渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

良音のするキュー

2022年02月10日 | open

私の手元には澄んだ高い良い音の
するキューが何本かある。
 
まずは第一はこれ。
ボブ・ランデの手による初期の
ショーン#21チューリップウッド。
日本にはこの1本しか存在しない。
アメリカから持って来た個体。
1983年製。インレイハギの先端
が丸いパンタマシン加工の最初の
作。
クィーンと澄んだ高い抜けるよう
な良音がする。撞いていてと
ても
気持ち良い。


次はこれ。ブラジリアンローズ
ウッドで作った87ヘルムステッ
ターコンバージョンモデル。私
のオリジナルデザイン。
キュィーン、コーンと80年代の
カスタムJOSSと同じ音がする。
マイク・シーゲルやニック・バ
ーナーが使っていたJOSSと同じ
音。


それから絶対に外せないこれ。
1997年製TAD#1500番台。
ズピューンという和音の心地良い
清涼音がする。



これは私のオリジナルキュー。





クォーンという澄み切った音が
する。時にキン!に近い。
実に良音。自分だけでなく、周囲
の人にもそれは認知できるようで、
快音を指摘する。


そして、これだ。
これはアダムのバラブシュカリイ
シューモデルで、バラブシュカの
遺族から許可を貰って日本のアダ
ムが作ったイメージコピーモデル
で、そのラインモデルG5。

手を加えてある。
エンドキャップを別樹脂に交換。

糸巻きはTAD標準の細めの白緑に。


シャフトは私のオリジナルテーパー
に全体を削り直し。


先角はLBM(リネンベースメラミン)
かつ私が開発した内部構造の物に
交換。


ハギは標準のままで、緑と蜜柑色
の湘南電車カラー。

このキュー、これまた頗る良音が
する。
最初ノーマルではキーン!という
人も驚く金属音だったが、改造し
たらクォーンという音に変化した。
ただし、今でも良音。
そして、このキューはプレーキュ
ーとしても能力がとても高い。
 
褒めてくれよ ブルーアイズ細めて
芝生の下で 眠っていずに
のキュー。
これも良音。すこし曇りあるが、
それでも音は良い。


手放したキューから。
リチャード・ブラックのブシュカ。
これはボンボン音だった。良くない。


ポール・モッティのザンボッティ
モデル。
これはそこそこ快音。
クゥーンという音。木琴の低い
キーを叩いたような音。
 
思うにビリヤードのキューの音質
の違いは、材料の違い、構造の違い
よりも、個体差に負う部分がかなり
を占めると思われる。
それは木材の密度だったり、パーツ
との圧着度合いだったり。
もちろん、銘木は硬木でもあり、
材料状態で叩くとキンキンと音が
する物が多い。
故にトーンウッドと呼ばれている。
しかし、そうした木琴のような音
を発する材料であっても、その木
ごとに個体差があり、また、組み
立てのごく僅かな精密さの違いに
より、澄んだ抜ける高音がするか、
あるいはボンボン音になるかに分
かれてくる。これは経験上間違い
ない。
 
それと、シャフトがどんなシャフト
であるかも大きく音質に影響する。
どんなとは種類ではなく、その木
ごとの個体差の事だ。
そして、大抵、ソリッドシャフトの
場合、良音がするシャフトはアタリ
のシャフトである事が多い。
ソリッドシャフトのみを並べて、
空中にぶら下げて爪の背で軽く
弾くように叩いてみるといい。
全て音階と音質が異なるから。
この時、高い音がする個体は木の
目が密であり、バットと組んだら
良音を発するケースが多い。
そして、これは年輪の密度は関係
ない。個体差は年輪の密度、製材
された時点の木の生育年数とは
関係がない。別な要素に拠る。
 
