渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

長距離歩行

2022年02月05日 | open


死んだタップを店内で交換して
再び長距離歩行。
今、12時間歩いている。



夜食を摂った。
まだまだ歩く。




クリームソーダ

2022年02月05日 | open


クリームソーダを飲む日。



14.1全米オープン(2000年)

2022年02月05日 | open

Mike SIGEL vs. Nick VARNER
2000 US OPEN 14.1 CHAMPIONSHIPS
(w/exclusive interview at end)


2000年度全米オープン14.1ラック。
マイク・シーゲル対ニック・バーナー。




スタンショット

2022年02月05日 | open

 
最近は手玉を無回転に近い状態で
的玉にヒットをさせる特殊な撞き
方は「スタンショット」と呼ぶ
たい。
これは撞き方によるもので、昔で
言うところの「重い玉」。
撞点は真ん中に近く、キューを出し
過ぎず、パン!と撞く撞き方。
マイク・シーゲルなどは典型的な
スタンショットスタイルだった。
あと、ウィリー・モスコーニも。
一方、キュー出しを長く取って
引き
のスピンを乗らせる撞き方は、
最近
では「スクリュー」と呼ぶら
しい。
 
なんてのか、スヌーカーの理論
大分ポケットにも流用されはじめ
た模様。
ただ、スタンショットもスクリュー
ショットも、昔からある撞き方で、
上級者は皆どちらも使っていた。
振り分けとすれば、細かい手玉の
出しと止めにはスタンショットは
かなり有効で、これは知られてい
る事なので玉撞きができる人は呼
称は知らずとも使っていた。
特に14.1ラックなどでは手玉の
細かい動きと繊細な移動が重要な
ので、今で言うスタンショットが
多用されてきた。
撞点を真ん中近くに取っても十分
に押し引きできるし、むしろ、中
心近くなると押しても引いても
その分タップが乗るのでよりトルク
のある玉となる。
それゆえ、今で言うスタンショット
で押し引きすると、撞点が真ん中
近くなのに玉が切れる。
昔で言う「キューの玉離れのいい
キュー=良いキュー」という概念
に少し近い。玉を押し出すのでは
なく「撞く」という撞き方。クン!
という感じで。
軽く叩くトン撞きとも違う。
 
スタンショットはセンターショット
をした時のミスショットで手玉が
ビタ止めにならずに少し前に
出たり
引けたりした時が、それ
がスタン
ショットの撞き方を
期せずして為し
たとみていい
かと思う。
その手玉の動きを意識的に制御下
に置いてキューさばきをする撞き
方を最近ではスタンショットとい
う概念化で類別して、様々な撞き
方の中でのそれを細分化して使い
分けようという傾向があるよう
だ。
呼び方を確定するだけではなく、
多分、不明瞭な事を明確にして、
意思として選択する幅をもたせよ
うとするスポーツ理論的な思潮か
と思う。
 
こうした意識性を持つ事による
「何を自分がやっているのか」
「何をやろうとしているのか」
という検証と目的の定めは、実行
力なくしては成立しない撞球の
種目に、従前よりも解析的見地
で一歩踏み込んだもので、私は
個人的にはこうした傾向性は好ま
しいと思える。
 
「難しい事はどうでもいいんだよ、
玉は入れさえすれば」という向き
には無関係な現代潮流だろう。
だが、それは例えばオートバイ
ロードレースで「速ければ
いいん
だよ、速く走れば」と
かい
う視点
と同じで、何がどう
なって
いて何
をどうすればどう
なるか
という事
を分析しない
姿勢と同じなので、
ある程度の
気合いだけでできてた
領域止まり
で、そのうち限界が来
かと思う。
最近、ポケットビリヤード界にみ
られるこのような概念の類別細分
化や実際の撞き方の違いの把握は
私はスポーツを人間が行なう運動
として人間学的観点から科学する
という点において、とても良い傾
向かと思う。
 
ただ、単語は新語だが、実体は
新しいものではなく、これまで
昔から多くのプレーヤーに使われ
て来たテクニックではある。
簡単に言うと、「撞点の違いから
ではなく、ショットのやり方の
違いによって的玉をシュートし
ながら手玉をコントロールする
方法」といえる。
上下左右のスピンで手玉を動かす
のではなく、撞き方の違いで動か
すやり方。
「キューを置きに行く」とも異な
る短いキュー出しでスタンショット
は行なわれる。
どちらかというとパッチン撞きの
ようなイメージ。コン!コン!と
やるやつ。山崎ハコだな(笑)。
ギュインギュイン系ではない撞き
方。
これ、機械では再現できない撞き方
ではなかろうか。
実は日本刀での実際の「切り」に
非常に共通部分がある。

