(沖縄)
潮が引いて潟になる。
湘南の片瀬海岸でもよく見られる渚の
やりがい君のような長い巻貝がたくさん
海は良い。
アラビアのロレンス 死の直前に見た風景
クラウズヒル
Lawrence of Arabia Clouds Hill
トマス・エドワード・ロレンス
『アラビアのロレンス』(1962年/英米合作)
めちゃくちゃいい。
ネット百科によるとこの作品の核は以下の
通り。
「映画では冒頭でバイク事故死させること
でアラブ時代の自身との決別を描き、また
映画の最後でロレンスの乗った車がバイク
に抜き去られるシーンは、非アラブのトル
コ人対アラブ人という民族対立の構図から
スンナ派のハーシム家対ワッハーブ派の
サウード家の部族間対立へと移り変わろう
とする時代の流れに置いていかれようと
するロレンス達のヒジャーズ王国を暗示
していた。
また、映画の公開時はイギリスがスエズ
運河を失った第二次中東戦争と第三次
中東戦争・第四次中東戦争の間という
中東の情勢が緊張した時期であったこと
から、アラビアに再び起きようとする資源
ナショナリズムという現実の時代の流れ、
即ちソビエト連邦とエジプト・シリア・
ヨルダンの行動や、米国がベトナム戦争
直前の情勢緊張から中東まで手が回らない
ことによりイスラエルを失う可能性、
イギリスがオイルメジャーの利権を失う
可能性を演出する極めて劇的な政治的
メッセージを持つ仕掛けだった。」
今、世界の覇権は、中東頼りのオイル
から別方向にシフトさせようとして
いる。偽のエコ脱炭素キャンペーンに
より。
だが、そのハードを生産するには石油
が無くてはならず、現在の脱炭素策動
は世界の歴史を見るに、大国の新覇権
確立の世界的政治対立の新方策にしか
過ぎない事は明白だ。
多くの人が「脱炭素=地球の為」とか
大きく騙されているが。
石油メジャーの覇権戦争が、脱炭素に
よる大同連合での中東の優位性を崩す
為の指針にシフトしただけであること
は明白であるのに、その世界危機を論
として日本の新左翼さえ指摘しない始末。
過激派さえもがネオコン帯同世界路線
に絡めとられている。
新左翼ではなく死んでる左翼。抜け殻
のくせに脱皮さえもできていない。
世界情勢の見抜きもメルクマールの
提示さえもできていない。騙されて
いる「大衆」と一緒だ。
そして1980年代以降の日本の社会運動は、
歪んだ環境主義と結合しやすい素地が
あり、新左翼運動などもそれに一気に
自閉的に流れ込んだ。
その結果、大国覇権主義者たちが、エコ
や環境問題を前面に出す欺瞞性を発揮
した時、その虚構の嘘を突く事ができ
ないでいる。もはや左翼は指導者とは
なれない。権力者の掌でもて遊ばれて
いるだけの存在だ。
そして、それは人民の真の幸せを作る
未来とは決定的に乖離している。
本映画作品では、ロレンス役をピーター・
オトゥールが好演している。
もしこの作品が20年後に撮影されていた
ならば、ロレンス役の適任はリチャード・
ハリス以外には考えられないように思える。
アラブと共に生きた英国人ロレンスは
オートバイで死んだ。道を遮る通行者を
よけようとして死んだ。
「スピードの中で精神は肉体を超越する」
(アラビアのロレンス)
【映画】アラビアのロレンス 予告
『アラビアのロレンス完全版』
ニュー・プリントバージョン予告編