渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

日本酒 神泉 たれくち

2021年12月20日 | open

新宿時代の大家さんの武術の先輩
から酒2本と麹が届く。
いつもありがたし。

この日本酒、今までの人生で一番
気に入っている。
一番おいしいのでも一番うまいの
でもない。
一番イケる、のである。
別格。
年中飲めないのが残念な日本酒だ。


度数19度。
こんな酒は滅多にない。


勿論、ヒヤで飲む。
ワインも全て生で薄めずに加熱も
せずに飲むでしょう?
ウイスキーもストレートが本物だし。
日本酒も薄めたり加熱したりはし
ないのが王道だ。
私はいつも日本酒はヒヤ。いや、
ヒヤというか冷酒ではなく常温。
ただ、これは生酒で要冷蔵なので
冷やしてはいる。
だが、日本酒は常温が一番だ。
利き酒でも冷酒や燗などは聞いた
事がない。
世界中のありとあらゆる酒はその
まま飲むのが本来だ。
冷やしたり加熱したりはアレンジ
だ。
極めて珍しいこの酒も、素のまま
で接するというそうした杜氏への
礼を以って飲む。
そして、この酒は格別に、イケる。
それがし剣舞を一差し進ぜたい、
となりそうな、そんな味わい。
まことに稀有な酒なりしや。

これはたまたまのラッキーなのだ
が、私は酒が飲める。それもかな
り。
飲めるから世界各地の酒の味を楽
める。
たまたま分解酵素が多く出るのだ
が、それはほんの遺伝的な偶然で
あり、人体的に優性なのでも何で
もない。
そして、この酒が飲める飲めない
は、人として偉くもまずくもなん
ともない。
酒が飲める事を人として優位とする
ような気風や土地柄の場所が全国に
あるが、それはとんでもない事だ。
アルコールの分解酵素があまり出な
い人は酒を飲むと死んでしまう。
酒の無理強いは絶対にいけない。
人殺しのようなものだ。
酒が飲めるか飲めないかで人の価
が決まるなどというのは無いの
だし、酒豪か下戸かで優劣は決ま
らない。
人間、勘違いをしてはいけない。

カジュアルと制服

2021年12月20日 | open

スカジャン最高❗️

ジャンスカ最高‼️



ナイフの携帯方法

2021年12月20日 | open


野外フィールドでは私はいろ
いろ
ナイフの携帯方法を
用いる。
これは太刀のように左腰に大
型を
一丁カンヌキに佩き、
甲冑武者のように右に中型
馬手(めて)差し風に帯び
て、武将とは柄を上下

に装備している。
多徳ナイフはケースに入れて
右腰、
小型ナイフは右ポケッ
トにクリッ
プオンだ。
 
実用性を勘案すると、キャンプ
であ
ろうともフィールドでは
最低4丁が
必要となる。
木片切断用ナイフで食材は切ら
ない。
ナイフは1丁でなんでもこなす
が、
作業で使ったナイフを料
理には使わ
ない。理由は衛生
管理を目的の区別
のため。
ノミや農業鎌や斧でステーキは
切らないでしょ?
 
この文化は古代中国に発し、
包丁
が生まれて食用刃物と
作業刃物、
戦闘刃物を区
別した。
さらに、皿に盛った物を食べ
る時
に切るのではなく、予め
切り刻ん
で食べ易くする食文
化が中国に
登場し、それが日
本で更に進化し
た。
切り刻んだ料理を取るために
紀元
前3000年頃に中国で箸が
発明され、
それが周辺地域に
拡散した。
日本では文献上箸が登場する
時代
は7世紀以降だが、実用
は古墳
時代には既に登場し
ていたと推測でき
る遺跡が
出ている。
3世紀の卑弥呼の時代には大
陸文献
では日本人である倭人
は手掴みで
皿から食べていた
が、壺から
掬う匙はあった
ようだ。また摘む
トング
のような器具も。
なので日本書紀や古事記の神
話に
出てくる川流れの箸とい
うのは
後代の創作である事が
判明する。
 
