日本全国各地で「ドライブイン」が
加速度的に消滅していっている。
岡山県内で私がよく利用(という
か岡山県内に出た際には毎回利用。
つまり毎週)していた「平田食事
センター」という国道2号線沿いの
巨大ドライブインも2015年に50年
以上の営業の幕を閉じた。
ここのごはんは、まじもんでおいし
かった。おばちゃんたちが何人も
で大きな厨房で作るの。ほんとに
うまいドライブインだった。
ここの米とみそ汁が最高だったす。
とても残念だ。
広島県三原市の国道2号線沿いに
あった「ドライブイン山陽」も
55年の歴史に幕を閉じた。
惜しまれる。
関東でも、峠道には峠の茶屋的な
ドライブインが必ずどこでもあった。
国道20号の大垂水峠の旭山ドライブ
インなどは私は常連で、とてもよく
通ったが、現在廃業で廃墟になって
いる。
峠の茶屋は全国どこでも廃業廃墟化
まっしぐらという状態にある。
なんとも惜しい。
峠の道の途中で一服。食事や飲み物
でひととき寛ぐ、という光景が日本
全国で失われつつある。
もうすぐ、「ドライブイン?なに
それ?」という時代が来るのだろう。
最近では単車乗りもカフェなどが
お気に入りみたいだが、ドライブ
インのあの独特の雰囲気は何とも
いえない。トラック運転手の御用達
であると同時に、ロードライダーの
峠族やロングランナーの二輪乗り
たちは「ドライブイン」こそが
似合っていたし、そこが憩いの場
だった。
だから、ライダーもトラックドラ
イバーのようにドライブインを
多用していた。
道の駅じゃないんだよ。
ドライブインなんだよ。
そして、そこでは「とんかつ定食」
だ。「ドラとん」なんだよ。
友人は論理的にそれはおかしい、
ドラとんではなくどらカツだろう
と言うが、カツ全般じゃないのよ。
トラックの運ちゃんたち御用達だ
った「とんかつ」にこそ狙いの意味
がある。
美味かったり不味かったりは、とん
かつにすぐに表れる。
単に食事巡りじゃないのよね。
「ドライブインでとんかつを食べる」
という事に意義を見てるわけ。
今の時代だから、なおさら。
でも内実としては、「タバコならば
ショッポに限る」というのに似て
いる。
そのあたりのこだわりは、解る
人にしか解らないと思う。
理屈じゃないんだよね。
で、なぜか、今は知らないが、昔と
大昔のトラック運転手は、みんな
とんかつ定食を頼んでいた。ドラ
イブインでは。焼肉でもかつ丼で
もなく「とんかつ定食」。
なぜだかは知らないが、そこに
一つの道行く男とドライブインと
しての文化があったようだ。
だから、ドライブインではおいらは
とんかつなのよ。
略して「ドラとん」。
あと、彼らは音楽は八代亜紀なん
だろうなぁ。あれもなぜかは知ら
ないが。
だからこそ、彼ら道行く男たちの
魂に肉薄せんとするハイウェイの
二輪乗りとしても、やっぱ「ドラ
とん」なのよ。
県内と近県のドラとん巡りの巡礼
の旅にはまだ行けてない。
ま、そのうち行くだな。
とんかつ定食は店の味が即わかる。
これは三原市のお隣りの市内の
ある店のとんかつ定食。
エビフライはオマケ。
味はフツー。美味しくはないが
不味くもない。ま、やや美味しい
ほう。
「彼女の島」を二人でオートバイで
出てからツーリングを続ける主人公
コオとミーヨ。
彼らは何度となく分かれては合流する
気まぐれで戯れの走行をして走って
来た。
そして、最後となる「分かれ道」に
到着した。
コオの横を日産ディーゼル(現
UDトラックス)のセミトレーラ
が走り抜けていく。大きな丸太
を満載している。
ミーヨも止まる。
「この先の橋のたもとにドライブイン
がある。
そこで待ってる」
コオはミーヨに言う。
ミーヨは
「私が待ってる」
と言い、アクセルを開いて加速しな
がら旧道を駆け下りて行く。
本線に合流するコオ。3度目の
分離合流走行の合流地点は「橋の
たもとのドライブイン」だ。
トンネルをアクセル全開。
前傾姿勢を取り伏せて加速して行く。
2021年12月現在の同地点。
そして、旧道を疾走するミーヨの
カワサキと上の新国道を行くコオ
が高低の位置で同時に走る。