2022年02月05日 | open


ごっつう寒い思たら雪ですやん。

路面凍ってますやん。
あっぶな〜。




タップ=TIP

2022年02月05日 | open



ビリヤードのキュー先のタップ
というパーツは、人それぞれ
好みがある。
また、キューによって合う合わ
ないもある。
これは同じ人間が撞いていても。
AというキューにA’というタップ
がドンピシャであっても、Bとい
うキューにはA’はまったくマッチ
せずにB’というタップが合って
いたりすることもある。

それらはすべて人の感覚なので、
人によって異なるし、あるタップ
がどのキューにも合うかというと
そんなことはない。
キュー特性やそれを使う人の撞き
方によってタップ選択は絞り込み
されて行く。

積層タップは個体差の幅が狭く、
総合的には良いタップになって
来た。
登場し始めの頃は薄い積層革を
重ねて接着している接着剤が良く
なくて、撞き味と打感は良好では
なかったが、運営者が変わった
り製造方針が変更されたりした
積層タップはかつての昔のよう
なネガ部分はほぼ解消されている。

それでも一枚革は積層よりも優位
な点も多いのだが、現在良質の
一枚革タップがほぼ消滅しかけて
いる。
だからこそ積層タップが発明され
たのだが。
ウォーターバッファローやTADの
二枚ではなく一枚物タップなどは
最高に良かった。
私は硬めのタップが好みだが、
やはりそれもキューによる。




ストレート・プール

2022年02月05日 | open

Efren Reyes creative straight pool


ポケット・ビリヤードの中では
私は一番ストレート・プールが
好きだ。



謎のキュー(2013記事再掲/部分編集)

2022年02月05日 | open


私の Pr というキューメーカー。

イリノイ州のペンレイ社が80年代
初期から中期に販売していたキュー。
まだ日本企業として独立前のアダム

が製造したとの米国内情報もある
が、台湾製であるとも云われ、詳
細は不明だ。
だが、ペンレイ社のブランドで
販売されていた事は確実だ。
エンドキャップは一見デルリン
に見えるが、デルリンではない。



オールドタイプなのでクリア
にはウレタンではなくラッカー
を使っている。

ラッカー特有の黄変が進んでいる。
バラブシュカやその後継者の
タスカレラ、そのバラブシュカ
にハギを提供していたザンボッ
ティのようにエンドキャップの
ゴムの飲み込みが深くない。
どちらかというと原初的な
ハーマン・ランボウタイプと
いえる。
1960年頃にはこのような飲み
込みが浅いエンド形状がよく
採用されていた。
ただしバラブシュカには3種類
ほどのエンドの形状があり、
このprのような飲み込みがない
構造の物はウィリーホッペ・
スタイルに多く見られるようだ。

一番左がホッペスタイル(バラブシュカ)

映画『ハスラー』などでは、相手
を褒めたたえる時には、ゴムバン
パーを着けていないキュー尻で
床をゴンゴンゴンと叩いていた。
この慣習は東京の古いプレーヤー
の間には1980年代中期には残っ
ていて、私がナイスショットを
した時に周りでドンドンドンと
一斉に音がしたので驚いた。
pr キューはバンパゴムを咥える
形状は現在のメーカーでいうと
ゴム飲み込みが浅いアーニー・
ギュテレスのジナキューのタイプ
に似ている。

だが、ジナの場合はバットスリ
ーブの木材を突き通しにはして
いない。


ジナキューのエンド構造



バットスリーブの構造を見る限り、
私の謎のキューは、タッドとジナの
両者の内部構造を取り入れている
ことが判る。
ただし、Prキューはスリーブの
外周材をチクワとしては用いて
おらず、スリーブ材一本物で、
バットエンドのキャップを突き
通してバンパゴムにまで接触する
ような構造にしてある。↓

カスタムキュービルダーがバット
スリーブを横切りの分割構造にして、
さらにスリーブ外周をチクワの筒材
にして芯材に抱かせているのには
様々な理由がある。
まず第一に重量の問題がある。
色の濃い銘木は比重が高い物が多く、
グリップ後方の重量が増えすぎて
しまうのでチクワの中空にして
メイプル等に被せるようにする。
そして、黒檀やローズやココボロ
などの硬木の打感は実はあまり
良い物とはいえず、メイプル材
の粘って芯がある打感には及ば
ない。だからチクワ構造して芯材
をメイプルとすると打感も向上し、
重量調整できるので、一石二鳥
なのである。

バット全体をフォアアーム、
グリップ部分、バットスリー
ブと三分割してそれらを連結
させている構造を選択している
のは、これは単純に曲がり防止
のためといえる。木材はどんな
に時間をかけて乾燥させても、
大気がある限り曲がろうとする。
たった70センチのバットの丸棒
といえども、木材である限り
曲がっていく。それを少しでも
防止するために分割構造にして
木ネジもしくは金属ネジで強固
に連結しているのである。