そして、全世界の中で、食事
の際
に全てを箸のみ使うのは
日本の和
食文化だけの日本固
有の文化だ。
箸文化は日本に於いて中国を
超え
て最高最終段階までの進
化を見た。
また、個人の箸、茶碗等の食
器を
持つ食文化(属人化と呼ぶ)
は日本
固有のものであり、中
国や朝鮮、
東南アジアにもそ
れは存在しない。
よくキャンプというと洋式模
倣で
フォークのみを使う人も
多い。
私は箸を主軸に使う。
簡易的にフォークを使う事も
ある
が、基本的には野外でも
箸を使う。
箸は黒檀箸や金属箸含めて3膳
装備に入れる。割り箸は洗
浄して
の使い回しができない
ので基本的
に使わない。
日本人だから箸を使う。野外
あっても。
戦国時代の合戦場でも、武士
たち
は匙など使わず箸を
いた事だろ
う。たとえ野外
のいわゆる軍事キ
ャンプで
あろうとも。
現代でも、全て洋式ぶらずに、
使い慣れた箸をキャンプであ
って
も使うのが私には無理な
い自然体
に思える。なので箸
を主軸として
いる。モンベル
のキャンプ箸など
は折り畳め
るので便利だ。






箸が主軸だが、フォークも使
う。
箸では刺し箸、ねぶり箸、迷
い箸
はウルトラど無作法なの
でやらな
い。しかしフォーク
は刺すために
ある。簡易な料
理を刺して持つに
は適してい
る。箸は基本的に和食
の為に
存在するもので、洋食想定

無い。故に洋食の時には洋式
食用器具が適している。


こういう物の時にはフォーク
バンバン使う。


要するに固定観念で決めつけ
石頭にはならない。
これ、外メシでは結構大切。
 
箸文化の進化と同時に、日本
では
刃物を目的によって使
い分ける、
という文化が
古代に発生した。
それゆえ、日本は世界一の刃
文化を持つ歴史を刻んで来
る事
ができた。
「なんでもかんでも一緒くた」
日本人はしない。識別し、
弁別し、
区別する。
特に刃物では衛生面から、食
材用
の刃物には専用刃物とし
て他とは
区別された独立刃物
を使う事が望
ましい。
 
用途により、最低限必要な装備
4丁。


このような一般的なベルトへ
吊り方を基本として指導解説
する
書籍やネット情報は多い。
だが、用具の概念化では固定観
での凝り固まりは間違ってい
る。
用途や目的により臨機応変にや
のが実用用具・道具のセオリー
だ。


このようなバックサイドの
ホールド
方法も大ありだ。
昔の侍たちも、崖を登る時
や屈む
時などは刀の柄を後
ろに回して
カンヌキ気味に
差して用を足した。
 
要するに、「これが絶対」と
決め
つけずに、柔軟にその理
(ことわり)
を知的に考えて、臨
機応変に対応
して最大の実効性
を引き寄せるの
が大切で、野
外でのあらゆる活動
はそうし
た視点とスタンスが安全
を確
保し、利便性を担保するので
ある。

 

世界王者の教え

2021年12月20日 | open


ハングフォームを完成させた男。
不世出の世界王者キング・ケニー・
ロバーツはかつてこう言った。
「速く走るためには、遅く走る
事を学べ」

深いですね。
内実は知力を使った物理的な走り
の組み立ての事なのですが、箴言
て実に奥が深い。

剣の心得

2021年12月20日 | open


「観の目強く、見の目弱く」
剣士ならば常識たる遠山の目付け。
この画像は先の全日本大会優勝者、
日本一の剣士の目。
こりゃ飲み会での目(笑
まあ、刀抜く時は、この人は武蔵
五輪書に書かれているのと同じく
目を細めて眉間を締め、穏やか
なるも凛とした目で抜いてます。

剣士の抜刀斬撃の時は歌舞伎みた
いな顔は駄目。
そんな顔はかつていにしえの江戸
期の有力剣士は誰も教えてません。
スーッと澄んだ面持ちにて、顔色
一つ変えずに抜いて斬る。
しかし、眼光のみは鋭い。
抜き即斬、はそれです。
現代でも、できる士は皆それをやっ
ている。

そのあたり、外国人とまるっきり
違いますよね。
外国人はなんというか、戦闘ナイフ
を構えても、ガオーとかギャオー
とかみたいな顔をして威嚇してる
のが大好きで。
あれ、日本人の剣術遣いからした
らマンガにしか見えなくて、です
ね(笑
肉弾戦闘でも日本人は顔色一つ
変えない敵のほうが恐ろしく感
じる。殺気を感じさせないのが
一番怖いし、警戒する。
歌舞伎の顔なんてのは、もうほん
にあれは芝居そのものでして。