キューの良音はなぜ存在するか。
その理由は多岐に亘るので説明
しきれないが、一つはっきりし
ているのは、「木の密度の違い」
としか言えない。
あと先角が象牙だったりLBMだ
ったりしたら、音は高くなるが、
音程の高低だけでなく、音質の
透き通るようなタイプがなぜ生
まれるのかという点については、
「良音」は木の密度による、と
まず断言できる。その要素が一番
要因のトップに来る。
ギターと同じで、こればかりは、
実際に撞いてみないと判断でき
ない。

本棚

2022年02月10日 | open


こういう本棚欲しいなあ。
一体どこに置くんだ?てな話では
あるのだが。

昭和のビリヤード

2022年02月10日 | open


昭和初期は日本近代化の揺籃期
だった。
銀座にはモボ(モダンボーイ)や
モガ(モダンガール)で溢れ、
まるでフランス映画から抜け出
来たようなシティボーイやガ
ールが都市部にはいた。
都会ではカフェが大流行し、
ダンスホールではジャズも流れ
た。

東京では、辻を曲がれば撞球場、
という程に小規模店舗の玉突屋
があった。
そこで働く女給さんはカウント
さんと呼ばれた。
客の点数を声を出してカウント
して点数記録をする女性だ。
台の清掃、玉磨きもやる。
カウントは「ふたじゅうろく、
ふたじゅうなな・・・」という
ように読み上げた。
競技は四つ球。
ポケットは戦後からだ。
四つ玉は9フィート台で4個の紅白
ボールを使う。
対戦者と互いの手玉を決めて、
自分が撞く時には他の3個が的玉
となり、白赤1点、赤赤3点、白
赤赤で5点だった。これは戦後の
昭和末期にすべて1点となった。
巧者は3個のボールをレールぎわ
寄せてセリーという三角を崩さ
ない撞き方ですぐに持ち点の120
なり300なり600なりをノーミス
で撞き切ってしまう。
そのため、難易度を上げるために
四隅と真ん中に四角い枠線を引い
て、そこのエリアでは一度手玉を
外に出してからのヒットでないと
得点とはしないボークラインが
生まれた。
だが、ボークラインが出てからも
上級者はノーミスで撞き切ってし
まう。
そうした上級者たちは10フィート
テーブルで3つの玉に当たるまで
に3回以上手玉がクッションに
入らないとならないスリークッシ
ョンに移行した。
スリークッションはベルギーの
国技だが、世界一難易度の高い
撞球種目だ。
日本では圧倒的に四つ球が人気
だった歴史があるが、戦後昭和
時代には日本人で世界初のスリー
クッションの世界チャンピオン
が誕生した。それが小林伸明氏
だった。
彼は言う。
「キューは武士の刀と一緒だ」
と。
映画『道頓堀川』では技術指導
を行ない、映画の中でも、ゆき
のビリヤード場で奥で玉を撞く
人としてカメオ出演している。
「ママ。勘定してんか」という
台詞まである。

小林伸明プロ(1942-2019)
1971〜1974 全日本チャンピオン
1974 世界チャンピオン
1984 世界チャンピオン
1986 ワールドカップ優勝
スリークッションの神と呼ばれ
12回連続世界チャンピオンを
狙うレイモンド・クールマンス
を破った唯一の日本人。
世界に「日本の小林、世界の小林」
を知らしめた歴史的な偉人。

点数算盤の前の女性二人がカウン
トさん。
美人さんや気立ての良い若い女の
子をそろえると看板娘となって
店が繁盛するので、玉屋ではどこ
も可愛らしいカウントさんを雇用
していた。


みみっちい世の中

2022年02月10日 | open




未成年のガキが女湯覗いただけで
退学(笑
しかも、排水口を見たりしただけ。
学校側もみみっちければ、生徒と
親も心得違い甚だしい。
不届きな悪戯については、「こら!
もう二度とするな!バカモン!」
でお灸をすえて済む事だ。
てめえらの教育指導の失敗を棚に
上げて排除で済ます学校側は最低。
その後の教育指導を進路変更で
排外する。
腐れ先公の典型だね、こりゃ。
生徒と親も馬鹿こけ、だ。
退学になったなら、大検取って
学力勝負で試験のみで大学に行け
よ。本気で行きたいならば。

