渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

游雲

2021年12月25日 | open


この景色を見た時、思わず単車を
道の端っこに停めた。
「あ!俺の康宏刀だ!」と思った
から。
暫く、雲が見えなくなるまで歩道
から眺めていた。
私の康宏作は粟田口のようなつんだ
小乱れの刃文に青い地鉄。
そして、その青い地の中にふわふわ
と空に浮いた雲ような飛び焼きが
一箇所ある。
まるでそれは空を楽しむはぐれ雲の
ような游雲。
それが悟空の筋斗雲みたいでかわい
いの。
なので、後銘で「游雲」と号を銘
に切ってもらい再登録した。
作者小林康宏先生は飲んだ時に
「あれは失敗。ごめんね」とサラッ
と言ってた。
失敗かぁ〜い!と思ったが、かわい
いからいいのさ。
気に入ってるし、めちゃくちゃ切れ
る二代目小林康宏斬鉄剣だし。
切れすぎて稽古にならないから刃を
引いて試斬刀法の稽古してたくらい
で。

斬鉄剣康宏は、初代はすべてが
虎徹興里と同じく実験刀のよう
な方向性だったが、二代目の子息
直紀康宏が斬鉄剣を完璧に完成さ
せた。工夫は鍛え方と熱処理方法。
二代目康宏は1988年〜1996年頃
の作と2014年〜現在までの作域
が最も切れる。
長く刀工本人と付き合っていると
よく分かる。
総じて全体的によく切れるが、その
二つの期間の作は切れ過ぎて気持ち
悪いほどに切れる。


柳生石舟斎

2021年12月25日 | open


私は日本の歴史の中で一番好きな
剣士は柳生厳包(としかね/蓮也
1625-1964)だ。
しかし、一番惹かれるのは柳生宗厳
(むねとし-柳生読み-/むねよし-
江戸柳生読み-/石舟斎/1529-
1606)である。
新陰流一国一人の認可を受けた人。
新陰流を創始した上泉伊勢守信綱
(1508-1577)の高弟だ。
信綱は歴史上初めて武士が天覧
演武をして正親町天皇から武蔵守
従四位下を賜った傑物の仁。上野
国の小大名だったが、晩年は剣聖
として天下に名を轟かせた。
信綱の第一の弟子は神後宗治(鈴木
某)だが、生没年不詳の謎の剣士。
豊臣秀次の剣法指南番だったよう
だ。
新陰流四天王の第一人者が来歴
不明なのは今もって謎。
他の三名の高弟は著名で、疋田
文五郎景兼(1537-1605)、奥山
公重(1526-1602)、丸目蔵人
長惠(1540-1629)がいる。
三名とも各地に赴き、流門を
興し、長らく道統は続いた。

柳生の剣を完成させたのは蓮也だ
が、柳生の剣を新陰流としたのは、
悪手悪足を上泉の高弟疋田文五郎
に木剣で打たれて直された石舟斎
からだ。
そして、柳生の剣が特筆的な事は、
柳生本家である尾張柳生の現宗家
(養子)の先代延春氏まで、石舟斎
からずっと血脈が続いていた事だ。
延春氏もその先代の厳長氏も、
江戸期の尾張柳生家の当主の肖像
や江戸柳生の宗矩(但馬守)に顔が
そっくりだ。
たぶん、柳生十兵衛三厳も似た顔
だったのではなかろうか。

血脈道統として剣術流派が現代ま
で存続しているという例は稀有だ。
江戸柳生は養子に次ぐ養子で石舟
斎からの血脈は途絶えている。
尤も江戸期の武家も武士も完全血脈
主義ではなく、「家」という器を
いかに継続させるかに腐心した
システムの中に生きていた。
徳川家の将軍家などもそうで、
無縁の血脈者は後継させないが、
血縁関係者を養子として宗家の
当主としていた。なので大名は
各家で御家騒動が発生する。
次期徳川宗家の当主予定の方は
立憲民主党の議員だった50代の
人だが、徳川宗家の後継者とい
っても、松平容保の血脈子孫だ。