そして、対峙した剣戟の場合は、
「外連味(けれんみ)」というのを
見せたら負けます。
ほんのちょっとした顔の筋肉の
動き、手の筋の動きで初動が事前
に判ってしまう。
できる剣士というのはメンタリスト
のようなもので、それを見逃さず
に次の動きが的確に予測できます。
剣でのやりとりは徹底したポーカー
フェイスでないと確実に負ける。
それが証拠には、高校生あたりま
での若年の剣道では、未熟者は
打ち込む前に目の瞼が開きます。
それから発声をして打ち込んで来る。
時間的にはコンマ秒の世界ですが、
動きが読めるのでこちらは絶対に
負けない。
しかし、これが練達者になって
くるとそうはいかない。
一刀流系の鶺鴒の剣先の動きをし
ていても相手は面持ちも崩さず
一切の隙がない。
無論、外人系のガオー、ギャオー
の顔などしません。日本人剣士の
それとなる。
こうなると、剣戟は勝ちの利を得
るのは非常に険しくなる。

そして、刀を抜いてから合わせるの
ではなく、納刀状態から居て合わ
せる抜刀術というのは、現代戦闘
ではいわばCQBであるのだけど、
その初動が相手に読まれたらアウト
なんですよ。
だから、平時となんら変わらない
ところからスッと抜く。
抜き付けながら斬る。構えてから
斬撃するのではなく、最初から斬
る。抜刀=斬撃で斬る。

この平常状態からの瞬時の動きは
一切力を使わない。筋肉をこわば
らせてから動く、という事をしない。
これ、武術の根幹でして、これに
より相手を腕力ではなく下に落と
し伏せる事もできるし、倒れさす
事もできる。
武技というのはオートバイの走行
理論と同じく、すべて物理現象を
いかに効率よく利用するかですの
で、腕力まかせのガオー、ギャオー
のこけおどしは全く通用しないん
です。

この平常状態からの瞬速展開とい
う武芸の根幹の要諦は、現代スポ
ーツでも大いに活用できる。
私は中学の時はバスケの選手でし
たが、そのスタートダッシュでは
「膝抜き」をする事でディフェンス
を抜いてカットインできる。動き
を察知させずに瞬時に速力を出せ
るから。
ポジションはパワーフォワードで
したが、インサイドにもどんどん
切り込んだ。
中学の大会で1試合の私が決めた得
点数が26点になった事もある。
まあ、パス回しのキャプテンの背
番号4番や45度が良いパス出して
くれる職人技だったからというの
もありますが。
要は、ダッシュは武芸の身体使い
を援用していた。

その身体の使い方を後年娘に教え
たのね。剣道で。
そしたら勝つ、勝つ。
広島県代表で2年連続北の丸の武道
館の全国大会に出場してた。
でも全国大会はさすがにツワモノ
が揃っているようで、全日本では
ポコンポコンに負けたみたいだけ
ど(笑
剣道で県代表で2年連続で全国大会
に出られた事は、あの子にとっても
よい経験になったと思う。
昇段試験の日本剣道形は個別自宅
学習として私が稽古をつけた。
一人の形稽古では真剣を持たせた。
木刀では駄目。刃筋が判らないか
ら。
真剣を用いて、どの切りおろし
でも同じ刃音がなるように手ほど
きした。文字通り手を取り手直し
しながら。
模擬刀ではなく真剣を待たせた。
また、刃筋の狂いと手のブレを無
くすためには真剣拵に入れた木製
のツナギを振らせた。
これ思いっきり振って、一切左右
にブレさせず、止めた時にもビヨ
ヨ〜ンとさせないようにするのは
かなりむつかしい。
しかし、やり方を知ればできる。
武芸の根元を思い出すのだ。
それは「力」を使わない事。
そこに刀術の理があり、また武術
の幹がある。
ガオー、ギャオーは駄目なのだ。

花押(かおう)

