渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

缶詰

2020年06月04日 | open


今の時代、プルトップ式がほとんどだが、
まだ缶切りで缶詰を開けていた時代、
缶切りが手元に無ければ、ナイフでザク
ザクと開けていた。いや、ほんとに。
「だってナイフだよ」てな感じで。
ナイフというのは、そういうもんだと
思う。私だけではない。私の周囲みんな
そうしていた。
ただし、ナイフで釘は打たないし、ペグ
のような物も叩かない。





キャッタワー&ウォーキン'

2020年06月04日 | open


月内中旬にはこういう感じのを用意しとい
ほうがいいのかな。
18才のおばちゃんはもうキッチンカウン
ターがやっとなので登らないだろうけど。
新生児の1匹はすぐに登りそうな予感。
というか、こういうのを一番喜ぶのは多分
ベンベンだろうなあ。


これは楽しそうだ。


本日のチビたち。
♂650g
♀580g
♀590g
毎日20g位ずつ増えている。
見ていると、誰かの真似をあとの2匹も
やる。これは水を飲むと他の2匹も水を
飲みに来る図。こういう学習が大切なの
だろうね。
あーあ。びっしゃびしゃにしてるよ。
飲み終わったらシートを綺麗にしてやる
か。トイレは全員完璧だ。


ナイフデザイン

2020年06月04日 | open



ナイフは使うと、良い点とここをこうし
たら、という改良点が見えてくる。

ハイス鋼の2丁。
上のカスタムの良い点と下のオールド
ガーバーの良いところを良いとこ取り
したならば、ガリルのような名器が生
まれるような気もする。
なんとなく、頭にブレードシルエット
構想が浮かんで来ている。

このガーバーの個体のスタッグハンドル
は極めて手持ちが良い。
このハンドル形状をフルタング構造+マイ
カルタで再現できないだろうか。
また、刃部の始まりは上のナイフのように
根元部からの開始のほうが刃物としては
使い易い。
そして、ブレード長は下の3.75インチ(9.5
センチ)は汎用ナイフとしては最高の長さ
なのだが、ハードなブッシュクラフトに
はほんの僅か短い。
ここは上のカスタムのように、11.3ミリ
=4.44インチは欲しいところだ。
ブレードシルエットはガーバーのような
ドロップよりも僅かにケーパーのほうが
使い易いだろう。ただし、バトンまでを
考えたら背はフラットのほうがよい。
肉厚は最低4ミリはほしい。

シースは下のガーバーのようなラブレス
タイプで、かつ、バークリバーのように
ベルトに水平着用できるようなループも
あると携帯方法が広がる。
そして、ソングホールは必須だ。


秘密基地

2020年06月04日 | open



秘密基地がようやく完成した。

(イメージ)

もうね、バンバン行っちゃう。
アラート完全に消えてからね。
コロナ二波、三波が来るといけないから。
特に三派てのは分裂増殖するから始末悪い
よく知ってる(違)


軍用ナイフ

2020年06月04日 | open



かなり大昔、某国海兵隊や特殊部隊、傭兵
たちが愛用した軍用ナイフのハンドル形状
は、北欧ナイフの影響を強く受けていると
思われる。

上掲二本のうち下はかなり古い物だ。私
が10代の頃の物なので。
上はレプリカであり、よせばいいのに
ホローグラインドなどにしてある。
下はスカンジグラインドで平地はハマ
グリ刃。鎬地はフラット。実際に野外で
はかなり使えた。薪割りもバンバンいけ
る。

上はレプリカ。薄過ぎて話にならない。
見てくれだけの模造品だ。




特徴的なことは、日本刀の鍔のように
「手貫緒(たぬきお)」を通す穴が鍔に
開けられていることだ。
ここに細いロープを通して手首に絡める。
万一手からナイフが離れても落ちたり
紛失したりしない為の工夫だ。日本刀の
場合も同じ理由で穴あき鍔はある。
それと、その穴に紐を通して鞘に結びつけ
てあえて抜けないようにする目的もあっ
た。薩摩に多い。