まあ、学校側も親も生徒も、心得
違い大集合で笑える裁判だぜ、こ
れは。
いかにも現代風の中身カラッポで
しおしおのパァだね。
こんな案件、提訴で係争受理する
程裁判所は暇じゃないんだよな、
ホントのとこは。


NHK銀河テレビ小説『道頓堀川』(1982)

2022年02月10日 | open

TADのウッチーのサイトから。

名作小説『道頓堀川』(1981)は
上梓されてすぐに映像化が成され
れた。ひとつは映画、ひとつは
連続テレビドラマ。
原作世界の再現性、映像作品性
としては、テレビドラマのほう
が圧倒的に良い、というのが世間
での下馬評だった。
映画版は完全にオリジナルストー
リーのような作りであるので、
原作者と映画監督がかなり揉め
たという事がDVD版のプロデュー
サーがインタビューで語ってい
た。
ただし、宮本輝の小説『泥の河』
は、映画作品は最高傑作だ。
私は映画館で呆然となった。
映画製作の世界に入る事を観て
やめた。
こんな写真が撮れる奴がいるのか、
と。

『道頓堀川』の銀河テレビ小説
のドラマ版は私は未見だ。
まち子の役を辺見マリが演じて
いる。当時31才だ。
もうね、若い頃の辺見マリさん
は可愛くて妖艶過ぎた。
娘さんのエミリはかわいー感じ
だが、お母さんのマリさんは、
ハタチ位の頃からエロ色っぽか
った。
果たして、まち子の役をこなせた
のか。
武内鉄男の役は藤田まことさんが
演じている。
撞球シーンは吹き替えだ。
こちらのドラマは原作と同じく
戦後を舞台としている。
撞球種目は四つ玉。原作はスリー
クッションだ。
映画では1981-1982年映画製作
公開の時代の現代劇としている。
撞球種目はポケット。


ただ、私個人は映画版の佐藤浩市
と真田広之は同学年でもあり、作
品の時代性、世界観には親近感が
ある。あの映画作品は、リアルさ
が非常に強い。
玉突き人たちはあんなのばかり
だった。
原作通り戦後が舞台の表現だと、
れは私にとっては「時代劇」で
り「物語」の「おはなし」と
ってしまうのだ。
せめて、てなもんや三度笠のあた
りからの時代でないと(笑
あくまで個人的には。

鳩を狙う猫

2022年02月10日 | open


鳩を狙う猫。

耳V字カットのニャンタマ。
玉はありませんが。


ほふく前進のようにストーキング。








鳩警戒。


逃げられちゃった。


何だこれ?


グレーテルのパンで暫く遊ぶ。


すぐに飽きてやめる。


かーえろっと、と帰る。
けさは小雪で寒いしさ。
ニャンタマの日常。



ビリヤード場のマッチ

2022年02月10日 | open


中学高校の時は喫茶店のマッチを
集めるのが趣味だった。
すべて行った店で貰った物だ。
その数、段ボール箱二つ。
どれだけの喫茶店に行ったのかと
思う。
四大に行く時、部屋が手狭になる
ので知人に全部あげた。

思えば、その後の社会人になって
からは、ほうぼうのビリヤード場
に行った。
今思うと、行くたびにに店のマッチ
を貰っておけばよかったと思う。
今の時代、もうマッチを店の広告と
して使う事はほぼ無くなって来て
いるから。

これは、西日本に転勤転住後に立ち
寄った大阪道頓堀の玉屋のマッチだ。
この店はとてもフレンドリーで良い
店だった。店員も客も。
TAD使いのバーテンの常連さんが
いたので、相撞きしてくれた。
もしキューを持って来てない時には
いつでも自分の置きキューのTADを
使ってくれと言われた。嬉しい大阪
人の心意気。なんだか江戸っ子に
似ている。
そのTADは矢羽のインレイTADで
私が一番好きなデザインのTADだ
った。
このとても良い店、今はもう無い。


