渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

横浜市で一番人気の区は

2021年12月12日 | open
今、横浜市で一番人気の区は?
それは都筑区。
 
つづきくぅ〜?
何だそりゃ、そりは港北区だべ、
とか思うのはおいらみたいな
古い
横浜人。
港北区から分離してすでに20年
以上が過ぎる。
 
それでも、実は、根っからの
ジモチー
ハマっ子からすると、
横浜は中区、
磯子区、西区、
神奈川区、鶴見区、
金沢区
以外はヨコハマではない、
な意識は心の端っこに
少しあるら
しい。
磯子区、金沢区だけは横浜港
では
ないが、これらの区は
全部海に面
した場所。
 
しかし、厳密に言うと、鶴見
区では
「じゃん」というハマ
言葉の方言は
一切使わない。
元武蔵国橘樹(たちばな)郡で
あった
現鶴見区、神奈川区、
都筑区、港
北区、西区の
一部
は歴史が古い。
横浜開港以降に外から港に
やって
来て定着してハマ
言葉となった「じゃん」は
使わな
い。
中区を中心に南西部は日常的
に人
は「じゃん、じゃん」言う。
これは、横浜だけでなく、湘南
地区
も使う。
ちなみに横浜市は全域が「武蔵
国」
です。埼玉県北部の群馬県
との県
境までが武蔵国。武蔵国
一宮は埼玉
県の大宮。国分寺
は現東京都の国分
寺。
神奈川県の藤沢市、鎌倉市は相
模国
で別国となる。武蔵国は
やたらと
広い。
 
この「じゃん」は東海道を通っ
静岡県の清水からやってきた。
港がある横浜市中区には清水の
故者が古くから非常に多い。
港湾
の歴史が背景にある
かくして、清水港の「じゃん」
横浜のハマ言葉として定着
した。
今ではヨコハマが発祥のように
っているが、元々は外からの
いわ
ゆる外来語だ。
 
なぜ、横浜市北部にはじゃん
言葉
が無いのか。
それは、港湾関係者は中区の
ハマ
より北には行かなかった
からだろ
う。港の仕事はハマ
で終わる。
鶴見区の港が開設されたのは
ずっと
後の近代工業化の時で、
土地の歴史
は古代からと古く
江戸期には幕府直
轄領であっ
たとはいえ、鶴見は東京

資本
によって京浜工業地帯
建設の
時に拓かれた。
 
幕末に横浜の地に港を幕末が
開き、
黒船の外国が要求する
神奈川港を
開放しなかったの
は、今では目と
鼻の先の距離
だが、神奈川と横浜
では「別
な場所」であったからだ。
神奈川は元々港があり、そこ
の開
港を外国は幕府に要求し
たが、
幕府はへんぴな何も無
いただのド
田舎の岬が横に突
き出した横浜
という場所を
「横浜も神奈川に
ござる」と
アメリカ等に嘘説明し
て、江戸
から少しでも遠ざけよう
とした。
そのため、それまでただの寒村
しかなかった田舎の入江に
大型蒸
気船が入れる港を作った。
しかし、その場所は、国際港
とな
ったために、埋立地も山
手も外国
のような作りになった。
日本各地からも人が集まったが、
港湾労働者は清水からの人たち
大活躍した。
そして「じゃん」と
いう威勢の
良い港言葉がやって来
た。
多分、清水の次郎長なども幕末
は地元でじゃん言葉を日常
的に使
っていたのではなか
ろうか。
横浜は、現在の港の旧桟橋の
ある
中区より北の神奈川区か
らさらに
北は、「元々の横浜」
ではないの
だ。地理的にも言
語文化的にも。
距離は近い。だが、幕末にあっ
は「別な場所」「幕府が定め
境界線のこちら(江戸警備圏
内)と
向こう(外の土地)」として
認識さ
れていたのである。
 
鶴見区生まれ育ちの以前の職場
後輩が私に言っていた。
「横浜はジャンだと言われるけ
ど、
鶴見では全く言わないです
よね?」
と。
私はハマのジャン圏内育ちだっ
が、鶴見区に転住した時、あ
れ?
ジャンと言わない、と不思
議に思っ
ていた。
その後輩の言で確証を得たので、
史について調べてみると、横
浜市は
中部南部と北部では文化
と施政の
歴史が異なる事を知った。
中部から南西部にかけては、小
学校
で横浜市歌など徹底したハマ
教育が
なされているが、北部では
それほど
「ヨコハマ」や「ハマっ
子」を自覚
させる事にも力は入れ
られてもいなかった
らしい。
同じ横浜市でも歴史と文化の違
いだ
ろう。
私が育った米軍基地のあるエリア
は、誰もがジャンジャン言っ
ていた。
そして「横はいり」。横はいり
すん
なよー、とか。
この「横はいり」というのが
ハマの
方言だというのもずっと
後年に知っ
た。
ただ、「じゃん」が横浜の方言
あった事は1972年に埼玉県の
大宮
市(現さいたま市)に引っ越し
て初め
て知った。
結構カルチャーショックだった。
全く一切「じゃん言葉」が存在
ていなかったのだ。
「おめーおもしれぇ言葉使う
なぁ」
とクラス仲間たちから
言われた。
「だからおれが言ってんじゃん」
というようなのは自分の言葉と
て私たちハマの人間にとって
は日常的だったからだ。
私は生まれは東京目黒のサンマ
が、言葉は完全にハマのトビ
ウオ
(いねーよ、そんなの)になっ
てい
たのだった。
 