コンバットナイフのうち、銃剣にはいろ
いろ歴史がある。スピア型からナイフ型
まで。
自衛隊の銃剣は、現行品はあまりウケが
よくない。刃欠けするかららしい。旧式
のほうが隊員には人気があるそうだ。
なかなか上手くいかないねえ。
最新型の20式自動小銃用の銃剣ナイフは
その点、靭性は改善されているのかな?
まだ配備されていないけど。

現行の日本で銃剣携帯を許されているの
は、陸自などの法執行組織だけで、一般
人は所持さえ認められていない。15センチ
未満の長さに切断された物以外は。
ナイフも銃剣もそうだが、実用刃物で最大
級の頑丈さが求められるのが武器として
の戦闘刃物だろうなあ。
日本刀も旧来はそうであった。
今は「美術品」なのだそうだが。

使えないナイフほど無用な物はない。
上の画像のレプリカナイフみたいなのね。
存在の意味がわからん。
ファンタジー?
検証のために20年ほど前にレプリカを
入手したが、やはり残念すぎる物だった。
こんな役立たず、人様にもあげられない。
ほんと、無用の物体(苦笑)。



最近のナイフの傾向性

2020年06月04日 | open


最近のナイフの人気の推移には一つの
傾向性が見られる。
それは、ハンドルが従来の細いアメリカン
タイプではなく、中央部がゴンぶとのタイ
プのハンドルの物が人気を集めている傾向
だ。
これは、ナイフをアウトドアで実用品と
して使う人が増えて来たからだと思う。
ハンドルが細いナイフは日本刀の小柄小刀
のように細かい作業がやり易い。典型例
は食器のテーブルナイフの握り部分で、
細い握りは繊細な使用方法に適している。
武器である日本刀でも、硬木を使った
細い柄は剣術に長けた術者に多く好まれ
て来た。

これらの細い握りには意味がある。
野球のバットも日本刀の柄と同じく、
尋常ならざる程に細い。
しかし、テニスのラケットなどは逆に
ある程度太い物が標準仕様となっている。
北欧ナイフが一様にハンドルが太く、
中央部が太さを増しているのは、それは
北欧ナイフがスカンジナビアの歴史的な
文化と密接な関係にあるからだ。
手袋をしたまま細い握りのナイフを使う
ことはできない。

私がかなり昔にスカンジナビアンナイフ
を見た時には「げ!なんて格好の悪い
ナイフなのだ」と思った。
ブレードのシルエットは日本刀的で好感
が持てたのだが、いかんせん、このハン
ドル形状は何なのか、と。ボテッと太り
過ぎている。
だが、しかし!
これも大昔だが、友人が持っていた北欧
ナイフを使わせてもらったら、あら不思
議。木片を削る時に異様に削り易い。
なるほど、そういう使い方か、と得心が
行った。

細いハンドルのナイフは薪削りには向か
ない。


ただし、薪削りに適したハンドルを持つ
北欧ナイフのハンドルは、料理には向か
い。
これは包丁の握り部分を想像してもらえ
ば理解できると思う。
ゴンぶとの握りが料理に適しているので
あるなら、包丁の発達過程で料理包丁は
すべて北欧ハンドルのように進化していた
筈だ。現実はそうなってはいない。まる
で繊細な彫り物をするための刀である彫刻
刀のように細身の柄が包丁のハンドルと
なっている。これは世界万国で。

北欧のプーッコタイプのナイフ。


最近、日本国内のナイフの人気は従来の
アメリカンナイフから北欧ナイフへと
完全に移行しつつある。
これはアウトドアでのちょいとハードな
キャンプやブッシュクラフトという野営
活動の人気が急上昇したことが背景にある
と思われる。
キャンプについては傾向が二分化してお
り、グランピングと称する上げ膳据え膳
の豪華リゾートホテルを屋外テントで堪能
する富裕バージョンと、シンプルに野外
自活を目指す「森の生活」から学ぼうと
するブッシュクラフト系の二派に大別
されつつある。
今の北欧型ナイフの人気は、ハードキャン
ブッシュクラフトがモリモリと日本で
人気が出てきたことに起因することだろ
う。