しかし、タッドのプレーン
(一本木)のキューの中には、
バット全体がジョイントから
バンパーゴムのところまで一本
の木だけで作られている物も
ある。私のTADジョー・バルシス・
モデルもバットは一本で貫かれ
ている。
曲がりはほとんど生じていない。
従って打感はすこぶるダイレクト
にしてしなやかだ。
こういう構造は特殊なケースで、
よほど良い材を年月かけて乾燥
させた物を使わないと曲がって
しまう。一般的なTADのプレー
ンはやはり三分割にしてあり、
グリップ部分にはラミネート
材を用いていることが多い。
そうそう一本通しの曲がらない
バーズアイメイプル材が取れな
いからだ。

ビリヤードキューのバットは、
グリップから後ろのスリーブ
構造ひとつとっても、ビルダー
各人の考え抜かれた細かい工夫
が詰め込まれているのである。
ただの木の棒ではない。
ただの棒で作れるならばそれが
性能上はベストなのであるが、
曲がり易いことと、銘木による
美観を加味することが捨象さ
れるので、バットは構造化さ
せて曲がりを防止し、美観と
打感を確保しているのである。
ハギについても元々は曲がり
防止のために本ハギのフルス
プライスが導入されたのである。
ただし、現在フルスプライス
はほとんど見られず、バット
のうちグリップから上のフォア
アーム部分のみにハギを入れる
ショートスプライスが主流と
なっている。
フルスプライスとはハギの下
の部分がバットエンドまでが
一本物となっている構造のもの
をいう。
ブランズウイック・タイトリス
トのフルスプライスを切断して
グリップ上にリングを入れて
フォアアームをショートスプラ
イスとしたのはバラブシュカだ
が、彼によりハギは本来の剛性
芯材としての役目を終え、デザ
イン上の目的が強くなった。
その後、タッドやリチャード・
ブラックはハギ構造ではなく
インレイによって剣ハギの
デザインを施すようになった。
ただ、インレイなので、場合
によっては剥がれることもあ
る。私はかつてリチャードブ
ラックのハギ形インレイの剣
部分が浮いてきてしまった個
体を1980年代に目撃した。
当時はブラックのハギがイン
レイだなどとは誰も知りもし
なかったので、周囲はかなり
驚いていた。剣先が尖った
物で、見た目がまったく本
ハギと変わらないハギをTAD
もブラックも施すので、本ハギ
であるかインレイであるか外
見上から判断はできない。
もっとも、本ハギのショート
スプライスであっても、
「彫り込みの深いインレイの
出っ張った部材を削った物」
とすることもできるので、
狭義においてはハギとインレイ
は区別しているが、大局では
同じような「埋め込み張り
合わせ」であることに変わり
はない。

本ハギのフルサプライス


フルスプライスは両手の指を
広げて合体させるように合わ
せて接着する。



本ハギのショートスプライス

深いくぼみを彫ったフォアアーム
材に剣とベニアを埋めて接着し、
全体を丸く削る。

インレイ

彫り込んだフォアアーム材にあら
かじめ同じ形で作った別材を嵌め
込んで全体を丸く削る。いわゆる
象嵌。


ジナキューの作者アーニー・ギュ
テレスは1941年生まれの現在80歳
だ。

今なお現役だし、バリバリのバイ
ク(ヤマハ)乗りでもある。週一
のツーリングは欠かさない。

毎朝5時に起き、規則正しく仕事
をし、食事も節制して健康管理
に留意している。そして今も繊細
かつ力強いキューを作っている。

自己管理と節制ができる不屈の
精神をもった職人である。


アメリカンキュービルダーの
大御所が集まった画像。(2013)


戦後第一世代とも呼ぶべき
大御所が勢ぞろいした。

左から
ビル・シック
アーニー・ギュテレス(ジナキュー)
タッド・コハラ

リチャード・ブラック
ビル・ストラウド(ジョス・ウエスト)

ここにJossのダン・ジェーンズ
とバート・シュレーガーが加わ
ったら、

まさに7人の大御所という感じ
になる。しかし、シュレーガー
は2011年に亡くなった。
タッドさんもこの写真撮影の時
には84歳を過ぎて歩けず、移動
は車椅子の状態だった。
2008年か2009年にガンの手術
をして、放射線治療ために足
がすっかり弱ってしまったのだ
という。
そして2013年秋にコハラさんは
亡くなった。

