どうしても仕事で外出すると、外食
になる。
そんな時、チャーハンが美味しい店
があると助かる。生き返る。
高校の時、夏に1ヶ月東京から広島
県の三原に滞在した事がある。
広島県の福山まで毎日塾に通って
いたのだが、昼食は近所の喫茶店
を使った。
その喫茶店で「ピラフ」と頼むと
全く通じない。
都内では喫茶店の定番はナポリタン
にピザトーストにピラフだった。
学校帰りに友人たちとは毎日のよう
に喫茶店に行っていた。
しかし、「ピラフ?はあ?」と福山
で言われた。
壁のメニューには「冷コ」と貼って
ある時代だ。
最初、それは何だろうと思っていた
がアイスコーヒーの事だった。
アイスコーヒーという単語は喫茶店
でも全く使われず、レイコだった。
そしてピラフは通じなかった。
どんなの?と訊かれたので、チャー
ハンみたいなのと言うと「ああ!
焼き飯ね」と。
他の店でも「焼き飯」呼称だった。
おー!言語文化が違う!と思った。
厳密にはピラフとチャーハンと焼き
飯は違うようにも思えたが、腹に
入ればいい。
ちなみに、私が広島県に東京から
移住した前世紀末には、「おしんこ」
という単語が全く広島県内では通じ
なかった。すべて「漬物」と呼ぶ。
今でこそ吉野家やすき屋が店を出し
ているので「おしんこ」は通じる。
しかし、ほんの20年ほど前には全く
通じない。居酒屋とかで。
コンビニはパン屋のヤマザキデイリ
ーストアがあるだけで、コンビニ
としてのコンビニは一軒もない。
としてのコンビニは一軒もない。
マックも一軒もない。
クリスマスのライトアップをしたの
はうちが三原市内では初めてだった。
そして、幼稚園の男子全員が自分の
事を「わし、わし」と言っていた。
「え?」と思ったが、それは地言葉
だ。東京での「おれ」と同じだ。
「え?」と思ったが、それは地言葉
だ。東京での「おれ」と同じだ。
コンビニやファストフードは店舗
展開の進捗如何だが、言葉の違いは
確実にあった。
だが、インターネットが普及して
からは、一気に方言が消滅して来
ている。
冷コは今や死滅した。
ピラフもおしんこも通じるどころか
その単語が定番になっている。
そして、子どもたちの男の子は、
自分の事を「わし」とは言わなくな
った。
5才の時から知ってる子が高校生に
なった時に「わしって言わないの?」
と尋ねたら、「いや、さすがにそれ
はないです。おじいちゃんとかの
世代ではないから」と。
すでに「わし」は老人の言葉のよう
な感覚になっていたようだ。
こうした現象は全国で起きているの
ではなかろうか。
大阪人は今「さ」や「さぁ」を使う。
大阪の漫才師でも使う。
紳助世代では絶対に考えられない
事だ。
さんまとかは東京が長いので「さぁ」
を使う。しかし、人の事を「おまえ」
「おまえ」と連発する。
東京で「お前」などと言うと喧嘩が
始まる程にド失礼な言い回しなのだ
が、さんまは知らないのだろう。
西日本ではごく軽く「お前」を使う。
しかし、関東では「てめー」と言っ
ているに等しい。
言葉が完全に異なる場合には東と西
でも誤解は発生しないが、同じ音で
ニュアンスが異なる単語は要注意だ。
東京では「ちょいと」という軽い
ノリと意味で「ちょっと」を多用
する。
ノリと意味で「ちょっと」を多用
する。
キムタクの「ちょと待てよ」もそれ。
ちょっとは「少し」の意味ではない。
しかし、西日本で「ちょっと間違え
た」とか言うと怒られる事も多い。
「ちょっとじゃないじゃろが。大い
に間違いしとるじゃろが」という具
合で。
ちょっとが「僅か」という意味で
捉えられている。
無論、会話の中で「や、間違えた」
という時に「ちょっとした間違い」
という表現で「ちょっと」が使われ
る事は西日本では皆無だ。
「ちょっとやないやろ」となる。
東京で言うところの「ちょい上げ、
いやもうちょい下げ」とかの時に
は何と言うのだろう。クレーンとか
の作業の時とか。ちょい締め、とか
の時とか。
西日本のそのシーンでの地言葉の
使い回しはよく知らない。
それこそ、「もうちょっと」を
使うのかもしれない。まさに少し
という意味で。
そういうケースは、単語や音が東と
西で同じながらニュアンスや使用の
場面が異なるので、厳重に注意を
払わないとあらぬ誤解を招く。
岡山弁で「おえるもんか」という
表現を東京で口にしたら「負える
ものか」と捉えられる。
岡山弁でのそれは大阪弁での「あか
んて」の意味なのだが、東京で同じ
音だと極めてきつい切り捨て言葉の
ように思われてしまう。
こうした、同じ音韻で全く別な意味
やニュアンスの単語には注意だ。
「それ直して」とか西日本の感覚で
言うと、東日本では「え?どこが
壊れてるの?」となる。
「片付ける」が「直す」という単語
である事を東日本の人間は知らない。
やはり、標準語教育は小学校から
受けるのであるから、予め相手が
別地方の人と知るならば、日本人
は万人が標準語で話す事が望ましい
と思料する。
言葉は意思伝達のツールなのだから、
自分や自分たちだけの狭いエリアで
しか通じない言葉は使うべきではな
い。
東京にしても、正調江戸弁を使った
ら、それは標準語とは違うから、
地方の人や外国人には通じないよ(笑
「片付ける」は「かたす」だし、
やっぱりは「やっぱ」とか「やっぱ
し」だし。
東京周辺の「おっぺす」なんてのは
古語の「押し圧(へ)す」の訛りなの
だけど、東京では使わない。埼玉や
千葉の東京隣接地帯の言葉だ。
勿論、「おっぺす」は西日本では
サッパリ通じない。
準東京エリアの方言でさえ、方言
ゆえ東京では全く通じない事も
多くある。
多くある。
今でこそ横浜方言の「じゃん」は
全国区になったが、私が小学6年
の1972年の時に父の転勤により
横浜から埼玉県の大宮市に転校し
た時、大宮の人たちは「じゃん」
という言葉はまるで聞いた事が無
かったようだ。
そして、仲良くなったクラスの奴ら
は私をいじる時に「じゃん、じゃん、
じゃーん」とか言ってた(笑
「おんめー、じゃんじゃん言って
すかしてんじゃねーぞー」とも。
意味不明だった(笑
「すかす?おならでしゅかえ?」
と。
すかすとは、カッコつけるという
意味らしい。
大阪人が「さぁ」を使う事が皆無
であったように、埼玉県人も「じゃ
ん」は全く使っていなかった。
じゃん言葉を使うのは横浜や湘南
だけだった。
いやあ、言葉というのは難しい。
横浜から埼玉の大宮などは、広島市
内から岡山市内よりもずっと近い。
横浜から大宮は60km位だ。
60kmなんていったら、三原市から
西へ行くと広島市にも到達しない。
そんな近い距離でも、言葉と文化が
まるで違っていて、人々の感覚も
別物となる。
だが、人と人の意思疎通の要は言葉
だ。
標準語は極めて大切。