北欧型ナイフは料理意外ではかなり使い
易いのだが、前述したように細かい作業
には向かない。
仮に北欧ナイフが「全般的に使い易い」
とする所見を持っているとしたら、それ
はその人が自分のスキルでナイフの欠点
をカバーしていることに気付いていない
といえる。
良い点は良いし、不適合な点はそれとし
て世の中の物品には存在する。
ナイフなどの実用刃物はそうした定理が
てき面に現出する道具だ。
そのため、多くのブレードグラインドが
あるし、それに見合った使用方法がナイフ
などの道具では重要になってくる。パター
でドライビングショットはできないので
ある。

概して、北欧ナイフは汎用性が高い。
北欧某国では日本刀のような武器として
も使用された歴史もある。
また、武器ではなく、日常的な必需品と
して誰もが腰に下げている北欧の国もあ
る。刃物と国民文化が融合している。

北欧ナイフは、総合力が非常に高い。
ただ、ひとつの弱点がある。
欠点ではなく弱点だ。
それは、北欧ナイフはスーツやタキシード
には似合わない(笑)。

『OK牧場の決斗』(1957)でのドク・
ホリディ(カーク・ダグラス)


『トゥームストーン』(1993)でのドク・
ホリディ(ヴァル・キルマー)

左ショルダーホルスターの横にアイボリー
グリップの細身ナイフを隠し持っている。


ギャンブラーナイフ(アメリカ)。
両刃のため日本では所持禁止。携帯禁止
ではなく所持が禁止である。

見て判るように、使用目的は刺突だ。
刺殺のためだけに存在する刃物であり、
これは道具というより武器になる。
日本刀のカテゴリーのうち、太刀や刀は
積極的戦闘武器であるよりもむしろ護身
や階級の象徴として存在した。刀が主力
武器として使用されたのは日本の歴史の
中では幕末の京都しか無い。
しかし、鎧通しのみは、甲冑武者を刺し
殺すのみの目的で作られた。武士の階級
的象徴などでもない。戦闘者の武器で
ある。
戦国時代中は、柄を下に向けて右側の
外帯に差した。
超絶接近戦での組み打ちの際に、右手で
逆手に抜いて、甲冑もろとも敵を刺し貫
くのが鎧通し=右手(めて)差しの使い方
だ。厚み=重ねは1センチ以上あるごつい
刺殺用の武士の短刀である。
使用目的は、ドク・ホリデイのナイフと
同じ。
映画『トゥームストーン』では、ドク役の
ヴァル・キルマーが絡んで来たならず者を
ブッサブサに刺し殺すシーンがあるが、
そういう使い方をするのがダガーであり、
ギャンブラーナイフであり、鎧通しだ。
アウトドアナイフではないので、ダガー
の両刃ナイフを日本では2008年から所持
禁止としたのは正しい判断かも知れない。
存在目的が目的だけに。
貝の殻剥きや牡蠣剥き用の業務用器具ま
でダガーであるとして摘発検挙した警察
の行為は行き過ぎといえるが。
日本刀は美術品なので別として、ナイフ
のダガーは国内には無くても人は困ら
ない。
やはり、日本国内でのナイフは、山海の
アウトドアやデスクワークで、人にとっ
て便利な道具として使ったあげたいとこ
ろだ。
思うに、ナイフの立ち位置は、ハサミに
似ていると思う。

日本では、浅沼稲次郎が右翼少年に刺殺
されて以降、刃物狩が進み、教育の場で
日本人に刃物の使い方を教育することを
放棄した。
以降、刃物の使い方を知らない人間が
包丁やナイフで人を刺したりするよう
になった。
出入りでゴルフクラブや釣竿を持って行く
ようなものだが、刃物であるだけに、包丁
やナイフは誤った使い方をされてしまう
不幸な面もある。
しかし、刃物は人を殺めない。
人が人を殺める。

