しかし、枝野も何を今更うすらとぼけた
にえらい先生が振る舞うような土地
柄だよ(笑)。
政治屋たちの目を見てみなよ、目を。
政治屋続けるとどんどん眼の光が濁って
来てるのが写真にさえ写り出てるでしょ。
どいつもこいつも。
眼は口ほどに物を言い、ってやつでね。
先日の一泊キャンプブッシュクラフトの
時、実用的見地から感じたことがある。
同行者の二人は、フライパンにはこだ
わって、たとえ装備が重くなろうとも、
鋳物のフライパンを装備していた。
なるほど、火を使うとその重厚なフライ
パンは実用的だ。
私も薄手鉄板と鋳物の両方持っているが、
鋳鉄フライパンをメインとする方針が
見えた。
ただ、二人とも「持つと熱いですよ」と
言っていた、スキレットハンドガード
なる革のカバーを使っていた。
二人は別メーカーのを使っていたのだが、
これがまったく役に立たない。
素手で持つとめちゃめちゃ熱いのだ。
これでは意味がない。
また、グローブを着用しての使用が
前提だとすると、これまた意味がない。
まだ、どんなハンドル形状にもマッチ
する構造の延長アタッチメントはどの
メーカーでも開発されていないようだ
が、ここは別パーツでの延長取っ手が
必要かと実用的な観点からは思う。
まあ、ブッシュクラフトやる人は現場
で延長取っ手を作っちゃうのだろうけ
どね。
金属丸パイプを万力で端を潰した物
でもよいのではなかろうか。
上と下で潰れ具合を変えて、二種類の
フライパンの取っ手の厚みに対応
できるようにしておけば。
長さは20センチもあれば十分だろう。
それをフライパン使用の時にはグッと
きつく差し込むだけ、みたいな。
正規工具ではなく、非常時にバイクの
車載工具に力入れのために短いレンチ
にパイプを突っ込むような、そのような
端潰しのパイプで十分にフライパンの
防熱と調理作業には使えると思う。
車両整備では正規には適正レンチを
使用することが望ましいが、車載工具
のみ使用の状況下ではパイプ延長も
ありだ。車載工具にはその使用法に
使える為のパイプ形状の汎用型工具も
載っている物もある。
革をノーマルハンドルに被せただけの
スキレットハンドルカバーは、これは
ダメっすね。
かりんかりんに焼けたフライパンには
実用的には使えない。
ただ、ちょっと感じた。
もしかすると、キャンプスキレットは、
フライパンとして使用するのではなく、
ただの鉄板の代用の焼き板として
使っている人が多いのではなかろうか、
と。フライパンとしての取っ手を握って
の返しや揺らしの操作をしないで。
だとしたら、取っ手は常時持つ必要は
ないので、ハンドルの操作性などには
こだわらなくていいのかも。
しかし、炒め物などの時には、ハンドル
操作は欠かせない。
メスティンがフライパンとして意外と
使える。はなからスキレットとしての
使用も前提に考案されているタイプなど
は、料理の際もとても使い勝手が良い。
サプライズ!
うちのオリジナル焚き火台を頂きました!
(匠製作所)(Chichiri's Factory)
あ、こいつぁすげえ。
恐れ入谷の鬼子母神ときたもんだい。
KUKSA MAKING ククサ作り解説付き
Chichiri's Factory HANDMADE
白樺丸太から2個作る
関西弁聴くと気合が抜けてどもならん
けど、こらええですやん。
すくいノミはスイスにもあんねん。
日本だけちゃいまっせーのグランドマッセ、
マッセでメッセでマンセーと。ぽてちん。
玉撞き映画は『道頓堀川』で決まりやで。
マサオ、ほんまのこと教えたろか、と。
あれはひどい。
このおっちゃん、器用やで。
右手でも左手でも同じようにノミ使って
彫ってますがな。
国内で私が好きなアウトドアショップに
モーラはケロなどと並ぶスェーデンの
国民が多く毒されて来た定式概念を
モーラは根本から崩した。安かろう
悪かろうではないのがモーラのナイフ
だからだ。
今、日本ではアメリカンナイフよりも
文化圏としては、海を跨いだデンマーク
までをも含める場合もある。
歩み始めている。
金で開いた業者は、関係者やライター
を連れて飲み歩き、札ビラを切って
いた。
ピングがアウトドア活動であるかの
ような大きな勘違いが起きてしまうと
思う。
願う。
とても安いが刃物としての品質は良い。
都会はこういう物が店に行ってパッと手
友人ふたりにククサを送った。
オイルポリッシュ後。
塗る前。カップの中はコーヒーが染みて
オイルアップ後。まるでクルミ材のような
一晩明けたけさのククサ。
なかなかいいあんべえだ。
フランスパンはおいしゅうござる。
右のオイルのほうが断然美味い。
海外で買ってきた白黒合わせのミル胡椒が
チキンのチーズカツをかみさんが作って
野菜も食べます。
ドレッシングは、これまじもんでおすすめ
熊本産のトマトもおいしおす。
有機農法を世に広めたのは三里塚の