場所はここ。
だが、これは非現実的だ。
まず、第一に旧国道184号のこの
旧御調郡木ノ庄町字畑から御調町
字諸原の区間は難所であり、旧道
は離合不能の幅員かつ超ヘアピン
があるため、大型セミトレは第五
輪荷重に関係なく全長からして
通行が不能だ。
多分だが、丸太満載のUDセミトレ
はコオを通り過ぎるシーンの後に
ミーヨの顔アップでカットが変
わっているので、コオの横を通り
過ぎた先で止まり、バックで戻し
て新国道に出してセミトレをいな
くさせてからミーヨ(代役は堀
ヒロコさんか)がオートバイで
走らせた撮影方法と推察できる。
2021年現在の旧国道184号。
広島県廿日市市吉和から島根県へ
抜ける離合不能の国道のように
いわゆる酷道だ。
そして、大曲りと極小ヘアピンが
ある。絶対に大型セミトレの走行
は不能だ。
このあたりから二人の上下二連走
が撮影された。
旧国道はあの上から降りてくる。
新国道の畑トンネルは1977に開通。
これは旧国道の標識。
ということは、これは1977年以前
の道路標識が残置されているという
事だ。
峠の坂道の途中では四輪車は普通車
でも離合できないので、この下り切
った地点で離合するための場所。
ここだけ一部幅員が広い。
あるいは、広島県や岡山県と島根
鳥取の県境の道路によくある四輪車
のチェーン脱着場だ。降雪の際には
チェーンがないと全く登れない程
の急こう配の旧国道だ。
現在この旧国道は、このエリアの民家
の人しか使わないだろう。
旧国道と新国道の合流地点。
新国道のトンネルを二つ抜けて、
コオはCB400フォア(ヨンフォア)
で右の新国道の坂を駆け下りて来た。
撮影場所の等高線入り地図。
この付近の詳細レポートは別項で
アップする。
新国道184号線を尾道方面の南から
北へ山を越えて駆け下りるコオ。
だが、この最後の分離走行のシーン
はあくまで映画作品の演出だ。
なぜならば、新道をあのアクセル開度
と速度で畑トンネルから北に走って
いったら、大曲りのコーナーを抜けて
コオのほうが遥かに先に到達する。
従って、どんなにミーヨが快速の
腕だとしても、このように二台が
重なるような時間帯は発生しない。
現実には。旧道はつづら折れで狭く
時間がかかる。
この図は「絵柄としての演出」と
いう映画上の創作である事が撮影
現地に行くとよく判る。
そうした事は映像作品上の表現と
しての演出なので齟齬には該当し
ない。
映画には映像マジックが多くある。
ここは現在の尾道市木ノ庄から
御調町諸原区間の国道184号線だ。
この北の先には現在は道の駅
みつぎがある。
しかし、映画は創作ファンタジー。
現実には「この先の橋」も無ければ、
「ドライブイン」も無い。
そこで映像ロケは一気に群馬県に
飛ぶ。
国道17号線ぞいの新三国大橋と
付近の有名なドライブイン「一美
(かずみ)」が出てくる。
一気にワンシーンで900kmの距離を
飛んだが、それはそれ。突っ込んで
はならない。「映像作品」なのだ。
ミーヨは来ていない。
おれのほうが先に着いたか、と
いう面持ちでコオはドライブイン
に入って行く。
ここからがこの映画のクライマッ
クスだ。
ミーヨが国道で観光バスを追い
抜かしてバスの乗客たちが驚く
シーンは角川春樹の意向により
大幅にカットされた。本作は
とんでもない量がカットされて
いる。
カットの理由は、同時併催の
角川春樹てこ入れ映画『キャ
バレー』の上映時間と合わせる
と予定時間枠をオーバーするから
とのことで、本作の監督とスタッ
フや出演者を馬鹿にしたプロデュ
ーサーの意向内容だった。
大林監督は「それならば本作品
で一番苦労したシーンを丸ごと
ごっそりカットしよう」という
事になった。30分ほども各シーン
がカットされては、本来ならば
映画としての体をなさない。
しかし、大林監督は編集効果で
見事に一編の叙事詩に本作品を
まとめた。
だが、役者は新人二人のど素人
が主役。演技は学芸会以下だ。
1983年当時を知る人たちは、
ドラマでの堀ちえみの「ぐずで
ノロマな亀」の演技を思い出して
もらえばいいだろう。
あれ系。
