仕事の打ち合わせで広島市内へ。
「三原ルール」で走行している
人たちは皆無だった。

戦前から戦後まで俗に
「重荷(じゅうか)用」と
呼ばれたごつい自転車は
これ。
「重荷(じゅうか)用」と
呼ばれたごつい自転車は
これ。
正式には「重量運搬車」と
いう。
今見ると、映画『大脱走』
(1963)でドイツ軍捕虜施収
容所から脱走したジェーム
ズ・コバーンがフランス
の街中で盗む自転車に似
ていてかなり渋い。
いう。
今見ると、映画『大脱走』
(1963)でドイツ軍捕虜施収
容所から脱走したジェーム
ズ・コバーンがフランス
の街中で盗む自転車に似
ていてかなり渋い。

戦後の高度経済成長期とい
う時代は、「新しい物こそ
が何でも良いもの」という
歪んだ価値観に人々が踊ら
されていた時代だった。
う時代は、「新しい物こそ
が何でも良いもの」という
歪んだ価値観に人々が踊ら
されていた時代だった。
ゆえに懐古的な発想や造形
物は徹底的に忌避された。
否、蛇蝎のように嫌われて
いたといっても過言ではな
物は徹底的に忌避された。
否、蛇蝎のように嫌われて
いたといっても過言ではな
い。
それゆえ、「レトロ」など
という発想も言葉も流行も
存在さえしなかった。
という発想も言葉も流行も
存在さえしなかった。
復古調は悪、というのに近
い風潮があったのが確かだ。
い風潮があったのが確かだ。
なんでも「新」がつくもの
が良質の最先端モノという
大間違い、世紀の誤認を日
本人たちはしていた。
が良質の最先端モノという
大間違い、世紀の誤認を日
本人たちはしていた。
だが、そうした尋常ではな
い大量消費社会が多くの
弊害を生む事にも気づい
て、ようやく日本ではそ
のような使い捨ての思想
が見直されるようになって
きた。
い大量消費社会が多くの
弊害を生む事にも気づい
て、ようやく日本ではそ
のような使い捨ての思想
が見直されるようになって
きた。
重荷用のような電動アシスト
自転車を見た。
自転車を見た。
昔、重荷用自転車でよく見た
太いパイプのごつい荷台が
ついていて、色もアーミー
調のマット塗装だ。
太いパイプのごつい荷台が
ついていて、色もアーミー
調のマット塗装だ。
目を引いた。

自転車の二人乗りが禁止さ
れているのは、それは各都
道府県令で自転車の乗員は
65kg計算で、荷台に乗せる
れているのは、それは各都
道府県令で自転車の乗員は
65kg計算で、荷台に乗せる
重量は最大30kgまで、と定
められているからだ。
められているからだ。
なので幼児たちを乗せる事
は法にも令にも違反しない。
は法にも令にも違反しない。
でも、小学生や中高生が二
人乗りして運行するのは禁
止事項にあたる。
人乗りして運行するのは禁
止事項にあたる。
昭和時代の重量運搬車風の
自転車、かなりいけてると
個人的には感じる。
自転車、かなりいけてると
個人的には感じる。
イタリアに住む友人は、か
なり古い自転車を再生させ
て乗っている。
なり古い自転車を再生させ
て乗っている。
写真を見ると好きもの仲間
たちとそれで遠乗りしたり、
かなり楽しそうだ。
たちとそれで遠乗りしたり、
かなり楽しそうだ。
どなたもまるで戦前のヨー
ロッパスタイルのようない
でたちで自転車を楽しん
でいる。
ロッパスタイルのようない
でたちで自転車を楽しん
でいる。
自転車といえば西欧なのだ
が、なんというか、本場の
歴史感があって、都度メー
ルで送ってくれる写真を見
が、なんというか、本場の
歴史感があって、都度メー
ルで送ってくれる写真を見
ているほうも楽しくなる。
二輪の文化、深く生活に根
付いたモノ。
付いたモノ。
それが気負わず、さりげな
くさらりと人々の日常に溶
け込んでいる。
くさらりと人々の日常に溶
け込んでいる。
それは、自転車もモーター
サイクルもどちらもそうな
のだ。
サイクルもどちらもそうな
のだ。
モペットなどの自転車と動
力の合体物などもとても街
中の景色や生活にマッチし
ている。
力の合体物などもとても街
中の景色や生活にマッチし
ている。
取ってつけたようなもので
はない、生きた二輪文化が
ある。
はない、生きた二輪文化が
ある。
いいなと思う。
無論、3ない運動のような
世界史的な国と教育者によ
る自国憲法無視の天下の悪
行三昧も存在しない。
世界史的な国と教育者によ
る自国憲法無視の天下の悪
行三昧も存在しない。
文化として必要不可欠な物
として二輪が社会に存在し
ているから。
として二輪が社会に存在し
ているから。
日本では未だに「二輪など
は不要だ」とか「邪魔だ」
という心根の人間たちが多
く存在する。
は不要だ」とか「邪魔だ」
という心根の人間たちが多
く存在する。
自動二輪乗りの中にでさえ、
原付などの小排気量のモ
ーターサイクルを馬鹿に
する者たちも存在する始
末。
原付などの小排気量のモ
ーターサイクルを馬鹿に
する者たちも存在する始
末。
ヨーロッパではあり得ない。
つまり、西欧を人類史にお
ける近代文明の先進の端で
あるとするならば、日本
は果てしなく最後進国の
未開の土地なのだ。
モーターリゼーションの
未発達、未成熟、文明が
開花していない実態が存
在する限り、日本は決し
て「先進国」ではない。
ける近代文明の先進の端で
あるとするならば、日本
は果てしなく最後進国の
未開の土地なのだ。
モーターリゼーションの
未発達、未成熟、文明が
開花していない実態が存
在する限り、日本は決し
て「先進国」ではない。