2021年12月20日 | open


かつて日本人で書面を書いて
自書して提出する者は花押を
誰でも持っていた
江戸期には農村から藩庁に提出
された書面に連名された庄屋は
じめ村の役職にある百姓も名前
(苗字は公的には名乗れないの
で名前のみ)の後に丸に田と書く
ような簡易な花押を記している。
武士は全員が花押を持っていた。
武士と書面は切り離せないので、
武士は高禄の藩重役の上級武士
から下級の足軽に至るまでオリ
ナルの花押を有していた。
幕府の場合は旗本は大名よりも
上位である武家なので当然花押
を持つし、最下級の同心(各藩に
おける足軽に相当)でさえ持って
いた。
武士は読み書きができるのは勿
論の事、学問に通じる事も武士
の素養として幼い時から教育さ
れてきたからだ。

現代では公務員は公務員試験と
いう高校や大学受験のような
学力試験がある。
初級中級上級とあるが、上級試
合格者は官庁等国家機関中枢
就職し、初級中級合格者は地
の行政機関に就職する。
一定の学力がないと公務員には
なれない。民間企業でさえ学力
入社試験がある。基礎学力がな
いと事務系の仕事はできないか
らだ。
かつて郵政が行政の一部であっ
頃は、郵便局員は公務員であ
るので公務員試験に合格しない
と郵便配達さえできなかった。
現代の公務員は学力素養を有し
いないと職に就けない。
官庁職員がほぼ東京大学卒等で
占められているのは、そういう
構造になっているからだ。

それと同じく、江戸期の社会体
は武士は公務員であるので、
学識や知性が要求された。
そして、武士は武芸ができなけ
ばならなかった。
江戸期の幕藩体制確立後は、
武士とは知的階級と同意となっ
た。それまでの鎌倉時代末期か
続いた戦乱の殺し合いの世で
武士などはいわば斬り取り強
盗や山賊や海賊たちと何ら変わ
らぬ野蛮な部族でしかない。
ごく一部の京と通じる高級武士
しか学識や知性を有していない。
武士はことごとく蛮族であった。

江戸期の元和偃武の意味は大き
かった。
単に幕府の統治政策としての
武士の牙抜きとしてだけでは
なく、武士階級全体に学問を
学び、世を治める事の素養の
必要性を準備したからだ。
江戸期に入り武士はようやく
学問を勉強するようになった。
槍や刀を振り回すだけが能の
馬鹿では武士は務まらなくな
った。
当然、江戸期の武士は書が書
けるし、文面も自分自身で考
えるし、花押も自書できる。
戦国時代までのような文字を
読み書きできない武士などは
江戸期には一人もいない。
「できる」ようになるため、
5才あたりから論語の素読に
はじまり、江戸期の武士は学
身につさせられる教育を
受けたからだ。
同時に元服後にしかるべき世
に出て働くための作法として
「躾」を幼少の時から受けた。
これは箸の持ち方から座り方
立ち方歩き方まで無作法では
ないように躾られた。
現代のように帽子を被ったまま
いい大人が外食店舗で飯を食う、
というような現代常識でも外れ
た所作である無作法の非常識は
武家には厳禁だった。
だから、商家などの町人たちの
女子等は武家に行儀見習いとし
て奉公に上がった。
その武士の作法は日本人の礼法
として現代も継続している。
そして武士は己のアイデンティ
ティの象徴として各人が花押を
持っていた。

花押で面白いのは国会議員で、
以前仕事で国立公文書館に調
べ物で行った時、明治初期
らの歴代の閣僚の花押を見た。
人それぞれオリジナリティが
あって花押のデザインは大変
面白い。山縣有朋の花押等、
さまざまな直筆花押実物を見た。
法制史としてのある法の成立期
からの根拠を職務により現物確
認で調べていた。

現代も国会議員は花押を使用
するようだ。
法的に根拠とされない個人の
いわば日本固有のサインである
花押を今も法律行為で使ってい
るという微妙な不整合が、何だ
か面白い。
衆議院議長の時の土井たか子
さんは、見るとハンコでした(笑)。

私は今は上掲の画像の花押は
使っていない。
これは昭和末期から平成10年
頃までの自筆花押だ。
今は別の花押を使っている。
鳥取県で豊臣秀吉の下知文と花押
を見た事がある。
実に見事な青蓮院流の文字と流麗
な花押だった。
あれは秀吉の自筆ではなく、祐筆
が書いた物だろう。
お手本の中のお手本のような文字
と素晴らしい筆致の花押だった。