港ヨコハマは超近代都市になった
が、横浜市をあまり知らない方で
ノスタルジックな景観と空気に触
れてみたい方には、横浜市にはタ
イムカプセルのような場所がある
ので、ドライブやツーリングなど
でおすすめしたい。
そこは横浜の原風景のような空気
を今も残している。
それが横浜市金沢区の平潟湾だ。
八景島シーパラダイスのある所。
金沢港は漁港として今も活動し
ている。


このコースターは私は何度も
乗り
ましたが、乗り応えが
あり
ます。堪能できる。






とても古いハマの雰囲気と、
新しい
街が融合した場所。


漁港として現役で機能している。


横浜港周辺は明治以降にアジア
一の
貿易港として発展し、世
界有数の近
代都市となった。
しかし、横浜山下町から18
キロ程南
に位置するここ金
沢の湾
は、いにしえの神奈
や開港直後の横浜がこん
な感じだっただろうと思わ
せる雰囲気が今でもある。


何だかヨコハマの原風景の
ように
思える。
私はここの海が好きだ。
 

ナイフで鉛筆を削る

2021年12月12日 | open

これはスケッチ等で絵を描く時に
使う豆肥後守。
超小型なので筆箱に入れておくと
便利。
今の時代、こうした銃刀法に抵触
しない小さな刃物でも軽犯罪法で
検挙される時代なので、筆箱に入
れては持ち歩けなくなった。
1980年代あたりでは、ポケット
に銃刀法に抵触しないナイフが
あっても、レターオープナーと
言えば職質した警察官も検挙は
全くしなかった。警視庁も神奈川
県警も埼玉県警も。
今は世の中が違う。
しかし、回転型の鉛筆削りでは
スケッチ用の鉛筆の芯は削れない。
任意の平たさや芯先形状を刃物で
成形しないと思うタッチの絵が描
けないからだ。スケッチだけでなく、
鉛筆での素描はそう。

ナイフで削った文字書き用のペン先。


こうした狙った通りの任意の削り方
などは、私の世代は誰でもできる。
チャッチャと削ってもこうしたシュッ
とした鉛筆の削りになる。小学生で
あっても、このような形状をすぐに
作り出す事ができた。


今の小学生では無理らしい。
小学生だけでなく、大人も50代半ば
以下の世代はできないらしい。
ある人のブログを見ていて、えー?
そうなんだ、と知った。
それは、鉛筆を削れます、というの
を動画でYouTubeにアップしている
人がいるらしい。
そのうち、「私、自転車に乗れます」
という動画がアップされる時代にな
るかも知れない。

最近、どうもオートバイに乗る人た
ちが異常なほどにド下手くそな人た
ちだらけになってきている。
これは1980年代とは雲泥の差として
現実にある。
思うに、多分だが、今の嘘教えの教習
とは別に、そのド下手くそな世代現象
は、小学生の時に自転車に乗りまくっ
ていろいろ出かけなかった世代のあた
りからなのではなかろうか。
家に閉じこもってファミコンやゲーム
ばかりやっていた世代。
身体を動かして外で遊ぶ事をやめた
世代。
長く日本人の中で外遊びをしていた
子ども時代を送った世代は、私より
ちょい後の世代までで、それ以降は
日本人の歴史に終止符を打った子ど
もたちばかりが今ド中年から壮年期
になって来ている。20代はそれに
続け、だ。
鉛筆も削れなければ、マッチのすり
方も知らない。レコードさえ見た事
も無いし(これは時代性ゆえいた仕方
ない。問題は知ろうとしない事)、
自転車に乗ってどこかに出かける事
を毎日していた子ども時代を持たな
い世代。
そりゃあ、オートバイなどまともに
乗れる道理がないなぁ、と思う。
もしかするとスキップや片足ケンケン
も出来ないかも知れない。
特定のスポーツは訓練するから出来
るとしても。

火熾しなどもできないから、だから
キャンプなどでの薪割りや着火が
珍しい物として今流行っているの
だろう。
これは温故知新で良い事かとは思
うが、最近始めたばかりなのに、
さもオーソリティーぶって聞きか
じりの解説をかましてる動画の多い
事、多い事。
なんだろなぁ、という映像が多い。

