に使うことを都や国と
連携でうまくまかなっている。
都内でも24年前は、そうしたシステムの
区は数えるほどしかなかった。
また、これはどこでもそうかも知れない
が、出産費用は一子につき30万円が区か
ら支給される。
そして、出産祝いに木製のベビーチェアや
記念の苗木等々が贈られる。手厚い。

その新宿区の苗木は広島に送って親の住む
家の庭に植えてもらった。
よく育ち、毎年私の父の誕生記念の梅の
木と共に実が成る。
梅は非常に種類が多いらしく、三原の梅と
新宿の梅では、作った梅酒の味が異なる。
三原の梅のほうがかなり深い味となる。
新宿の梅はライトな感じがする梅酒になる
のだ。三原の梅で作った梅酒はブランデー
のような味になり、そのまま飲んでも、
紅茶に入れてもとても美味しい。
娘の梅は割らずにロックが一番合うよう
だ。

果実酒って面白いですね。
人類で初めて梅の実を食えるかと思って
食った人は死んじゃったのだろうなあ。
フグを初めて食べた人も。

今夜の梅酒は、新宿の梅で、2015年物に
しては良い味出てます。
なかなかイケる。てか、なんかこの5年物
美味いぞ。どうした?