アメリカのキュー職人に共通
すること、それは誰もが皆体格
が良いことだ。

痩せた小男という人はほとんど
いない。

ガス・ザンボッティはかなり
背が低かったがでっぷりとし
ていたし、息子のバリー・ザン
ボッティなどはプロレスラーの
ようだ。

戦後第二世代と呼べるティム・
スクラッグスにしてもポール・
モッティにしても、第三世代
といえるショウマンにしても
ニッティにしても皆が巨漢で
ある。

ブラック・ボアを作っている
アンソニーとサウス・ウエスト
のジェリーくらいではなかろう
か、痩せているキュー職人は。
大抵はファッツというか体格
が良い。


作業をするジナキューのギュテレス


1本日本円で300万円くらいする
ファンシーなキューを作るアー
ニーだが、最初の頃はやはり
ブランズウィックのタイトリスト

のコンバージョンを手掛けていた。

ファンシーではないオーソドッ
クスな四剣ハギもアーニーは
得意である。

これなどは何から何まで私の
求めるスタイルにドンピシャだ。









美しい。美しすぎる。
一つの私的理想形。

アーニーは自分の名前も女性
みたいだが、ジナキューとい
うブランド名は32歳のときに
生まれた愛娘の名前から取っ
ている。

アーニーは1961年の20歳の時
からキューを作っているが、
娘のジナが生まれたのは1973
年だから、12年間は本名で
キューを作っていたことに

なる。
一時期子育てのためにキュー
作りから引退し、子どもと
一緒の時間を作るために家族
で暮らした。その間、マリン
スポーツをしつつモーター

ボートの修理をしたりして
生計を立てていたが、ほとん
ど趣味に生き家族と共に過ご
していた期間といっていいだ
ろう。

それが1988年頃まで続いた。
だから空白の10数年の間に、
ジナキューは伝説のキュー
となっていた。

ある意味、バラブシュカより
も伝説化されていた。
そのキュー作り停止前に作ら
れたジナキューは「ファースト・
ジェネレーション」と呼ばれ
て珍重されている。ただし、
初期モデルはトラブルも多い
らしい。

娘が成人(18歳)に近づく頃
と同時にアーニーはキュー製作
の世界にカムバックし、ラス
プーチンと呼ばれる超絶ファ
ンシーキューを発表した。
完成度の高さに誰もが瞠目した。



現物を手に取って見たことが
あるが、「どうやってこれを
作るの?」という感じだった。
完成度が高いというか隙が
まったくない。
ところが、アーニーはこの
ような自作ファンシーキュー
でガンガンプレーをする。

一般的にはコレクターズアイ
テムとして数寄者に買い漁ら
れてガラスケースに入れられ
てしまうのだが、それを否定
するかのようにアーニーは
キューを使う。
さらに、90年頃のコア構造
の採用により、彼の作品は
プレーアビリティーにおい
ても、「道具としての曲が
りと重量の制御」においても、
至高の域に向けて昇華し続け
る段階に入った。

アーニーの工房にはヤマハ
の偉大な世界王者ケニー・
ロバーツの大写真が貼って
ある。ヤマハが好きなのだ
ろう。自らバイクもいじる。

ヤマハの市販車は何台も持っ
ている。バイク乗りにバイク
を飾るのを趣味とするコレ
クターは少ない。

ビリヤードのキューや日本刀
はただ見るためだけ(あるい
は所有欲を満たしたいだけ)
のために作品を買い求める
人たちがいるが、アーニー

やタッドはそれを拒否して
いるかのようにキューに接し
ている。



これ、私のあくまで動物的な
業界筋の勘なのだけど、この
おっちゃん、傭兵やってたか
中南米とかでそちら方面とか
に過去に関わってなかったろ
うか。あくまで私的な勘でしか
ないけど。
なんとな~く、そういう臭い
がする。判る奴は判る、みたい
な。

そういえば、私のこの詳細不明
の Pr Cue もジナキューのよう
なリングワークに見えてきたよ(笑


ジナキュー(タイトリスト・コンバージョン)




私の Pr キュー

ちょっと違うか(笑

旋盤を使わなくとも、タップは
このようにピシッと着けて削る
ことができます。


サイドカットはカッターの刃だ
けを使ってかつら剥きにしていく。

オールドチャンピオンのタップ
はこのように座にジャーマング
レーのファイバーが入ってたん
だけどね~。今はもうない。
どんなに良いタップでもタイヤ
と同じで消耗品なので仕方がな
い。
タイヤも例えば「85年のミシュ
ランは最高だったぜ」なんて
言っても、時間とともにタイヤ
は風邪引く(業界用語)し、
タップも経年変化で駄目になる
ことが多い。(密閉保管だと
そうでもないみたいです。
モーリのような浅田飴みたいな
カンカンに入れて箱売りという
のは正解かと思う)

技を出すための道具はいつも
手入れをしておかないとプレー
に支障が出る。
これは使う道具はすべてそう