信じがたい話だが、現代の20代は
両手の指を滑らかに順繰りに折り曲
げたり伸ばしたりする事ができない
のだという。
指はグーパーしか出来ないらしい。
出来るのはピアノを幼い時から弾い
ていたり、ギターなどの楽器を弾く
若者たちだけのようだ。
だからこそスピナーのような意味
不明の手先遊びの器具が珍しくて
流行るのかも知れない。手の中の
指先でのペン回しなども勿論でき
ない。
第一、これまた信じがたいが、
現代の子はまともに走れない。
これは、小学生、中学生の短距離
走の年ごとの平均タイムをみれば
よく分かる。
私は50mは中2の14才の誕生日前で
5.8秒だった。5.9や6.0タイムは連
発。
5秒台は当時でも全国レベルなのだが、
これは国内でも足が速いほうの類で
あるので平均ではない。
だが、15年程前の中学生男女の平均
を知って愕然とした。
「走れない」のだ。
身体的な動かし方を知らないのだ
ろう。
刃物での鉛筆削りと同じで、やり
方を覚えれば、誰でも出来る事な
のに、その方法を知らないから出来
ない。また、知ろうともしない。

オートバイは乗り方が上手くなる
のか。
これはですね、乗り方を知れば
絶対に上手くなります。誰でも。
競技選手のレベルは特別な高度な
技術と思考力(これ大事)が必要と
なるのですが、一般的なレベルで
「上手」になることは確実にでき
ます。
ただし、それには条件が4つある。

 1.オートバイが大好きである事
 2.オートバイに乗る事が大好きで
  ある事
 3.正確な物事の判断をする認知力
  を備えている事
 4.気持ちが純粋である事

この4点さえあれば、誰でもオート
バイの運転はスイスイ出来ます。
世界チャンピオンのヤーノ・サーリ
ネンは歴史的な名言を残しました。
「ボウリングをやれる体力があれ
ばモーターサイクルには乗れる」

鉛筆を削る刃物の使い方も、世の
中の多くの事も、「やり方」を
知るか知らないか、知る気がある
か無いか、だけの事です。
私の世代は、たまたま刃物の使い
方をガキどもみんなが知っている
世代だったから箸を持つように鉛
筆が当たり前の事として削れる。
駆けっこも、やり方を知っている
から速く走れる。
自転車には小学生時代はみんな乗
りまくりだったから、動力付きの
モーターサイクルにミドルティーン
で移行しても、すんなりとバランス
感覚良く乗りこなせる。
私の世代でオートバイで立ちゴケ
などする人間はいません。ほぼ皆
無です。
コーナーもS字スラロームもスイ
スイと当たり前のようにこなすし、
「Uターンは難しい」などという
度外れた意味不明な認識を持つ人
などはいません。
1970年代の免許持ちでそういうの
がいたとしたら、それはモグリだ。
多分往時にはバンバン乗ってない
ペーパライダーで、最近ようやく
本当に実地でそっと乗り始めたの
では。

要するに何でも「やり方」です。
ノウハウ。
そして、これはどのスポーツでも
武道でもダンスでも描画でも楽器
演奏でもそうですが、真剣にまっ
すぐに無垢なピュアな気持ちで
真正面から向かえば、必ず人は
それが出来るようになります。
上掲の「4.」が一番大切。

出来るか出来ないかなどは、やり
方を知っているかどうかなだけな
んですよね。
これ、学校の勉強も上記の4項目が
多くはあてはまる。

唯一、出来ない物があります。
それは歌。
歌だけは学習や訓練の密度と表現
力は全く比例しない。
そして、「巧い」人が良い歌を歌う
のではない。
歌だけは持って生まれた才能でし
かない。
ボイトレをこなした人や声楽科を
出た人が人を感動させる歌を歌え
るかというと、全くそんな事はな
い。むしろ歌は「うまく歌おう」
とする人に良い歌を歌う人は少な
い。
だから、ボイトレのコーチの人が
歌う歌は特別感動巨編とかのケース
はほぼ無いでしょ?
歌は上手い下手ではないところに
根幹があるというのを見つめよう
とはしないから。
歌で人を感動させる人は、上掲の
「4.」の世界を持っている人たち
です。
あざとい技巧などは、聴く人が聴
けば即見抜かれる。
こればかりはいくら練習しても
良くはならない。
なぜならば、鉛筆削りやオートバイ
の乗り方のような「技術」では
ない世界に属するものだから。
基本的な技術は必要です。ピッチ
やリズム等の。これは楽器でも。
でも、楽器演奏は、電子プログラ
ムで音源作っても、人間が生演奏
する音には敵わないでしょ?
そこ。歌もそれ。
ミク音声に感動してる世代は感覚
が違うのかも知れませんが。

鉛筆削りや二輪乗りの系統。
これは絶対にサマになる程度には
誰でも上手くなります。
「4.」を持っているのならば。