60周年の年の月

2020年06月04日 | open

(同志トロツキーが消されていない正しい
写真。着色。このイワンの馬鹿の写真は
有名な写真だが、裏切られた革命国家の
ソ連では、長らくトロツキーを消す加工
が為された写真を「正規」に登場させて
いた。ソ連帝国のウソぶりがよく分かる
歴史事象だ)

高校2年の時、「ロシア革命から60周年
だ」とクラスの奴らと話題になり、論争
ではなく論を交わした。学校のそばの
「映画館」というJAZZ喫茶で学校帰り
に。組織が割れる前も割れたあとも中大
ブントだったマスターがやってる店だ。
今もある。

ロシア革命から60年?
もう60年安保から60年経ってしまうぞ。
今年の6月15日でマル60年だ。
ふざけんなよ、時の流れ。

60年でひと回り。
それは干支(えと)を今でも用いる日本人
の感性としてある。
十干十二支は60年で一周して元に戻る。
今時、ヒノエウマとか言う人も使う人も
いないけどね。
日本刀の世界や古代史研究では年代特定
ためによく使う。
読んだり使ったりしても、過去の十干
十二支の表記見てすぐに年を特定できや
しないけど。大抵は乱数表のようなまと
められた表を見ながら特定する。計算する
より早いから。

60年なんてアッ!という間だよ。
下天のうちにくらぶれば。
てことで、今後も俺はクラブる。
都知事が言う「夜の街」ではないほうで。

『ジャパッシュ』(1971)

2020年06月04日 | open



望月三起也先生の隠れた名作『ジャパッ
シュ』について早朝から陸自幹部と対話
する。
なんせ49年ぶりの作品の内容についての
やりとりなので記憶が曖昧な点もあった。
主人公日向光は56年生まれで、私のほんの
4才年上でしかないことに今更ながら驚い
た。

この『ジャパッシュ』で完結させられな
かった内容は、望月先生は『ワイルド7』
(1969〜1979)の最終章にて、軍事独裁
国家へと変貌する日本を憂い、日本人へ
の警鐘乱打の先駆性として描き切った。
『ジャパッシュ』での刑事石狩の潰えた
思いはワイルド7の飛葉に託した。
だが、飛葉は生き残るが、ワイルド7の
メンバーは飛葉以外は全て独裁国家と
なった日本国の国家権力に殺される。
この『ジャパッシュ』の世界とテーマは、
まるごと映画『野性の証明』(1978)で
描かれていた。
『野性の証明』の味沢(高倉健)はジャパッ
シュでの石狩であり、ワイルド7での飛葉
であるのだ。


「警鐘乱打」の「先駆性」という表現自体
が、かの歴史的理論の「先駆性論」に立脚
しており、私の中でのブント的残存部分が
言わせているのだが、私の指摘の中身は
合っている。これに関しては的を射ない
不的確な指摘ではない。
望月先生もその他多くの日本の表現者たち
も、「危険」について、警鐘を打ち鳴らし
ていたのだ。そこに危機が確実に近づいて
いたから。否、いるから。
しかし、今の時代、警鐘を鳴らすことさえ
も排撃するような国民性になってしまっ
た。
望月三起也先生が一番恐れていたのは、
ナチスのような軍事独裁そのものもそう
だが、それを準備してしまうそうした
国民性をこそ一番恐れていた。
「集団感染」。まさにそれを。
全員、脳が何かに冒される、それを。

ネット時代の今、不確かでデタラメな嘘
を多くの人民が盲信して匿名ネット掲示板
やSNSを唯一の情報源としてしまう集団
感染が発生している。
行き着く先は集団的暴力の容認と後押し
だ。それを正義であるかのようにラリっ
たハイ状態で大衆は行なう。実際に行なっ
ている。自殺者まで出てもまだ追撃の手を
緩めず、匿名ネットやSNSで煽りたてる。
集団殺人。
そんな正義はあり得ない。
ただし、人殺したちは、自分が人殺しで
あるとは自覚していない。
『3年A組-今から皆さんは、人質です-
(2019)で表現された集団的脳感染への
警鐘乱打は、多くのネット依存症の大衆
には「オハナシ」としてしか捉えられな
かったようだ。