この映画で一番演技が上手かった
のは、何をおいても田村高廣だが、
このドライブイン一美でのトラッ
クの運転手役の泉谷しげるもなか
なか良い味を出している。
ドライブイン一美は国道17号の
峠のオアシスとして運送ドライ
バーや行楽客に人気があった。
現在廃業。
私は一度だけ高校時代に日光の
中禅寺湖行きの同級生たちとの
二輪一泊ツーリングの時に、男体
山のほうから沼田まで下ってから
三国峠方面に向かい、ドライブイン
一美に仲間と立ち寄った事がある。
トラック多し。店内は結構広い。
トイレはあんまし綺麗ではなかった。
なにより、新三国大橋が凄かった。
走っていると落ちそうで怖かった。
片側一車線複線だが道幅も狭く、
欄干も低い。
新があれば旧もある。
旧三国大橋は旧三国峠の谷にかかる
橋で、現在廃道。
この新三国大橋は140mほどで谷を
繋ぐが、廃道の旧道は約1km以上
かけてこの谷を渡るルートだ。
オフロードバイクでも現在は走行
不能。山が崩れて道が消滅している
ようだ。
現場探検が好きな方は、ぜひとも
オフ車で現地探査を。夏にね(笑
現在の映画撮影地点。
「橋のたもとのドライブイン」
ドライブイン一美は廃業後は長らく
廃墟として朽ちるにまかせていたが、
群馬県の有志たちがリフォームと
屋外での飲食店舗、幼児児童むけ
遊戯施設を設置してなんとか復興
化をめざして活動している。
この国道は17号だが、中山道では
ない。中山道は東京板橋から北上
して群馬県高崎で左折して国道18号
として西進し、碓氷峠を登って軽井
沢を抜けて西に向かう。京都まで。
旧街道というのは海沿いは渡河し
ないとならないので、橋の無い明治
時代以前は山間部の街道を通るの
が一般的だった。ゆえに、幕末
の清川浪士隊も中山道で江戸から
京都に向かった。
ここ国道17号のドライブイン一美
跡地は、ズトンと東京からR17を
真北に直進したような位置にある。
栃木県日光から群馬県の新三国大橋
や長野県へは意外と近い。ただし、
ど外れた山の中だ。
広島県や岡山県などの緩やかな山岳
高原地帯とは違う。
もう山、山、山。山の穴、穴。
映画『彼のオートバイ.彼女の島』
(通称「カレカノ」)では、最初に
なだらかな広島県の三原北部の田園
地帯を走っていながら、少し尾道の
険しい山のトンネルのシーンを入れ、
そして群馬の谷深い山中のドライブ
インへのシーンへと上手く違和感
無いように映像を繋いでいる。
大林マジックが生きている。
この映画は俳優の演技を見る(と
いうか観るに堪えない)作品で
はなく、片岡義男の独白小説を
どのように大林宣彦監督が絵と
してまとめ上げたかを観る映画だ。
俳優の演技としては映画史上最低
ランキングに入るだろう作品だが、
映画の視覚効果としては成功作
だと感じる。
誰か、都内のコオのアパートの場所
と「けた下2.2M」のガード横にある
「道草」の場所を特定してくれ~。
S字のガード下と両側のガードレール
歩道があるのが特徴。
「けた下2.2M」は実物表示かと思わ
れる。東急線独特の書き方。
ガードも東急線独特の特徴あり。
ツーリングの二輪旅を続ける橋本
コオと白石ミーヨの二人。
先ほどは広島県道25号線を北上して
いたが、次のシーンでは先ほどの
少し先の北の地点を今度は戻るよう
に南下している(笑)。
電柱の「旅館 銭寿」の看板が見える。
映画撮影時の1985年時点ではまだ
営業していたのだろう。「まるそう
ストア」も現在は廃墟になっている。
「旅館 銭寿」は林業の季節労働者
たちが宿泊するような旅館で、付近
には材木屋や銘木屋が今でもある。
現在その旅館は廃業。
2021年12月現在の同地点。
二人は分離走行第2地点からここでは
手をつなぐランデブー走行をする。
広島県道25号線三原東城線久井町下津。
周囲は田園地帯となだらかな山と森。
映画のロケ撮影場所はここ。
この地点の前のシーンでこの地点から
数百メートル南の地点を南から北に
上がっていたのに、次のこのシーン
では北から南に南下して三原方面に
向かっている。
それは錯誤やミスではない。