剣の流派の世界では、血統主義は
珍しい。
尾張柳生は、つい先代まで柳生
石舟斎の直系子孫が流派の宗家
(江戸期には尾張徳川家の剣術
指南番)を継続させていた。
これは、日本史の中でも珍しい
例としてある。

柳生というと、とかく但馬守宗矩
や十兵衛や蓮也が有名で人気があ
るが、もっと文芸作品でも石舟斎
を若き日から追う作品があっても
よいのではと私は思う。
大きな足跡を残した歴史的な人だ。
石舟斎の功績は、彼自身の業績より
彼の血脈的後継者たちが世に出て
各方面で大仕事をした、というとこ
ろにある。
柳生石舟斎は、現代風ならば、プロ
ジェクトXのような番組で取り上げ
て掘り下げてもよいような人物で
あるように私には思える。


寒到来

2021年12月25日 | open









寒到来。
どなた様もご注意ください。








剣の理

2021年12月25日 | open



剣の理は鉄馬乗術の理と同じ。
剣の術も鉄馬乗術も根幹の核は
原理、道理、物理に規定されて
いる。
その理を解することを「理解」と
ぶ。
大切な事は、理(ことわり)を解(わか)
るという事だ。
ただし、理(ことわり)を論(あげつ
ら)いする事が「理論」ではない
だが、そこを勘違いしている認知
不覚の者は世の中には多い。
そうなると、心根がダークサイド
に転落するので、出口も見えなけ
ば、行く先に光も見えない。
ただ闇の中で行き場の無い魂が
彷徨うだけだ。
そして、邪(よこしま)な悪事を犯し、
他者への罵詈雑言で己が言霊を汚
(けが)し、それを続ける。
心が清浄ではないので、無限地獄
の汚泥から抜け出せない。


鉄馬乗術の理は剣の理と根源は
一(いつ)なり。
剣は心だ。
心正しからずんば、剣また正し
からず。
其の要諦、鉄馬乗術もまた同じ
なりけり。


見抜く目

2021年12月25日 | open
 
日本刀が見える人、日本刀を知ら
ない人でも芸術に通じている人で
あるならば、この二作の鍔を並べ
たら、見えるものが見えて来る事
だろう。
 
そうした人たちの差異は、物を見
「目」の
問題であり、これは訓
とかでは確実なものは得られない。
視力と同じく、持って生まれたもの
だからだ。眼力とはそうしたもの。
ゆえに、刀が見えない人は一生見え
ないし、芸術に接しても理解の深度
は限界性がある。モノが見えないの
だから。
 
見える人は、この私の拙い鉛筆の
描画からさえも、この拵がどの様
な造りであり、鍔の材質どころか
鍔の流派や作者まで見抜く。


こうした「ものを見抜く目」は生
まれ持ったものに負うところが大
きいが、ある程度の訓練と教育で
ある程度育成する事はできる。
人には持って生まれた長じるもの
の差異が各人にはあるが、ある
一定のレベルまではその能力を
引き上げる事が可能だ。
特に芸術的な素養については。
それは、幼い頃から、多くの音楽
を聴き、また、多くの絵を実見して、
そして多くの文章と物語に接し、
多くの芸術作品に触れるという情
操教育を受ける事だ。
ものが見える見えないの根幹にある
のは、情操なのである。

