まあ、別段キャンパーは聖人君子でも何
でもないのだけどね。
現今のキャンプブームの影響でニワカが
増え、キャンプの基本を踏みにじる族が
急増している。
それは、キャンプとは「共同生活」「相互
協力」「相互扶助」の精神の涵養の場、
社会教育の一環として存在してきた人類史
の意義を全て無視する連中の大量発生が
それだ。
キャンプに自己閉塞的個人主義を持ち込み
たいのならば、単独で絶海の孤島や人里
離れた深山に行くべきであり、人が多く
集まるキャンプ場などには足を踏み入れる
べきではない。
ここほんの数年、ソロキャンプが流行り
だしてからニワカたちが閉塞的排他的個人
主義をキャンプ場に持ち込んで、てめえ
勝手な事を発想したりやったりしている。
ここで注意すべきは、キャンプ場における
「他人に迷惑をかけない」とは、個人主義
的なプチブル的自己中心概念を軸に物事を
考えてはならないという事だ。
たとえば、焚き火をする人たちがいる。
キャンプ場だから当然だ。
それを「煙いから迷惑」とか捉えるのは
お門違いなのだ。それはそう思うほうが
場違い。よそに行け、なのだ。
また、歌を口ずさんだり、楽器を奏でたり
するグループがいたとする。
キャンプなので当たり前なのだ。
それを許容する広い心さえ持たず、自閉的
に作った「垣根」を越えて来た侵略者とし
て捉えてそれらに嫌悪感を抱くとしたら、
それはそう捉えたほうがキャンパーとして
失格、キャンプ場になど来るべきではな
い。単独で人のいない所に行け。
また、オートキャンプ場では車で乗り入
れる。その車のドアの開け閉めの音がうる
さい、とかわけわからぬ事を言い出す族ま
で最近ではキャンプ人ぶっていたりする。
どうせニワカだが。
それらは、その者こそが人のいない場所に
行け、なのである。
まるで葬式のようにするのがキャンプ場
ではない。
ソロキャンが増えてからか、何か大きな
勘違いをしている「自称キャンパー」が
非常に多くなった。
その一つに、テン場の周囲をサイトと称し
てまるで「自分の砦」かのように思ってい
るドカンチキャンパーが増えている現象が
ある。
キャンプ場はてめえの所有地ではない。
たまたま参加者全員でそこを借りて共同で
滞在しているだけだ。占有は法的にも社会
通念としても一切認められない。
それを現代的ドカンチ権利意識を動員して
「金払ったのだから俺のもの」とかの歪ん
だ精神だから自分のテントの周囲は絶対
不可侵の自己権利エリア、とか誤った意識
をキャンプ場に持ち込む。
自己サイトを他人が横切るのなどはキャン
プ場では当たり前なのだ。その人間が所有
する地面ではないのだから。
互いに気遣いながら、通行も互いに認め
合う。これがキャンプでは当たり前の事
なのだ。
テントの中に入ったりしなければ、テント
横を通行のために一声かけて通るなどは、
キャンプ場では当たり前、歴史的常識なの
である。
例えば上掲の画像。
このような密集キャンプ場では、目的地
まで他人のテントの横を通らざるを得な
い。譲り合い、互いに他者を思いやる心
がとても大切になってくる。
しかし、テン場をサイトと称して自己所
有地かと勘違いしているトンデモ人間は
どういう事をするか。
例えばこの図。
ここで、中央右手の木の場所が共同水場だ
ったとする。
そして、どこにサイト張ろうが勝手だろう
が?と、この赤ラインで他者の導線を遮る
ように後から来た一組がサイトなる物を
まるでバリケード阻止戦のように設置し
たとする。隙間だらけながら自己物を点在
させて設営して。
そして、この図の手前のキャンパーがその
赤線の隙間を通って木の位置の水場まで
行こうとしたら「おい!お前!ここを通る
な!」と赤線キャンパーが言ったとする。
さて、これはどうか。
これは明らかに赤線キャンパーがキャンプ
場のルール、マナーに違反しているのだ。
概略としては、個人主義的な観念を以って
人の迷惑になる行為を実行力を伴って行な
っているからだ。
勘違いしてはいけない。
サイトを通過した人がマナー違反なのでは
なく、このような自己エリアを展開して
そこを領土だと思い込んでいる人間がマ
ナー違反、ルール違反、非常識なのであ
る。
自由エリアだからと、好き勝手に「領土」
を設けてよいというものではない。
そして、実際に、全く同じこの例を私は
体験した。
理不尽な赤線バカがイキってオラオラ言っ
て来た。広島のキャンプ場で。モヒカンの
海兵隊カットで真っ黒日焼けのスミ入れて
そうなあんちゃん彼女連れ。グランピング
のような巨大テントと大型車で広大な赤線
を占有。
こちらはどうしたかというと、「あ、すい
ませーん」とはっきりと言いながら何度も
赤線を通った。何度も。何度も大声で言い
ながら。
「ここは俺様の王国」的な勘違いをキャン
プ場に持ち込んで人に迷惑をかけるのは
やめなさい。みっともないから。
ホテル旅行気分ならば、キャンプ場では
なくグランピング場に行け。
焚き火、歌声、人の声。楽器の調べ、風に
乗って届く見知らぬ人たちのウィスパー
ボイス。
これらはキャンプ場ならあたりまえの存在
なのだ。
それを許容できない心狭い人間はキャンプ
場には来るべきではない。
キャンプ場ではなく、単独で自己所有の
絶海孤島か深山に行くべきで、人が寄り
添って共同生活を営むキャンプ場という
場所に行く資格はない。
しかし、ドカンチガイ野郎はやたらめっ
たら増えてるんだろうなあ。
だから、最近は水場で朝会っても挨拶し
ても返事もしないシカトの人間ばかりだ
し、水場を譲り合う事をせずに我先にと
使おうとするんだね。
数年前までは到底あり得ない状況が現在
発生している。
なんだ?これ?とは思っていたが。
まあ、端的に言えばクソ野郎がやたら増え
ている。
すべて、ニワカの「ブーム」というやつの
おかげだ。
裾野を広げるとね、それは低い事だから、
人的にも意識の低い連中が集まってしまう
のよ。
もう、これは仕方ない。
そして、その低い連中は、自分たちの考え
や振る舞いこそが正しい「権利」だ、とか
勘違いして言動を為すの。
今、キャンプ場、キャンプというジャンル
そのものが隆盛を極めているようで、実は
壊滅的な状況に突き進んでいる。
それは、ドカンチたちが「一部の者」では
なく、主流となって来るほど増えているか
らだ。
数が多い事は正義ではない。
増えたバカチンどもを保護する「民主主
義」などはクソくらえだ。そんな物は真の
民主主義ではない。
今のキャンプ場を見ていると、人間社会の
縮図がよく分かる。