多くの場所で撮影をして、編集により
同じ方向に走っているかのように観客
に違和感を抱かせていない大林映画
の手法だからだ。
ここで、雨が強くなってくる。
ミーヨは「オッホ~」と言って
喜ぶ。
そして、次のシーンは問題の
分かれ道のシーンへと続く。
コオとミーヨはランデブー走行を
続ける。
先ほどの広島県道28号線の三次市
吉舎町辻の場所から次のシーンは
広島県三原市久井(くい)町の字
名下津の県道25号地点。
例によって、ミーヨは本線から分離
して走り、ゴッツンコのような合流
をする。
2021年12月現在の同地点。
こちらは映画の走行目線でのビュー。
二人が分離走行した場所。
右側の農家の用具小屋の壁にある
「旅館 銭寿 まるそうストア裏」
の看板にご注目あれ。
これについては後述説明する。
ゴッツンコ合流した二人だが、
「おまえな~。気をつけろよ」と
いう具合でコオがミーヨのメット
をポンと叩く。そして、さらに
北に向かって進む。北?北から
南に来たのにさらに南の地点では
北に向かっている。
これは映画上の編集のトリックで
さも同じ道を同じ方向に走ってい
るかのような演出編集だ。
完全反対車線逆走や交差点での
徐行無視なので危険極まりない
走行を続けるのだが、これにも
撮影上の現実が現場調査で判明
した。それらも別項で詳細に
記述する。
この第2の「分離合流走行」の
場所はここ。
ここも、次のシーンも下津の乗り
合いバスのバス停のそばだ。
場所は三原市久井町下津。
『彼のオートバイ.彼女の島』
(1986年4月公開)
1985年の梅雨前から秋にかけて
撮影され、翌年1986年4月に公開
された大林宣彦監督映画のロケ地
を訪ねてみる。
作品のラスト間際。
主人公の音大生橋本コオは「彼女
の島」を訪ねる。
片岡義男の原作では岡山県の白石
島だ。源平の落ち武者を偲ぶ夏祭
りが県指定の無形文化財となって
いる瀬戸内海の小島である。
1986年に映画化された角川映画
では広島県尾道市の岩子(いわし)
島がロケ地として使われた。
起伏に飛んだ地形と古い家並みを
残す島で、ワケギの出荷数は
広島県三原市の佐木島と並んで
全国一の生産量を誇る。
道路は離合不能な道幅の道路ばか
りが島内を走るこじんまりとした
島だ。尾道市街地からは橋づたい
に陸路で行ける。
映画では離れ小島のような設定
なので三原から出ているフェリー
を乗船シーンに使っていた。
「彼女の島」を訪ねた主人公コオ
は、彼女と一緒に島からオートバ
イでツーリングに出かける。
最初は瀬戸内海の島々を背にした
場所を走り、そして尾道三原の山
間部の高原地帯をランデブー走行
する。
そして、気まぐれから別々に走って
みたりする。離れたりくっついたり。
その最初のシーンはここ。
バス停の前で旧道にミーヨは
入って行く。
これは1985年の風景。
2021年12月現在の同場所。
ミーヨのカワサキは右へ。
旧道と新道に分かれて合図しな
がら並走する二人。
2021年12月現在の同地点。
ミーヨは「辻」の二叉路にさし
かかる。
コオは新道の広島県道28号線を
北から南に走ってくる。
危うくぶつかりそうになるが、
両者とも巧者なのでうまく避
ける。
「もうちょっとでぶつかるとこね」
という風の合図をミーヨが出す。
2021年12月現在の同地点。
バス停がある。これは北側の200
メートル先にも同じ名称のバス停
があり、どちらでも乗り合いバス
は止まってくれるのだろう。
これは合流地点の「辻」のバス停。
北側の「辻」のバス停の時刻表。
コオとミーヨは、バス停で分かれ、
バス停でまた合流する走行をして
いたのだった。
そして、二人は南に向かって
走って行く。
2021年12月現在の同地点。
場所は三次(みよし)市吉舎
(きさ)町の字名(あざめい)
が「辻」という場所。広島県道
28号線にある。
この場所の周辺の探査と映画の
映像的な考察については別項で
詳細に記述したいと思う。
コオとミーヨが島を出て、共走
りで最初に「別れと出会い」の
走行をした第1の場所はここ。
方角は北から南に下って走って
いる。