彫り

2021年12月25日 | open
 


私が作った武用刀剣用の鉄目釘。
滑り止め笹模様の彫り入り。
なました鉄を旋盤でコンマミリ
単位の精度で加工。この後、防
錆の為に黒で色あげして依頼者
に渡した。




この特製鉄目釘の彫りは脱落防止
の食い込みの実用性を付与する為
に鑽(たがね)枕を立たせている。
彫りには彫金用の鑽は使ってい
ない。
銘切り鑽を独自に研いで刃先を
造形させて使用した。
ツルツルの鉄目釘は脱落の危険性
があるので要注意。
私は刀工小林康宏作品直営工房
日本刀探求舎鍛人(かぬち)の
法を引き継ぐ者として、日本刀
探求苑游雲会の一人としてこの
鉄目釘を製作した。
丸棒のブランクのベースは自動車
製造メーカーの生産工場で使用
ている鋼材で私が厳選して
調達、
私が焼きなましをして調質
した。
旋盤加工の細部工程はプロの熟練
旋盤工が目黒区内の工房で加工し
た。彫りと色あげは完全に全行程
私の手。


打ち込み予定の康宏刀身の穴の実
寸から適切な数値を割り出して設
計したのも私。


タガネは良く切れるように専門的
に私が研いだ。ベタ研ぎでは鉄を
切る鑽の刃先は形成できない。
特殊な知識と研ぎの技術が要る。
彫り物は彫りだけ出来ても駄目
だ。
刃物を任意に狙った通りに研ぎ
上げ
技術が無いと仕事になら
ない。
 
刀などの銘切りは専用の銘切り
タガネでなくとも代用できる。
特殊鋼のドリルでさえも、それ用
に研ぎ上げれば刀銘は切れる。
刀の銘は彫るのではなく「切る」
のである。
彫金のように掘って、彫りクズ
捨ててはいないので、鑽跡を
寄せ
て埋めて鑢(やすり)で均せ
ば刀の銘
は無銘になる。
それに時代錆を巧くつけたら無銘刀
のナカゴとなるが、賢者には容易く
見破られる。刀剣工作での邪な悪事
はよくない。



鉄鍔 猪の目透かし

2021年12月25日 | open


刀友の鍔。
これ、いいね〜。
猪の目に雪波。
外周は雪輪の紋を彷彿させるシル
エットで鉄地波を丸毛彫り。
号「雪波」と命名してもよい感じ
の雅味ある意匠だ。
思うに、日本人の芸術的センスと
いうのは、世界史的に見ても古代
からの芸術の国イタリアに並ぶと
思う。感嘆する。

猪の目については、こちらもどう
ぞ。私の記事ですが。


日本剣術の発祥地

2021年12月25日 | open


愛洲移香斎と若き日の上泉信綱は
小舟の上で葦(あし/よし)の茎を
木刀代わりに太刀運びの稽古を
したとの伝承がある。

多分、小刀で穂を落として用いた
事だろう。

稲科の葦は日本国中どこでも生え
いる。吉原なども葦原が語源だ。
古語のアシは悪しの忌意に通じる
ので後年ヨシ読みが発生した。
佳字(嘉字)の吉に通じるためだ。

愛洲と上泉の伝説が真実ならば、
波無き内水面を行く小舟と考え
られる。
ラインくだりのような激流では
あるまい。
場所は水郷地区か。
日本の剣術史の源のエリアだ。
位置的には、なんとなく、北浦
でも霞ヶ浦でまなく、外浪逆浦
のような気もする。

外浪逆浦。
そとな さかうら。
外浪と書いて「そとな」と読ませる。
何だか剣術の業名のようだ。
ありそう(笑
「外浪」
「逆浦」
というのが。

木剣でバチバチ力任せに打ち合う
のが剣術稽古かと勘違いしている
としたら、その思考法と発想力は
凡夫の域を超える事はない。
葦簀(よしず)の葦よりも折れやすく
曲がりやすい生の葦の細い茎で、
刀法の基本である運刀の神妙なる
要諦を稽古したのが剣聖二者なの
である。
剣の理は稚拙な人間の妄想固執を
一切寄せ付けない。
理は不明より先立つ。
その理を解する者が聖域に達する。
而して剣の理は天の理なり。
剣理神妙。これに尽きる。