大阪は私は大好きだ。
東京の下町にとてもよく似ている。
人間が。
そして道頓堀は上野のような空気
の街だ。
店員さんは訝しがるように言う。
「広島からでっか?せやけど広島
弁やないですやん」と。
「東京生まれ育ちなんす。今は
転勤で広島に住んでるの」と答え
たら納得していた。
ネイティブ大阪人とネイティブ東
人はかなり気が合う。これ、
実は世の中であまり知られていな
い。
何かと大阪vs東京でネタにされる
が、真東京=下町はナニワと非常
に似ている。
大阪の人たちは、東京というと世
田谷の在や山の手の郊外や練馬の
東京都外や葛飾柴又などの「江戸
はない周辺の辺境」エリアに住み
ながら東京人ぶっている人たちを
思い浮かべるようだが、東京とは
東京都の事ではない。旧東京市、
旧江戸の事だ。新橋の旧芝区あたり
がど真ん中の中心地だ。北は行って
も小石川あたりまで。西は内藤新宿
が境界だ。朱引きの外は江戸でも
東京でもない。行政としては今は
東京にはなるが。
東京市内で明治時代から昭和40年
まで市電が走っていたとこまで
が東京だ。

これは姫路の店。
ここも出張のたびによく行った。
近畿中国地区、四国が私の統括担当
だったが、出張には必ずキューケー
スを車に積んで行った。
宿泊は市街地なので、必ず玉屋が
ある。夜には玉屋に行った。
管轄地区内の撞球場にはほぼ全て
赴いた。たぶん、エリア全制覇に
近い。


この店も今は無い。セブンイレブン
になってしまった。
大阪兵庫だけでなく、全国的にビリ
ヤード場は激減している。
それは、老舗までもがどんどん時代
の波で閉店して行く。

これは大正時代の東京のビリヤード
場のマッチ。「どうぞおいでませ」
と書かれている。芝区南佐久間町
二丁目のビリヤード場。愛宕山の
そばだ。コピーがなんとも大正
デモクラシーの先進都市東京。
 設備よく気分よい平等主義の
 「皆様の撞球場」
 御誘合せ御遊来の程を!!



芝区南佐久間町は現在の港区西新橋
にあたる。
私が長年勤めた法律事務所が西新橋
二丁目だった。
そして、切っても切れぬ仲となった
刀工小林康宏直紀さんが生まれ育っ
たのが西新橋二丁目だ。奇遇たる
奇遇。
さらに、たまたまの偶然、西新橋
から高輪に転住した小林家の自宅
兼鍛冶場を大手デベロッパーが再
開発地上げをして、その現地調査
を職務で行なったのが私だった。
私と刀工康宏の出会いは刀剣を
通してだが、エニシは偶然に二つ
の点で既に繋がっていたのだった。
私の場合、不思議な事にこういう
事がありすぎる。




私が勤務した西新橋二丁目の大手
法律事務所の場所は、江戸期には
稲葉殿の大名屋敷だった。
その事務所も解散し、建物も今は
もう無い。

小説『道頓堀川』(1981)

2022年02月10日 | open



小説『道頓堀川』(1981年)/宮本輝

映画『道頓堀川』(1982年/深作欣二
監督)の原作を読む。
何度も読んでいるが、また読む。
宮本輝の「川三部作」では『泥の河』
が傑作だが、それの映画化された
作品は、「映画化は原作を超えない」
といわれた常識をひっくり返した。
物凄い映画作品となった。映画『泥
の河』は日本映画史上の名作。

そして、深作欣二監督の『道頓堀川』
だ。
これは原作と映画作品は物語が同一
ではない。
映画『道頓堀川』は、深作欣二作の
『道頓堀川』だといえる。
宮本輝の小説はもろに純文学だ。
福永武彦の系譜にあるかのような
純文学なのである。