横切り

2021年12月25日 | open


刀での斬撃は、一切、力任せには
振らない。
横切りもブーンではなくプッと切る。
 
逆胴横薙ぎ (1993年)
 
袈裟や真っ向もブーンではなく、
徐々に加速してピュッと切る。


この日本刀の使い方は、他の刃物
とは全く身体運用と理論が異なる。
抜刀斬撃が「序破急」であるよう
に、真っ向も袈裟も逆袈裟も横薙ぎ
も、日本刀での全ての斬撃は序破急
で行なう。
最初からホイルスピンをさせての
スタートではなく、徐々に加速し
て敵の斬撃部位の直前でマックス
になる。
斬切後はすぐに勢いを収束させる
抜重操作をする。
エアが圧縮されて物が止まるよう
な感じの動きを作り出す。
 
振る稽古は樋がある刀身が判断
しやすい。
ドビューッという長い音をさせて
いる振り方は、どんなに派手な音
をさせていてもてんで駄目。全く
それでは切れない。
敵の斬撃部位の手前で短くビュッ
と鳴るのが正しい斬刀法での音だ。
ブーンは論外だが、刀を使うエア
切りの試合人がよくやる長い音で
ドビシューーーッというのは、刀
の実戦刀法とは大きく乖離してい
る。お芝居じゃないんだから。
 
全ては「力」によっては出来ない。
振りもそうだが、刀を力で急に止
めようとすると、それは走行中の
クルマが壁に激突するようなもの
で、刀も人体もただでは済まない。
練習のやり方はある。
曲がりやすい傘を使って、思い切り
の勢いで刀で切るように振るのだ。
そして、水平に止める。
この時、一切傘の軸が折れ曲がら
ないような振り方を覚える。
ゆっくり振るのはだめ。
刀で切るように勢いよく振る。
そして、ぶれずにビタリと止める。
細い軸は一切曲げないように。
出来るようになると「抜重」は
できている。斬撃の振り方も出来
ている。
斬撃までが序破急となり、切った
直後も短い区間で慣性を完全に徐々
に殺す刀法が実行できている筈だ。
 
そして、嘘を見抜く事。
刀は円運動では切らないし、切れな
い。円運動はブーンになるからだ。
切先と刀線はスクエアの軌跡を描
くのである。
そして切開ではない時の刀法、つま
り切断目的の刀法では、斬切区間で
はギロチンのような動きになる。
 
(「刀法」を使えば刃引き刀でも
畳表は切断できる。これは刃引き
刀による稽古の画像。しかも畳表
は台に刺してはおらず、水平切り
した畳表の上に置いている「置き
斬」である。力ではなく刀法を使
う事により可能となる。踊りでな
ない実戦剣戟ではこの刀法の技術
の習得は必須だ)


いずれにしても、刀法における刀の
運刀方法は、肘と肩と肩甲骨を円滑
に最大に使う。それと手の内。
私の師匠はそれを「パンタグラフ
理論」と呼んでいた。
簡単ではない。
奥は限りなく深い。
 
 

オイル交換

2021年12月25日 | open
 
ここ、いい感じでしょ?
こないだ走っててめっけた。
うちの近所なの。
 
前回交換してから1500kmを
過ぎから、オイルとエレ
メントを
交換すっかな。
今?
しっかりと、寒い。
それが季節だから。




 

クリスマスケーキ

2021年12月25日 | open
 
クリスマスケーキを食べる。
ここのお店のケーキ、市内で一番
美味しいと感じる。
市内の全部のケーキ屋さんのケー
キを食べた訳ではないけれど、
今まで食べた市内のケーキ屋さん
では、ここのケーキが美味しいと
感じる。
妻子はこの店のケーキファンだが、
るほど確かに美味しい。
 
トリさんもいただきます。


きょうはケーキ食べたり美味しい物
食べたり、赤プリ泊まったりするの
が目的の日ではないんだけどね。